case2-4 カフェ店員・芦田潤奈
"今日家来ない?"
それから数日もしないうちに、仕事中に潤奈からメッセージが来た。
あの日何の違和感もないまま気が付けば連絡先を交換させられていたことに気が付いて、恐ろしい女だなと心の底から思った。
"いやだ。"
家で会うのは、絶対に避けたいと思った。
あんな後悔はもうしたくないし、もう香澄さんとするまで、俺は誰ともしたくない。
でも俺だって男だ。下半身と上半身が別の生き物に感じられることも、ある。
男らしいことを言っているのか言ってないのかよくわからない状況だけど、そうなる可能性は排除しておこうと思ってそう返事をすると、すぐに潤奈からまたメッセージが来た。
"じゃあケンちゃんに連絡するね。"
「こいつ…っ。」
だてに夜の仕事をしていないな、と思った。
俺だっていっぱしの営業マンだから交渉とかには慣れているつもりだけど、あの日救ってしまった手前、"ケンちゃん"を出されたらもう勝てる気がしなかった。
敗北感でいっぱいになりながらも"20時くらいになるけど"と連絡をすると、"ご飯用意するね"なんて返信が来て、これが香澄さんなら最高なのにって思った。
「女?」
「うっわぁっ。」
俺が頭を抱えながら返信をしているのを不思議に思ったのか、塩谷さんがニヤニヤしながらスマホを覗き込んできた。俺はそれをさりげなく隠しながら、「違いますよ」と嘘をついた。
「ふ~ん。
まあなんでもいいけど、
メンヘラだけにはつかまんな。
大変だぞ、あれは。」
もう、手遅れな気がした。
出来るなら金曜の俺に言ってほしかったっていう言葉は心の中にしまって、「はあ」と歯切れの悪い返事をしておいた。
☆
「おかえり。」
仕事終わり、俺は素直に潤奈の家に向かった。
インターフォンを押した後ドアを開けた潤奈が新婚の嫁みたいなセリフを言ってきたから、「別に帰ってないんだけど」と精いっぱいの強がりをみせた。
「侑さんってほんと真面目だよね~。」
そんな俺をからかいながら、潤奈は部屋まで俺を通した。
そして今回はソファではなくてダイニングテーブルの方に俺を座らせて、自分はキッチンの方に向かっていった。
「はい、ど~ぞ。」
前は突然だったから残り物を出してくれたんだろうけど、今日の料理はどう見ても俺のために作られたものだった。
美味しそうなサバの味噌煮と、細かい豆腐が入ったみそ汁、サラダとひじき、そしてカブの煮物…。
絵にかいたみたいな健康的な和食が次々と机に並べられて、俺は驚きが隠せなかった。
「これ、買ってきたの?」
そう思わずにはいられない出来だった。
正直今までの彼女に、こんな料理を出されたことがない。なんなら実家でも、こんなご飯出てきたことがない。
失礼だとはわかっていながらもそう聞くと、潤奈は俺の方を見て思いっきり膨れた顔をした。
「失礼な!
ぜんぶ私が作ったの!」
「へぇ…。」
こいつは本当に、意味の分からないギャップにあふれたやつだ。
カフェの清楚な店員だと思っていたら、夜は裸みたいなバニーの格好をして働いているし、礼儀正しくて純粋な子かと思えば、大胆に誘ってくるし、それにこんな手の込んだ料理まで…。
本当にこいつのことが分からなくなって驚いた顔で潤奈の方を見ると、潤奈は俺のことなんて一瞬も気にすることなく、目の前ですごく丁寧に両手を合わせて「いただきます」と言った。
「いただき、ます。」
色々と衝撃的な出来事はあったものの、お腹がすいてそろそろ我慢が出来なくなってきた。誰かの手料理なんて食べるのは久しぶりで、どこかテンションが上がってた俺も、真似して丁寧に手を合わせた後、目の前に並んだ久しぶりの純和食に手を付けた。
「う、うまい…。」
「ほんと?!やった!」
店で出てきてもおかしくないくらい、めちゃくちゃにうまかった。
驚いて思わず箸を止めた俺の様子を見て無邪気に喜んでいる潤奈は、やっぱり不特定多数の人に体を許している女には見えなかった。
「お前、マジでプロになったほうが…。」
「プロなのよ。」
「は?」
プログラム云々は別にして、ここまでの腕前があるなら何かしら料理に関係する職に就くべきだ。そう思って言うと、当たり前って顔をして潤奈はそう言った。
「私、調理師免許持ってるよ。」
「な、なるほど。」
「前は料理人してたしね~。」
思えば俺はこいつのこと、名前と職業くらいしかしらない。
そんな状態で"キスしてほしい"と心から言わせるのなんて不可能に近いとようやく悟って、そのまま潤奈のことを聞いてみることにした。
「今は、やってないの?」
「うん。
今はあのカフェと夜だけ。」
「カフェの料理は?」
「シェフが作ってるし私はやんないよ。」
今まで俺が食べていたランチももしかして潤奈が作っていたのかと思っていたけど、それは違うらしい。
これ以上踏み込むのも良くないなとは思った。でも今聞かなくては何も行動できないと思った俺は、潤奈が俺の領域に踏み込んできたみたいにして、ずかずかと聞いてみることにした。
「なんでやめたの?」
「別に、大した理由じゃないよ。
ただ大変だったの。」
「へぇ。」
確かに料理人の世界は、大変というイメージがある。
体力的にも精神的にも大変だったんだろうなと思って潤奈の方をみると、潤奈は前みたいに、すごく悲しい顔をしているように見えた。
「お前、それ以外に…」
「ねぇ侑さんめっちゃ聞くじゃん。
もしかして私のこと好きなの?」
質問攻めする俺に、ついに潤奈は言った。
冗談を言う顔は初めて会った時みたいに無邪気な顔に戻っていて、さっきの悲しい顔は何だったんだと思いつつ、「んなわけねぇだろ」と言った。
「じゃあ、なんで来てくれたの?」
潤奈は少し真剣な顔になって聞いた。
何でと言われると難しいなと思って黙っていると、潤奈は「なぁんだ」と残念そうに言った。
「期待しちゃうじゃん。」
「なにを。」
「侑さんって私のこと好きなのかなって。」
そう言った顔はやっぱり残念そうだったけど、なぜか俺に言った発言ではないような感覚がした。その不思議な感覚を抱きつつも、潤奈には「調子いい事言うな」とだけ言っておいた。
「へへへ。
意外と手ごわいね、侑さん。」
「うるさい。」
それはこっちのセリフだと思いつつ、俺は潤奈のうますぎる飯を完食した。うますぎて毎日食べに来たいと思っているのは、秘密にしておこうと思った。
「ごちそう様。
まじでうまかったわ。」
「嬉しい。」
潤奈は本当にうれしそうな顔でそう言った。その顔はどう見ても"料理が好き"と言っている顔で、料理を嫌いになって辞めたわけではないんだろうなってことが分かった。
「皿洗いくらいするぞ。」
「いいよ、
美味しく食べてくれたからそれでいい。」
いい女みたいなセリフを潤奈は言った。
年下に料理をごちそうになって、その上なにもしないなんて気が引けたからお金でもおいていこうかとおもったけど、そっちの方が最低な行動になる気がして、素直に「ありがとう」と言っておいた。
「んじゃ、俺…。」
あまり長居をして、本当に勘違いさせる関係になってはよくない。
この後どう進めたらいいのか分からないけど、今日は少しでも潤奈のことを知れただけでも進歩だと思った俺は、ご飯を終えて早々に立ち上がった。
すると潤奈は、立ち上がった俺の腕をつかんだ。
「食い逃げ?」
「お前なぁ。」
そうは言ってみたものの、"食い逃げ"と言われたら否定が出来ない。
やっぱり皿くらい洗って帰ろうと思っていると、潤奈はごそごそと鞄をあさりはじめた。
その時、塩谷さんの言葉を思い出した。
もしかして中途半端に俺が潤奈と関係をもって、中途半端に家まで来てご飯まで食べてしまったせいで、恨まれて殺されたりしないだろうか。
少しは潤奈のこと知れたからとは言えども、本質がどんなやつなのかまだまだ分かっていない俺は、身構えながら何を取り出すのかに注目した。
「映画借りてきたんだけど、
一緒に見ない?」
俺のとんでもない妄想をよそに、潤奈が鞄から取り出したのはDVDだった。
な、なんだよ。カップルかよ。
このまま意味の分からない関係でいてしまったら、本当にいつかやばいことにならないかという心配が消えたわけではなかった。でも思いっきり馬鹿な妄想をしていた上、食い逃げと言われている手前断れなくなっている俺は、渋々「ああ」と返事をした。すると潤奈はかわいく「やった」と言って、テレビにDVDをセットし始めた。
「何飲む?ビール?」
「ああ、うん。」
こんなことになるなら何か買ってくればよかった。
反省しつつも俺は断ることなく潤奈からビールを受け取って、こないだ潤奈とキスをしたソファに座った。座っただけであの日のことを思い出しそうになったけど、また後悔に襲われそうになったから思考回路を一旦停止させた。
潤奈が借りてきたのは、海外の恋愛映画だった。
映画好きとまではいかないけど、どんなジャンルでもそれなりに楽しめる俺は、今おかれている状況も忘れて映画に集中した。
しばらく俺たちは、くっつくこともなくお互い真剣に映画を見ていた。
すると映画はどんどん怪しい方向に行きだして、ついには親とは一緒に見られないくらいの、際どいシーンになり始めた。
これ、まずいな。
何がまずいのかわからなかったけど、反射的にそう思った。
するとそのシーンがしばらく進んで本格的なセクシィシーンに入った瞬間、潤奈は俺に手を重ねてきた。
「ねぇ、
したくなっちゃった。」
こいつはこうやって、男を落としてきたんだろうか。
俺ももしかして香澄さんという存在がいなかったら、コロッと行ってしまっていたかもしれない。
でもそこで、俺はこないだ感じた後悔をちゃんと頭の中に呼び覚ました。そしてそのまま重ねられた手を、自分の膝に戻した。
「何をだよ。」
そう言ってはぐらかして、映画に集中しなおす予定だった。
でも潤奈はそれを許してくれなくて、今度は俺の首に絡まって顔をギリギリのところまで近づけた。
「わかってる、くせに。」
妹属性のくせに、色っぽいやつだな。
俺は妙に冷静にそう思った。そしてその冷静な気持ちのまま両手で潤奈の両頬を、ギュッとつぶした。
「全然わからんな。」
分からないわけはなかったけど、俺は俺自身のためにも潤奈のためにも後悔を重ねるわけにはいかなかった。これ以上ここにいたら雰囲気にのまれてしまうと思った俺は、そのままソファを勢い良く立った。
「帰るわ、明日も仕事だし。」
「怒ったの?」
急に立ち上がった俺に、潤奈は恐る恐る聞いた。その顔がまるで捨て猫みたいに見えて、心がぐらぐら揺れるのが分かった。
「そうじゃないけど、
ほんと最近忙しいからさ。」
顔を見ていたら泊まって行く気持ちになってもおかしくないと思って、俺はためらうことなく玄関の方へ向かった。潤奈はバタバタと俺を玄関まで追いかけてきて、まだしゅんとした顔でこちらを見ていた。
「じゃ、飯ありがとう。
マジで美味かったわ。」
「また、来てくれる?」
やっぱり捨て猫みたいな顔をして、潤奈は言った。
俺は自分で自分をグッとおさえつけながらも、思わず「うん」と答えてしまった。
☆
~♪
次の朝、仕事に行く準備をしていると、スマホが鳴った。
最近俺に"こんな時間に誰だよ"というセリフを言わせるヤツは一人しかいなくて、俺はそのまま着信ボタンを押した。
「なに。」
「おはようございます!」
準備をしていたからスピーカーモードにすると、部屋中に響き渡る大きな声で相沢が言った。耳にスマホを当てていたわけでもないのに少し耳が痛くて、思わず耳をおさえてしまった。
「今日は電話なのな。」
「先日時間を考えろと言われたので。」
「そういうことじゃないんだけどな」と思いながらため息をついた。
電話口の相手にため息をつかれるなんてなかなかない経験だろうけど、それでも動じず相沢は「佐々木様」と俺を呼んだ。
「このままじゃ、
セフレの一人になってしまいそうですね。」
「昨日はヤッてないだろ。」
俺とアイツがあれ以来してないことなんて、当然"把握"されているはずだ。一度は欲に負けて行動してしまった情けない自分を知られていることをどこかで恥ずかしく思いつつも反論すると、「時間の問題ですよ」と一言で論破されてしまった。
「進めるためには
相手のこと知らないといけない
ってのはわかるけど、
知るため会いに行くと
誘われるんだけど。」
「そうですね。」
半分不可抗力だと思う。
だって別に俺からは誘ってないし、話そうともしている。
難易度が上がるってこういう事かと実感しつつ本音をもらすと、相沢も珍しく困った顔をした。
「でもここからどうするか考えるのが
佐々木様の仕事ですから。」
「仕事って…。
お前アシストはどうしたんだよ。」
最初は全力でアシストするなんて言っておきながら水臭いじゃないか。
皮肉をたっぷり込めた声で言うと、相沢は電話の向こうで俺より大きいため息をついた。
「わかりました。
一つアドバイスしましょう。」
「はい。」
待ってましたと言わんばかりに、俺は目を輝かせてアドバイスを待った。すると相沢は一旦「ふぅ」と息を吐いて、「認めることです」と言った。
「は?」
「認められること。
承認欲求が満たされることは、
だれにとっても心地いい事です。」
まあ確かに、自分の存在価値を他人に認めてもらう事ってとても大事だと思う。
だから褒められたり認められたりするのって嬉しいんだろうけど、でも今のところ潤奈を褒めてあげられることなんて、料理くらいしかないと思った。
「それでは、頑張ってください。」
「ちょ、おま…っ。」
まだ俺が話しているっていうのに、相沢は一方的に電話を切りやがった。
あいつのアドバイスはいつもアドバイスのようで、謎解きみたいだ。そんなもん得意でも何でもないから答えから教えてくれよと心の中で文句を言いつつ、このままでは間に合わなくなりそうだったから、とりあえず準備を急いだ。
☆
"今日もご飯食べに来てよ!"
あいつのバイトが休みになる度、そのメッセージが来るようになった。
断る日だってあったけど、毎回断っていたら何も始まらないということは分かっていたから、あれから数回は潤奈の家にご飯を食べに行った。
そしてその度、潤奈は定番と言わんばかりに誘惑してきた。プログラムを進めるためと思って家に行ってはいたものの、実際は誘いを断るのに精いっぱいで、関係は何も進展させられてないように思えた。
「認められる、ねぇ。」
そうは言われても何をどう認めたらいいのか。アイツはそもそも認められたいと思っているのか…。
何もわからなかったけどこのまま避けていては何の解決にもならないと思って、とりあえずそのメッセージには"了解"とだけ返信をしておいた。
「おかえり~。」
潤奈の家に行くと、もう定番の挨拶かのようにそう言って迎えられた。俺はもう何の反論もしないまま買ってきたビールを潤奈に渡して、慣れた様子でダイニングテーブルに座った。
「今日はハンバーグ~。」
今日も相変わらずおいしそうに盛り付けられた皿をテーブルに置いて、潤奈はにっこり笑った。もし俺たちが付き合っている関係だとしたらめちゃくちゃ幸せなのになと思いつつ、今日も丁寧に「いただきます」と言って手を付けた。
「うっま。」
「ほんと?!やったっ!」
潤奈は大げさに喜んでそう言った。やっぱり料理するの好きなんじゃないか。
大変なんだろうけど、これだけ好きそうなことを"大変"ってだけでやめてしまうことには、違和感を覚えずにはいられなかった。
「お前さ。」
「ん?」
「そんな稼いでんの?」
ずっと気になっていたことを、ふときいてみた。
「え?なんで?」
「だってお前このマンション、
家賃いくらなんだよ。」
俺がそう言うとようやく「ああ~!」と質問の意図を理解した様子で、潤奈はクスクスと笑った。
「ここはね、
お客さんが払ってくれてんの。」
「は?」
「飼われてるんだよ~。」
楽しそうなテンションでハンバーグを食べながら潤奈は言った。
聞かなくてもわかることかもしれないけど聞かずにいられないおせっかいな俺は、恐る恐る口を開いた。
「そいつとも、してんの?」
「当たり前じゃん!
おじさんなんだけど結構元気だよ。」
聞きたくもない言葉を、当たり前って潤奈は言った。
このハンバーグも、もしかしてそいつのお金で買ったのかもしれないと思うとぞっとして、急に食欲がなくなった。
「どしたの?」
さっきまでバクバクと食べ進めていた俺が急に手を止めたのを不思議に思ったのか、潤奈がそう聞いた。俺はその質問も無視して急に立ち上がって、潤奈の寝室に向かった。
「え?え?
侑さん?」
寝室に入って、まっさきにベッドの横にある棚の引き出しを開けた。
前俺がヤッてしまったとき、潤奈はここにゴムが入っていると言って俺にそれを取り出させた。あの日のように引き出しを開けてみるとそこには、俺が使ったものとは別のものの箱が入っていた。
「あれから、2週間も経ってないよな。」
「あれから?」
「あ、もしかしてあの日?」と楽しそうに潤奈は言った。
確か俺がゴムを使ったあの日、箱は新品だった。そしてこの別の箱の中身はあと1つのところまで減っていて、それはこいつがこの期間でそれだけしたってことを意味していた。
「お前、これ。」
「もうちょっとだよね。
でも今日の侑さんの分はあるよ。」
潤奈はそう言って、俺に抱き着いた。
そのまま振り返って潤奈の顔をみると完全に発情していたけど、俺はそれを無視して潤奈の手首をもって、壁に押し付けた。
「ちょっと、侑さん…っ。」
なぜか少し照れた顔をしている潤奈の顎をもって、自分の顔を近づけた。するとただならない気配を感じたのか、潤奈は少し怖い顔をした。
「お前、怖くないの?」
「なにが?」
潤奈は強気な声で言った。俺も今の姿勢を崩すわけにはいかなくて、怖い顔を崩さなかった。
「このまま俺がお前を犯すかもしれない。
首を絞めて殺されることだって、
ないとは言い切れない。」
「怖くないよ。」
潤奈は怖い顔を一気に色っぽい顔に変えてそう言った。
「侑さんになら、
殺されちゃってもいいよ。」
そう言って潤奈は、空いた片手で俺の下半身を撫でた。
こいつはただの痴女なんだろうか。
性欲は人間の3大欲求だから、快感を求めてこういうことをすることだって、悪いことじゃないのかもしれない。
でも本当に、それだけなんだろうか。
だとしたらあの悲しい顔は、なんなのだろうか。
近くでしっかりと潤奈の目を見てみると、ただ色っぽいだけじゃなくて、やっぱり寂しそうな目をしている気がした。
「お前、何があったの?」
もしかしてこの目が、相沢が言っていた"変化"なのかもしれない。
そう思って今度は直球勝負で聞いてみると、潤奈は一瞬すごく動揺した顔をした。それでもすぐに持ち直して「早く…」とごまかしたけど、俺はその行動で自分のなかにある"疑惑"みたいなものを"確信"に変えた。
「何があったんだよ。」
「何があったって、
セックスしたいだけじゃん。」
「嘘だ。」
絶対こいつは何かを抱えている。
今までは恐る恐るしか踏み込めなかったけど、それを確信した俺は、もう潤奈に乗せられまいと必死で食い下がった。でも潤奈もなかなか手ごわくて、疑う俺に「嘘じゃないよ~」と明るい笑顔を見せた。
「もう…っ。
あの日はあんなに満たしてくれたのに。」
「お前はそれで本当に満たされてんの?」
潤奈はやっぱり寂しそうな表情はしていたけど、それでも折れずに「当たり前じゃん」と言った。もうこれ以上せめてもどうにもならないなと、掴んでいた手首から手を離すと、潤奈は一瞬の隙に俺の両頬をもって顔を固定して、そのまま唇を重ねた。
「…んっ。」
唾液を流し込まれるみたいな、濃厚なキスだった。
俺の下半身はそれでついに反応しかけたけど、俺は必死で潤奈を自分からはがした。
「やめろ。」
「したいの…っ。」
「潤奈。」
今度は手を俺の下半身にもっていこうとする潤奈の両手を、俺は自分の両手で握った。そしてもう発情しきっている目を、しっかりと見つめた。
「俺はもう、お前とはヤらない。」
「したく、ないの?」
そういうことじゃなかったけど、俺はその問いに「うん」と答えた。
「でもお前としたくない、とかじゃない。
愛のない行為を、したくない。」
「真面目だね、侑さんって。」
潤奈は呆れたみたいにそう言った。
確かに真面目すぎるのかもしれないけど、俺はそうやって生きてきたし、これからだってそう生きて行くしかない。
「お前も、そうなんだろ?」
「え?」
本気でそう言うと、潤奈は頭にはてなをいっぱい浮かべて俺を見た。
「満たされないんだろ?
誰としたって。」
「そんなこと…。」
「あるんだ、きっと。」
多分、相沢が言っていた"砂糖のないコーヒー"みたいなものだ。
こいつは確実にセックスが好きだ。好きでやってるけど、どこか満たされなくて、足りなくて、だから不特定多数の人とすることで満たされた気になっている。
「何があったか知らないけど、
お前はそれを解決しない限り、
だしの入ってないみそ汁を
飲み続けているようなもんだ。」
「は?」
俺は相沢の例を潤奈にもわかりやすいように変換して言った。
潤奈は本当に意味が分からないって顔をしていたけど、俺はそれを気にすることなく話を続けた。
「みそ汁は、
だしが入ってた方が美味しいだろ。」
「そりゃね。」
"当たり前でしょ"と言わんばかりに、潤奈は言った。
「だしが入ってなくても
美味しいのかもしれない。
でも何か物足りないんだ。」
そんな潤奈の気持ちを置き去りにしたまま続けると、潤奈はうつむいて、何かをじっくり考えるような深刻な顔をした。
「お前のセックスは、それだ。」
「意味わかんない。」
相沢ごめん、やっぱり通じなかった。
そう思いながら言った。でもきっといつか分かってくれる日が来ると信じて、俺はまっすぐな気持ちで潤奈を見た。
「でも知らないわけじゃないんだろ?
だしの入ってる、みそ汁。」
相沢は潤奈はそれを"知らない"と言ったけど、俺は何となく、潤奈は"愛のある行為"だって知っている気がした。知ってるからこそ、満たされないと感じるのではないかと思った。
だけど潤奈はそれでも折れなくて、「わけわかんないし」というだけだった。
「わけわかんないよな。ごめん。
でも俺はもうお前とはしない。
それが嫌なら呼ばないでくれ。」
「ケンちゃんと、しちゃうからね。」
「別にいい。」
可愛そうだとも思ったけど、このまま中途半端なことをし続ける方がよっぽどよくないと思った。だからはっきり断ってみたけど、それを聞いて今までで一番悲しそうな顔をした潤奈を見たら、一瞬心が揺らいだ。
「それでお前がいいなら、
それでいい。
でもこれ以上、
お前の心がすり減るのも見てられない。」
俺はそう言って寝室から出て、荷物を持った。潤奈はもう俺を追いかけようとはしてこなくて、ただ茫然と立ちすくんでいた。
「怖かったよな。
ごめんな。」
もしかしてこれで潤奈に嫌われたら、プログラムがここで終わってしまうかもしれない。その危機感はあったけど、こうするしか出来なかった不器用な俺は、そのまま潤奈の部屋を後にした。
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