case5-3 女神・有巣香澄


あの後予定通り香澄さんの買い物に付き合って、俺は荷物持ちとしての役割をきっちり果たした。そしてその日も"泊まって行く?"と香澄さんは俺に聞いた。


もちろん、止まりたかった。

でもこれ以上一緒にいたら本当にサルみたいに襲ってしまいそうだと思って、俺は一旦それを断った。



「毎日一緒でもいいのに。」



自分をしっかりと抑え込んでいる俺に、香澄さんはそんな爆発的なセリフを吐いた。俺だってもちろんそうだけど、そんなことしたらもう自分がどうなってしまうかわからない。一旦落ち着くためにもその日は家に帰ることにして、次の週末にまた会おうと約束をした。



それに俺には、出来るだけ早く会いたい人がいた。

香澄さんには申し訳ないけど、早く相談してどうすべきか聞きたかった。


それが自分でわかればいいのだけど、今回は全く分かりそうにない。香澄さんの家をでるや否や、俺はその人に"緊急集合、させてください"と連絡を入れた。




「いらっしゃいませ。」

「どうぞ~!」




俺は潤奈だけに連絡をしたのに、潤奈の家に行くと、二人は集まってご飯を食べた後みたいだった。環希さんにはこんな話したくないのに。


まあでも今更恥ずかしがることもないかと気合を入れて、「お邪魔します」といつもより丁寧に潤奈の家に入った。



「はい、これ。」



定番になってきたお土産のビールを渡すと、ためらいもなくそれを受け取った潤奈は、そのうちの一本を環希さんに渡した。そして俺にも1本渡した後自分もそれをもって、勢いよく栓を開けた。



「んで、どうしたのさ。」



切ってきたフルーツを出して、潤奈はいきなり聞いた。

コイツってやることはめちゃくちゃモテ女みたいなのになと思った。



「あのさ。」

「うん。」

「環希さんの前ではちょっと、

話しにくいんだけど。」

「あ、ごめん。

私帰ろうか?」



環希さんが慌ててそう言ったから、俺も慌てて「そういう意味じゃないんです」と否定した。


「めちゃくちゃ下ネタ言います。」

「な~に気使ってんの!

おたまさんだっていい大人だよ?」


大人とか云々ではなく、清楚な環希さんの前では下ネタが言いづらいんだよ。そう思ったけどそんな理論は、潤奈には通用しそうもないとあきらめた。



「えっとですね。

濡れない体質って、

あるんですかね。」



なぜか正座で座っている俺は、椅子に座ってビールを飲んでいる二人を見上げて言った。二人は一瞬驚いた顔はしたけど、しばらく「う~ん」と考え込んだ。



「濡れやすいとかにくいとかはあるけど、

"濡れない"ってのはないんじゃない?」

「ん~そうだよね~。」



ですよねと思って、俺も手に持っていたビールをたくさん口に含んだ。



「え、侑さん、

あの美女とそんなとこまでいってんの?」



するとそれと同時に、何も言ってないのに潤奈はそこまで言い当てた。驚いて口に含んだビールを吹きそうになったけど、そんなこと聞くんだから予想は出来るかと思いつつ、素直に「うん」と答えた。



「しようとしたんだけど

全然濡れなくて…。

感じてないってわけじゃ、

ないと思ったんだけど…。」

「え、しなかったの?」



驚いた様子で潤奈が言ったから、それにも素直に「うん」と答えた。すると潤奈は「え~萎える~」と本気のトーンで言った。



「ローション出してきたんだ。

濡れにくいからって。」

「え、じゃあなおさらすればいいじゃん。」

「でも…。」

「大切なんだね。」



そこでやっと環希さんがそう言ってくれた。でも潤奈はやっぱり納得できないって様子で、「どこまでしたの?」と聞いてきた。



「え、そりゃ、

触るまで。」

「触るだけ触って終わりとか

ないわ~~~侑さん。」

「え?まじ?」



やっぱり本気のトーンで言う潤奈に、俺は本気で落ち込んだ。すると環希さんが「そんなことないよ」とフォローを入れてくれた。



「濡れにくい体質って

あるのかもしれないけど、

もしかしてなんか、

トラウマとかコンプレックスとかあるのかもね。」

「コンプレックス…。」



なんてあるわけがないと思った。

香澄さんがコンプレックスなんて抱えてしまったら、俺なんて死んだ方がましだ。でも多分コンプレックスってどう感じるかはその人次第だから、キレイだから感じてないってわけではないんだと、そのくらいわかっている。



「もしトラウマがあるんだとしたら、

練習、していけば?」

「練習?」

「そうそう。

やっぱりさ、濡れるって

気持ちいいってだけじゃないじゃん?」



「ね、環希さん」と潤奈が振ると、環希さんは少し恥ずかしそうな顔をして「うん」と言った。



「やっぱりさ、

愛を感じればそれだけ気持ちいいし、

でもトラウマでそれが

ブロックされてるんだとしたら、

されないように少しずつ

練習するしかないと思うんだよね。」

「なるほど。」

「愛が伝わるようにするってのはもちろん、

どこが気持ちいいのか、

どうすれば濡れるのか、

二人でちょっとずつ

見つけていくのも楽しいんじゃない?」


潤奈大先生は足を組んでビールを飲みながら言った。俺はメモでも取りたい気分になりながら、首がとれるほどうなずいた。



「あとは侑さんが

超テクニシャンになる、とか。

練習する?私たちで。」

「潤ちゃん。」



俺がツッコむ前に、環希さんがツッコミを入れてくれた。潤奈は笑って「冗談」と言ったけど、半分本気でいっているようにしか聞こえなかった。



「それにさ、

ローションだって悪くないと思うよ。」



サラッとそんなセリフが出てきたことに驚いて、俺の口からは「へ?」という間抜けな声が出た。潤奈はそんなこと気にする様子もなく、話を続けた。



「なんていうか、

慣れみたいなものもあるからさ。

ローション使って最初は慣らせば、

だんだんトラウマとかそういうのも晴れて

純粋に濡れるかもよ。」


「ローションって結構いいよ」という潤奈に、なんと環希さんが「わかる」と言った。やっぱりメモを取りたい気持ちになりながら、その言葉をしっかり頭の中で保存した。



「せっかく彼氏になれたんだし、

焦らず色々試しなよ。」

「はぁ。そうだよな。」



ため息をつく俺に、潤奈はあきれた様子で「なに、まだなんかあんの」と言った。大ありだよと思いながら、俺はもう一つ、大きなため息をついた。



「好きって、

言ってくれないんですよね。」

「言わないタイプの人なんじゃなくて?」



そういうタイプの人だっているってこと、俺も分かっている。でもなんとなく、そうじゃない気がしていた。



「なんていうか。

嫌いではないことはもちろんなんですけど、

壁があるっていうか、

それを超えられないっていうか…。」

「侑さん!」



グダグダと言い訳みたいな言葉を並べている俺を、潤奈が大きな声で呼んだ。それにびっくりして思わず肩を揺らすと、潤奈は立ち上がって俺の方を指さした。



「あのね、そうやってうじうじしない!

こっちが自信ないと、

あの美女だって自信なくすよ?!

あっちがどうかとかじゃない、

自分が好きだからいいんだくらい

強気でいなさいよ!!!!」

「ご、ごめんなさい。」



なぜか無意識に謝っている自分がいた。

急に怒り出したけど、言っていることはごもっともだ。俺は最後の押しが弱いらしいし、潤奈の言う通り強気でいなくてはいけないんだと思う。



「まあその優しさが、

侑君のいいところでもあるんだけどね。」

「おたまさん!

甘やかさないで!」

「ごめんなさい。」



優しいフォローを入れる環希さんまでも潤奈は叱った。そして立ち上がったままビールを飲み干して、俺の前に仁王立ちになった。



「シャキッとしなさい!

彼氏なんでしょ?」

「はい。」

「あんな美女と付き合うまでいっただけでも

めちゃくちゃすごいと思うよ!

自信もって頑張るの。

わかった?」

「はい。頑張ります。」



なぜか説教をされて、俺は少ししょげながら家に帰った。

でも潤奈のいう事は全部正しい。俺も少しは背筋を伸ばして頑張らなくては。


今日は見慣れた天井を見て気合を入れなおしていると、どこからかスマホのバイブレーションが聞こえ始めた。



机の上に置いていたスマホに表示されていたのは、香澄さんの名前だった。今までとは少し違う緊張を抱えながら、でもためらうことなく受信のボタンを押した。



「もしもし。」

「つむくん?寝てた?」

「ううん。」



夕方まで会っていたはずなのに、しばらく会っていないみたいに感じるくらい、寂しい気がした。やっぱりグダグダ言い訳せずに、今日も泊ってくればよかった。



「なんか、寂しくて。」



すると俺の気持ちを読んだみたいに、香澄さんが言った。同じ気持ちでいてくれたってのが何より嬉しくて、思わず笑ってしまった。



「もう、何がおかしいの?」

「ごめん、

俺もそう思ってたから。」



香澄さんは俺の言葉をかみしめるみたいに、「そっか」と言った。その「そっか」が愛おしくて、今すぐ抱きしめたかった。



「香澄さん?」

「ん?」

「会いたい。」



今すぐ会って、抱きしめたい。

ぬくもりを感じて、眠りたい。



「私、も。」



すると香澄さんは、少し照れた声でそう言った。その声だけで、本体が立ち上がりそうになるのが分かった。



「ね、つむ君。」

「ん?」

「来週末はさ、

つむ君のお家に行きたい。」

「は?!」


思わぬジャブに、思わず大きな声がでた。それを聞いた香澄さんは、すごく小さい声で「いや?」と聞いた。



「いや、じゃないんだけど。」

「うん。」

「俺のマンション、

香澄さんの部屋の半分のサイズもないよ。」

「いいよ、大きさなんて。」


香澄さんは楽しそうに「ふふふ」と笑ったけど、俺にとっては笑い事ではなかった。



「嫌ならうちでもいいけど…。」

「ううん、嫌じゃない。」



そう言われてしまうと女神のお願いを断れなくなってしまう俺は、何の考えもなしにOKを出してしまった。電話越しに「やった!」と無邪気に言う香澄さんの声を聞いて、平日5日間をかけて掃除をしなくてはと思った。



「じゃあ、そろそろ寝よっか。」

「そだね。」

「香澄さん?」

「ん?」

「大好きだよ。」



俺は今まで、こんなこと口に出して言うタイプではなかったと思う。

でも香澄さんと話しているとなぜか何回だって伝えたくなってしまう。香澄さんが好きと言ってくれなくても、それでも何回でも言いたい。


「ありがとう。」


香澄さんはやっぱり、好きとは言ってくれなかった。

でもそれでもいい。俺が好きなんだから、それでいい。自信を持つんだ。



潤奈に言われた通り、なよなよしないように自分に言い聞かせた。何にせよ昨日の夜のことを思い出したら興奮が止まらなくなりそうだったから、次の日の仕事に支障がないように、思考回路を停止して寝ることにした。






毎日掃除をするというミッションのせいか、1週間がすぐに過ぎてしまった。なんせ大学時代からもう10年住んでいるから、いらないものをため込みすぎていた。香澄さんが来るってことになってから断捨離に断捨離を重ねた部屋は心なしかすっきりして、なんだか気持ちまですっきりした気がした。



「よし。」



とりあえず今日は、香澄さんを駅まで迎えに行くことになっている。

何度もほこりとか見られたら恥ずかしいものとかがないかを確認した後、俺は早めに駅まで向かった。



「つむく~ん。」



時間通りに香澄さんはやってきた。この通いなれた駅に香澄さんがいるってことがすごく不思議で、やっぱりなんで俺なんかと香澄さんが付き合ってくれているのかわからなくなりそうになった。



「お待たせ。」

「うん、いこっか。」



歩き出すと香澄さんは、今度は自分から腕を組んでくれた。嬉しそうにニコニコしている顔が可愛すぎて、脳みそが沸騰しそうになった。



「ほんと古いよ。」

「いいの、そんなこと。」



愛着があるマンションには悪いけど、香澄さんに俺は何度もそうやって前置きをした。謙遜とかそういうのじゃなくて、本当に古くて狭いマンションだ。そんなところに女神を降臨させるなんて罰当たりすぎると思ったけど、女神が嬉しそうにしているんだから、ここで足を止めることは俺にはできない。



「ここ。」

「え、思ったより全然古くない。」



俺が何度も前置きをしたせいか、香澄さんは驚いた顔で言った。

やっぱり前置きをしといてよかったと少しホッとしつつ、なんと俺は、実に3年ぶりに女性を部屋にいれた。



「お邪魔しま~す。」

「お邪魔じゃないです。」




いつも座敷童でも出そうだと思っていたけど、香澄さんが座敷童ならいいのにと、意味の分からないことを考えた。多分それは動揺しているからなんだろうけど、こっちがここまで動揺しているなんて気にも留めないで、香澄さんは「つむくんのにお~い」とはしゃいでいた。



「くさい?」

「ううん、落ち着く。」



可愛すぎてめまいがするかと思った。

クラクラする頭を何とかおさえて、俺は香澄さんを、いつも相沢が座っている場所へと座らせた。



「待ってて。」



相沢がよくここに来ていたのは、この日のためだったんだろうか。

もしそこまで把握されていたんだとしたら本当に怖いなと思いながら、俺は昨日仕込んでおいたはちみつ生姜サイダーを、香澄さんに出した。



「何これ?」

「飲んでみて。」



よくわからないって顔をしながら、香澄さんはそれに口をつけた。すると口に入れてすぐにパアッと明るい顔になって、「おいしい!」と大きな声で言った。



「俺特製。」

「えーー!すごすぎ!」



まるで自分で作ったレシピみたいにどや顔で言ったことを、後で潤奈に謝ろうと思った。でも今はこの幸せそうな笑顔くらい堪能させてくれと、心の中で潤奈に言っておいた。



「つむ君ってほんとマメだよね。」

「そう?

一人だとあんまやらないよ。

香澄さんがいるからやるだけ。」



なんのためらいもなく、こんな大胆なことを言えるようになった。それを聞いた香澄さんはあっさりと「そっか」と言ったけど、顔はとてもうれしそうだった。



「さあ、作ろうか。」

「そうだね!」



前一緒にご飯を作ったから今日は外食でもいいかなと思っていたけど、香澄さんは一緒にご飯が作りたいと言ってくれた。と言っても俺のキッチンは香澄さんのキッチンほど広くないから一緒になんて作れないんだけど、二人っきりでいられるってのは、俺にとっても嬉しい事だった。



「今日は唐揚げ。」

「やった~!

唐揚げ大好き。」



唐揚げと香澄さんは全く釣り合わない気がしたけど、俺と香澄さんの方がもっと釣り合っていないから、人のことは言えない。人じゃなくて、鶏か。


「よし。」


季節はもう夏に変わっているのによりによって揚げ物を選んだ俺は、Tシャツ1枚に短パン姿に着替えることにした。



「つむ君ってスポーツしてたの?」



高校時代の部活のジャージに着替えた俺に、香澄さんは興味津々の目をして言った。



「うん。サッカーやってた。」

「へぇ!かっこいい。」

「うん、可愛い。」



とりあえず可愛い。

思った言葉を思わず口に出すと、香澄さんは笑って「なにそれ」と言った。


自分の家にいるとリラックスするからだろうか。俺は欲望のままに香澄さんに近づいて、そのままギュっと抱きしめた。



「香澄さん。」

「ん?」

「かわいい。」

「わかったから。」


香澄さんは呆れたように笑っていた。でも呆れるくらいに香澄さんは可愛い。

そろそろしつこいだろ?でもそのくらい、香澄さんは可愛い。



「油飛ぶから、こっち座ってて。」

「え、でも…。」

「お願い。」


俺は香澄さんを抱きしめたまま、いつも自分が座っているソファに無理やり座らせた。香澄さんはまだ不満そうな顔をしていたけど、俺はテレビをつけた後グーサインをみせてキッチンへと向かった。



唐揚げは実家に住んでいる頃からたまに作っていた、俺の得意料理だ。普段はそんなことしないけど昨日から鶏にしっかり味付けをして、下ごしらえまでばっちり終わっている。



「頼むから美味しくなれよ。」



小声で鶏にそう言って、俺は手際よく唐揚げを揚げていった。

案の定暑くて汗をかきながら振り返ってみると、香澄さんはこちらを楽しそうに見ていた。



「やっぱ、

私も料理出来るようになりたいな。」

「香澄さんが料理まで出来たら

ほんとに神になるからダメ。」

「じゃあ作っても食べないの?」

「いや、食べるけど。」




食べないなんて選択肢どこにあるんだと、逆に言いたかった。香澄さんはそれを聞いてにっこりと笑った後、「料理教室にでも行こうかな」とまた楽しそうに言った。



「どうぞ。」

「わぁ~!」



唐揚げの他に、サラダと味噌汁を作って香澄さんのいるテーブルまでもっていった。香澄さんはそれを見て本当に目を輝かせて、「やばい、感動!」と言った。



「そんなに?」

「うん!

手作りのものって

初めて食べるかも。」

「え?実家で食べてたでしょ?」



唐揚げなんて腐るほど食べてきただろう。

そう思ってサラッと聞いたはずなのに、香澄さんは少し曇った顔をした。



「うち、お母さんも

料理しない人だったからさ。」

「そっか。」



もっと深く聞きたかったけど、聞けなかった。やっぱり俺と香澄さんの間には1枚壁があるような気がして、その壁を超えられない自分が情けない。



「じゃあ、

香澄さんの初めては俺がもらう。」

「え?」

「香澄さん手作りから揚げ。

俺が処女いただいた。」



でも、無理矢理聞くことだけが、壁を超える事ではない気がした。

香澄さんに何があったかはわからないけど、もし悪い思い出があるんだとしたら、それを前向きな思い出に変える事だって、壁を超える事な気がする。


そんな気持ちも込めてそう言うと、香澄さんは一瞬驚いた顔をした後、目を細めて「ふふふ」と笑った。



「いただかれちゃった。」

「は?反則。」



唐揚げより先に香澄さんを食べたかったけど、お腹はしっかりと減っていた。

俺は今日も湧き上がってくる欲望を何とかおさえて、日本人らしくしっかり手を合わせて合掌をした。





「はぁああ~!

お腹いっぱい過ぎる!」



キレイに唐揚げを食べ終わった香澄さんは、幸せそうな顔をして言った。その顔を見ただけでもお腹いっぱいだと思った。


それからお腹がいっぱい過ぎて動けなくなって、俺たちは二人でボーっとテレビを見ていた。しばらくすると香澄さんは皿洗いを買って出てくれて、あまりにやらせてくれというもんだから、全部キレイに洗ってもらった。



「香澄さん、お先お風呂どうぞ。」



そう言って俺は、あらかじめ買ってあったパジャマを渡した。

お店のチョイスは潤奈にしてもらったから間違いないはずだ。それでも気に入ってくれるか不安過ぎて、次の反応を慎重に待っている自分がいた。



「これ、一人で買いに行ってくれたの?」

「うん、もちろん。」



店を教えてもらったはいいものの、仕事終わりにスーツで行くと、たくさんの女子の中でめちゃくちゃに浮いていた。正直恥ずかしくてすぐに帰りたかったけど、香澄さんに用意すると言ってしまった手前、後には引けなかった。


その中でも俺は、店員さんと相談しながら、肌触りのいい白いシンプルなパジャマを選んだ。これを着せたら本当ん香澄さんが天使になるんじゃないかって思って、白を選んだ。



「あれ、気に入らなかった?」



香澄さんがしばらく静止していることでますます不安になって、顔を覗き込んでそう聞いた。すると香澄さんは顔をあげてニコッと笑って、「かわいい!」と言った。



「お店、入りづらかったでしょ。」

「うん。まじで。」



正直に言うと、香澄さんはクスクスと笑った。笑い事ではなかったけど、笑っているのが可愛かったからという理由だけで、俺は唐突に香澄さんの唇に自分の唇を重ねた。



「ほら、早く入っといで。」

「う、うん。」



香澄さんって、本当に子供みたいに純粋だ。

軽くキスをしただけで少し照れた顔をして、それをごまかすみたいにして素直にお風呂に向かった。今自分の家の風呂に香澄さんがいると思ったらそれだけで心臓が破裂しそうになったけど、俺は冷静に寝る準備を整えながら、風呂から聞こえるシャワー音に耳をすませていた。



「お先~。」

「は~い。

ドライヤーここにあるからね。

あと冷蔵庫のお酒、

なんでも飲んどいていいよ。」

「わ~い。」



香澄さんがしてくれたように、冷蔵庫には色々な種類のお酒を用意しておいた。香澄さんがそれを楽しそうに選んでいる姿を見ながら、俺も風呂に入ることにした。



お風呂の中でさえいい匂いで本当にどうなってんだと思ったけど、なんとか気持ちを冷静に保ちながら、さっと風呂からでた。すると香澄さんはレモンチューハイを飲みながら、最近話題のドラマを食い入るように見ていた。



なんだ、今日はもう髪の毛乾かしたんだ。



自分でドライヤーの場所を教えたくせに、それを悔しく思いながら自分も冷蔵庫からビールを取り出した。そしてそっと香澄さんの横に腰を下ろすと、香澄さんは「おかえり」と小さく言った後、またドラマに視線を戻した。



「面白いの?」

「うん。」



絶対に聞いてない様子で、香澄さんが言った。机の上に置いてある缶を持ち上げると、もうほとんど空になっていたから「次飲む?」と聞くと、その問いにも香澄さんは「うん」と言った。



「どーぞ。」

「ありがとう。」



CMになったタイミングで、レモンチューハイを受け取って香澄さんは軽快にそれを開けた。



「面白いの?」

「うん。

ハラハラするんだけど、

なんか見ちゃうんだよね~。」



今度はちゃんと話を聞いてくれたみたいで、まともな返事が返ってきた。やっぱりさっきのは全く耳に入ってなかったんだなと思うと、ちょっとおかしくなった。



「何で笑ってるの?」

「あ、ほら。

始まるよ。」



その頃ちょうどCMが終わってくれたから、俺が笑ったことから意識をそらすことに成功した。香澄さんは多分無自覚だろうけど、かなりハイペースでアルコール度数高めのレモンチューハイを飲み進めながら、ドラマに集中していた。



そのドラマはミステリーものみたいだった。

俺は一度も見たことがなかったけど、話題になっていることくらいは知っている。


確かに1話だけしか見ていない俺も、いつしか話に引き込まれていた。最終回に近いらしい今日の話では、主役の刑事が犯人のアジトらしきところを暴くみたいなストーリーが展開されていた。



ハラハラしながらも、俺たちは集中して画面を眺めていた。画面の中では刑事がアジトの中に侵入していて、そのアジトの中はテレビの音を消してしまったかと勘違いするほど静かだった。



その静寂に、俺たちは知らなうちに引き込まれて行った。そして刑事が奥の部屋の扉を開けようとしたその時、静かだった画面の中にやかんが湧く独特な音が急に鳴り響いた。



―――うわっ。



声には出さなかったものの、俺も思わずその音に大げさに驚いた。すると気が付けば香澄さんが腕で顔を覆って、画面から目をそらしている姿が目に入ってきた。



「ちょっと、だいじょぶ?」



確かに驚いたけど、そんなに怖がることないだろう。

そう思って顔をのぞきこもうとすると、香澄さんは小刻みにブルブル震えていた。



「え、どうした?」



全く状況はわからなかったけど、とりあえず俺はテレビを消した。

そして香澄さんを抱きしめようとその腕に触れると、「きゃっ!」と大きい声を出してそれを拒絶された。



「ご、ごめ、違くて…。」



なんとなく、この姿に俺は見覚えがあった。

何があったかはまだ全然わからなかったけど、拒絶されたことなんて気にも留めず、今度はゆっくりと、香澄さんを抱きしめた。



「大丈夫、

大丈夫だから。」



そう言うと香澄さんは、腕の中で「ごめん」と何度も繰り返した。とりあえず落ち着くまで背中を撫でて、そのままの状態でいることにした。



「あ、ありがとう。」



しばらくして、体を離して香澄さんが言った。

体を離されたことは少し名残惜しかったけど、俺は香澄さんの頬に手を置いて、顔を覗き込んだ。



「ね、香澄さん?」

「ん?」

「何があったか、

聞いてもいい?」



踏み込めない。そう思っていた。

でも俺は香澄さんの、彼氏だ。香澄さんが俺のことを好きじゃなくても、彼氏なもんは彼氏だ。


香澄さんは何を抱えているのか、今まで唐突には聞けなかったけど、こうなった以上、聞かずにはいられない。そう思って香澄さんの目を見て聞くと、香澄さんは「えっと」と言ったまま、何も話さなくなってしまった。



「香澄さん。」

「ん?」

「無理、しなくてもいいんだ。

今じゃなくてもいい。」



それでも香澄さんに無理はしてほしくない。

俺は香澄さんの頬に両手を添えて、出来るだけ優しく笑ってみせた。



「でもいつかでいいから。

話してくれたら嬉しい。

俺、香澄さんのこと、

ほんっっとに大切だから。」



そう言うと香澄さんは、急に両目から涙を流し始めた。泣くとは思っていなかった俺は、思いっきり動揺しながら香澄さんを抱きしめた。



「ごめん、泣かせた。」

「ち、違うの…っ。」



胸の中で体を震わせながら、香澄さんは言った。やっぱりその体は、小さくて壊れそうだと思った。



「大切に、

してくれてるんだって思って。」

「当たり前じゃん。

本当は毎日ポケットに入れたいくらいだよ。」

「なにそれ。」



冗談を言うと、ようやく香澄さんは笑ってくれた。俺はそれに少しホッとして、ゆっくりと体を離してみた。



「あ~ダメだ。

好きすぎる。」

「ふふふ。」



全く笑い事ではなかったけど、香澄さんが笑ってくれればそれでよかった。

その頃には香澄さんの震えも止まっているのをしっかり確認した俺は、ゆっくりと、香澄さんにキスをした。



「つむ君。」

「ん?」

「聞いて、ほしいの。」



そう言って香澄さんは、おもむろにパジャマのボタンを外し始めた。



え、何この展開?

ええ?え?

やっぱ天使なの?もしかしてエロ天使なの?

襲われるの?襲ってくれるの?

お願いします。



俺が動揺している間に、香澄さんはすべてのボタンを外した。そして天使の羽衣を、ゆっくりと、はがした。

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