case5-4 女神・有巣香澄


天使の羽衣をはがした天使の肌は、まだ羽衣を着ているみたいに白く輝いていた。この肌を見るのは2回目だけど明るい部屋で見るのは初めてで、お酒を飲んでいるせいか、ほんのり赤くなった肌がよりエロくて美しかった。



「あのね。」



俺がエロスを感じている間に、天使はそのまま振り返った。すると天使の肩には前見た通りやけどの跡があって、明るい部屋で見ると、そのやけどがいかにひどかったかよくわかった。



「小さい頃ね、

お父さんにされたの。」



天使は消えそうな声で、そう語った。あまりにも痛々しすぎて、俺は思わず目をそらしそうになった。



「昔からね、

父と母の仲があまりよくなかったの。

あまり覚えてないんだけど

よくケンカしてた記憶はあって、

お父さんの怒りが私に向くことが、

たまにあったの。」


天使は羽衣をもう一度羽織りながら、悲しい顔をしてこちらを見た。いたたまれなくなった俺は、また右手を香澄さんの頬に置いた。


その手を愛おしそうに包んで、香澄さんは悲しそうに笑った。



「最初はね、お母さんが守ってくれてた。

でも途中から助けてくれなくなって、

家にも帰ってこなくなったの。」



香澄さんはやっぱり悲しそうだったけど、それでも笑っていた。今すぐ抱きしめたかったけど、でも目を見て話を聞きたかった。


「それからは全部、

お父さんの怒りが

私にようになったの。

毎日ボロボロになるまで殴られたり、

ほとんど裸のままベランダで寝たこともあった。」



香澄さんの瞳の奥には、いまだに震えている小さな香澄さんがいるような気がした。きっと香澄さんは今でも、その自分を守っている。



「どうして怒られてたのかは

全く覚えてないんだけどね

ある日ね、

やかんの音がしたと思った後すぐ

湯が上から降ってきたの。

それでね…っ。」

「香澄さん…っ。」



言葉に詰まった香澄さんを、俺はやっとそこで止めて抱きしめた。香澄さんは力なく俺の胸に顔を寄せて、「ふふ」っと笑った。



「小さい頃はね、

ずっとおびえてたの。

でもずっと色んなことに耐えてたら、

いつからか悲しいとか怖いとか、

そう思うことがなくなっていったの。

感情が、なくなっちゃったの。」

「そんなこと、ないじゃん。」



香澄さんはどちらかというと、よく笑うし、さっきだって泣いていた。抱きしめながらそういうと、香澄さんは「そうなんだよね」と言った。



「お父さんと二人だった時は

学校にもあんまりいけなかったんだけど、

お母さんと二人になってからは

学校に行けるようになって友達も出来た。

あれからずいぶん経ったし、

友達のおかげもあって、

楽しいとか嬉しいとか、

そういうのは感じれるようになってた。」



香澄さんは今度はいつもみたいに無邪気に笑ってそう言った。その目と笑顔に嘘がない事はよくわかって、出会ってくれた友達たちに感謝したい気持ちになった。



「でもね、

いつまでたっても怖いのと悲しいのは

あんまり感じなかった。

悲しい映画とか見てもあまりピンと来ないし、

一人で夜道を歩いたりしても、

怖いって全然思えないんだよね。」

「危ない事するのは、ほんとやめてね。」



感覚がなくても、してもらっては困る。

多分俺がすごく悲しい顔をしてそう言うと、香澄さんも同じように悲しい目をして「わかってる」と言った。



「でもね、今ね、思い出したの。

あの時のこと思い出して、

怖いって思ったの。

久しぶりに、泣けたの。」


「こういうのをフラッシュバックっていうのかな」と、香澄さんは微笑みながら言った。俺は抱きしめている手をグッと強めて、少しでもぬくもりを感じてほしいと思った。



「つむ君の、おかげかな。

ちゃんと怖いって、

思えるようになったの。」



嬉しいことを言われて、俺は香澄さんの顔が見たくなった。体を離して顔を覗き込むと、香澄さんは涙を目に一杯ためたまま、また悲しそうに笑った。



「ごめんね、見たくないもの、

見せちゃったよね。」



香澄さんはそう言って、パジャマをしっかり着なおした。俺はその言葉にゆっくり首を振って、逆にパジャマをそっと下した。



「キレイだよ。」

「そんなわけないじゃん。」

「そんなわけ、あるの。」



確かに、香澄さんの肩から腕にかけては、痛々しすぎる跡が残っていた。

でもそんなものがあったとしても、俺にとって香澄さんが天使であることには変わりない。それを分かってもらうためにも俺は香澄さんの肩にキスをした。


「香澄さん。」

「ん?」

「俺はさ、

香澄さんが

"今から地球を滅ぼす"って言いだしても、

それでも好きだからね。」

「意味、分かんない。」



そう言って香澄さんは、涙を流しながら笑った。


確かに意味が全く分からんな。

俺の香澄さんへの気持ちを表す言葉をちゃんと探しておかなくては。


頭の中でそんなことを考えながら、俺はやけどの跡に順番にキスを落としていった。



「…んっ、

くすぐったい。」



香澄さんは体をくねらせて、色っぽい声で言った。

本当にくすぐったがっているんだろうけど、俺からしたら最高のエロスでしかない。



今日も抱き合って寝るだけのつもりでいるはずなのに、俺はそこから香澄さんの胸までキスを落としていった。そして香澄さんも、そのキスに毎回反応して体を揺らした。



「あ~~ダメだっ!」



これ以上進んでしまったら、また俺の中のサルが呼び起されてしまう。

ゆっくり練習しろと潤奈にもアドバイスをされていることもあって、俺は自分で自分を静止した。そして名残惜しく思いながら、香澄さんにパジャマを羽織らせた。



「ど、したの?」



あろうことか香澄さんは、少し名残惜しそうな顔をしてそう言った。もうこれ以上俺の中のサルを刺激するのはやめてくれと思いつつ、出来るだけ冗談に聞こえるように、「してほしかった?」と聞いた。



「うん。」



え?え?

うんって言った?

今、うんって言った?え?ええ?



「つむ君。」

「はい。」

「して、ほしいの。」




幻聴であってくれないかと思った。

幻聴であってくれないと、どうにかなってしまいそうだと思った。

驚きすぎて動きが停止していると、香澄さんは初めて自分から俺の方に近寄ってきて、優しくキスをしてくれた。



「…ダメ?」



んなわけあるかい。



心の中でそう返事した俺は、香澄さんをソファに押し倒した。



「香澄さんのせいだからね。」



誰が何と言おうと、香澄さんのせいだった。

俺は勢いのまま香澄さんに今日初めて深いキスをして、息が切れるまで口を離さなかった。



―――愛が伝わるように。






「香澄さん。」


それからは潤奈の言葉を思い出しながら、丁寧に香澄さんの全身を愛でていった。そして気が付けば香澄さんは、息を切らしてうつろな目をしていたけど、ついにそこが十分に濡れることはなかった。



「ごめん、きつかったね。」



頭を撫でてギュっと抱きしめると、香澄さんはすっぽり胸の中におさまって「ううん」と言った。

自慢ではないが俺はデカい。俺の唯一中途半端ではないところが、なぜかそこだった。そんなに経験は多くないけど、そのせいで今まで女の子に痛がられることも多かった。香澄さんの今の状態では入らないと判断して、俺はそこで行為を止めた。



「入れて、いいんだよ?」



香澄さんからそんなことを言われる日が来るなんて夢のようだった。まだ元気なソコがなんとか香澄さんに当たらないように腰を引きながら、「大丈夫」と言った。



「俺、おっきんだ。」

「自信満々に言わないでよ。」



香澄さんは「ふふ」と力なく笑って、俺の胸の方にまたグッと近づいた。



「ごめんね。」

「何が。」

「欠陥、だらけで。」



まだ伝わり切ってないのか。

そう思って俺は、香澄さんを胸からはがした。そして両手で香澄さんの両頬を覆って、ジッと目を見た。



「香澄さん。」

「ん?」

「俺は楽しいよ。」

「え?」



俺の両手に、香澄さんの小さな顔はすっぽりとおさまった。

近くで見てみるとすっぴんのはずなのに長すぎるまつ毛と毛穴のない肌がキレイすぎて、食べてしまいたくらい愛おしかった。



「香澄さんの気持ちいいこと、

これから俺が見つけられるって思ったら

すごい楽しいよ。」

「つむ、君…。」



香澄さんはまた涙を流して、悲しそうに笑った。俺は香澄さんのおでこにそっとキスをして、またギュっと抱きしめた。



「伝わってないかな~。」

「え?」

「俺がどんだけ香澄さんが好きか。」



それを聞いた香澄さんは胸の中で「ふふ」と笑って、「伝わってるよ」と言った。



「いや、伝わってないな。」

「え?」

「だって俺は

香澄さんのためならビックバンを起こせる。」



やっぱり好きの語彙力が少ないなと思いながら言うと、香澄さんは「じゃあやってみて」と笑いながら言った。



「いやだ。

香澄さんとつながるまでは

この宇宙を終わらせられない。」

「ふふふ。

じゃあ繋がらない方がいいかも。」




「それはとても困る」というと、香澄さんはまた楽しそうに笑った。

困ることは困るけど、この人がこうやって楽しく笑えるのなら、このままつながらなくてもいいんじゃないかって、俺も思った。困るけど。



「つむ君?」

「ん?」

「またあれやってほしい。」



"あれ"がなんのことか分からなくて考えていると、香澄さんが「前やってくれたやつ」と言った。もしかしてトントンのことかなと思って背中に手を置くと、正解だったみたいで、香澄さんはゆっくりと目をつぶった。



「おやすみ。」



それからすぐに、香澄さんの寝息が聞こえた。

寝顔が少し笑っているみたいに見えて、天使の寝顔に下半身が反応しかけた。



「どんだけ好きなんだよ。」



自分でもびっくりするくらい、好きがあふれて止まらなかった。俺がまだ思春期なら香澄さんが寝てても犯してしまいそうだと思った。


でも俺も、もういい年をしたアラサーだ。


好きを少しでも消化するためにもまた香澄さんのおでこに軽くキスをして、自分も眠りについた。






あの日から俺たちは、週のほとんどを一緒に過ごすようになった。

香澄さんは俺の部屋に来たいとよく言ったけど、どう考えても香澄さんの部屋の方が過ごしやすいと説得して、仕事終わりに俺が香澄さんの部屋に行く日々が続いていた。



「お前、女出来ただろ。」



そんなある日、仕事をしていると唐突に塩谷さんが言った。

エスパーかよと思いつつ、俺は思いっきりにやけた顔で「はい」と答えた。



「なんか最近張り切ってると思ったら

いつの間に…。」

「私も思った~。

なんか最近キラキラしてるもんね~。」



俺の惚気は、雰囲気からも出てしまっていたらしい。塩谷さんに同調した女性社員の先輩も、ニヤニヤとして話に割り込んできた。



「写真見せてよ。」



そして女性社員さんは、遠慮することもなくそう言った。

俺はニヤニヤをおさえきれなくなりながら、スマホに入っている隠し撮りした最高に天使の香澄さんの写真を二人に見せた。



「嘘つけおまえ。」

「え、モデル?まじ?」



二人は失礼ながらも、同時に言った。俺は思いっきり不服な顔をしながら、「俺の彼女です」と言った。



「まじで言ってる?

どうやって落としたんだよお前。」



驚く塩谷さんに得意げな顔をして、腕をポンポンと叩いて「ここです」と言った。すると塩谷さんは思いっきり悔しそうな顔をして「くそーーーー!」と叫んだ。



「んじゃ、今日も彼女と約束してるんで。」



今日はいったん帰って色々荷物を取ってから、香澄さんの家に行くことになっている。俺はまだ悔しがっている塩谷さんと「頑張れ~」となぞにエールを送ってくれるおばちゃんに挨拶をして、とりあえず自分の部屋に向かった。





「はいはい。」

「あ、侑さん~?」



家について色々荷物を鞄に詰めていると、ちょうどその頃潤奈からタイミングを見計らったように電話が来た。



「最近顔見せないけど、

元気してる?」

「うん、めちゃくちゃに。」



そう言えばあれから、カフェにも行けていない。

多分行けていないことが香澄さんとうまく行っていることを表していることくらいわかっているんだろうけど、潤奈は俺の声を聞いて「ふ~ん」と意味ありげな声を出した。



「やれたの?」

「もう少しマイルドに言ってくれる?」



「ごめんごめん」と潤奈は謝ったけど、謝る気は全くないみたいに聞こえた。俺は大きなため息をつきながら、「半分」と答えた。



「だんだん慣れてはきたけど、

まだ半分かな。」

「何それ。

半分しか入らないの?」

「まあ、そういうこと。」



あの日からほぼ毎回、香澄さんと俺は試行錯誤を続けている。

相変わらず濡れにくいのには変わりなかったけど、それでも少しずつ進歩しているのは確かだ。



「何それ~。

侑さんしんどくない?」

「しんどくないと言ったらウソになる。」

「だよね。」



半分入れる事には成功したけど、腰を振り出したら思わず奥までついてしまいそうで、まだ入れるだけのところでとどまっていた。香澄さんは手とか口でしてくれるっていうけどそれも申し訳なくて、これまで毎回練習しかしていない。



「侑さんの

まじでデカいもんね。

私ですら最初痛いって思ったもん。」

「あ、まじ?ごめん。」

「いや、私の場合

痛いのでも気持ちいいから。」



何だよこいつ。

呆れてため息をつくと、潤奈はそんなことも気にせず「それでさ」と話を続けた。



「原因はわかったの?」

「なんの?」

「コンプレックスの原因。」



相変わらず痛いところを突くなと思った。


香澄さんは確かに、やけどの原因のことを話してくれた。感情が薄れていたと、そういう話もしてくれたけど、それが直接濡れにくい原因につながっているのかと聞かれたら、そうではない気がした。



「それも、半分。」

「なにそれ。」



よくわからないけど、香澄さんと接していくうちに、まだ何かあるって感覚を俺自身が一番感じていた。香澄さんの気持ちは少しずつ傾いている気もしたけど、でもまだ好きという言葉を、香澄さんの口からきいたことはない。



「それ見つけることが、

一番の近道だと思うけど。」

「そうだよなぁ。」

「でも半分までいったなら

あと少しじゃん!」


すごく心強い味方に励まされて、俺は少し失いかけていた自信を取り戻した。



「とりあえずさ、

ベロベロに酔わせてやってみたら?

意外といけるかもよ。」

「なるほど。」



もうすでに俺の中で先生と化している潤奈のアドバイスは、多分本当に効果的だ。俺は素直にそれを聞き入れてることに決めて、香澄さんの部屋に行く途中で多めにお酒を買った。



「いらっしゃ~い。」



俺のプランを全く知らない香澄さんは、今日も天使の声でそう言った。

俺は決意をこめて持っていたビニール袋を握り直して、戦場にでも行く気持ちでエレベーターへと乗り込んだ。

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