エピローグ-3 その女、相沢


一人暮らしのマンションの1室程度。

決して広いとは言えないその事務所には、所狭しと8つの机が並べられている。だが現在ほとんどの社員は帰宅の途についていて、机に座っているのは男女1名ずつだ。



「夜分遅くに失礼いたします。」



黒いスーツに、長い黒髪を一つに束ねたキャリアウーマン風のその女は、忙しくパソコンを叩きながら、どこかに電話をかけていた。



「はい。

ターゲットの矯正が完了致しましたので、

取り急ぎ報告させていただきます。」



男は仕事をすることなく、肩肘をついてたまにあくびをしながらその女の仕事っぷりを見つめていた。



「はい。

佐々木侑です。」



女は電話をしながら、無言で書類を男に手渡した。男はまたあくびをしながらそれを受け取って、内容もロクに確認しないまま、自分の印鑑を押した。



「奥様のご依頼通りになりました。」



依頼者であるらしい電話の向こう側の"奥様"という人に、女は初めて笑顔でそう言った。電話だから笑顔は伝わらないんだろうけど、声色も心なしか明るかった。



「近々娘様がお連れになって

ご挨拶されると思いますので、

その際はぜひフォローをお願い致します。」



そう言って女は、一気に無表情になって電話を切った。男は女に思いっきりため息をついて、印鑑を押した書類を渡し返した。



「お前さ~、ホントすごいよな。」

「何がでしょう。」



男は本当に感心した様子で、女に言った。女はそれを気に留めることもなく、次の書類の作成に取り掛かったみたいだった。



「その仕事っぷり。

さすがだよ。」


半分呆れた様子で、男は言った。女は一瞬さげすんだ目で男を見た後、「先輩も見慣れってください」と言った。



「いつから考えてたの?」

「何をですか?」

「案件を4つも同時進行しようって。」



男はやっと自分のパソコンに向かいながら、またあくびをした。女は正しい姿勢でパソコンを叩きながら「そうですね」と言った。


「有巣様の奥様から

依頼を受けたあたりですかね。」

「もうその時点で見越してたと。」



女はそんな話をしている間にも書類を一つ作成して、また男に手渡した。



「見越してたわけではありません。

とにかく忙しかったので

一気に出来ないかその方法を考えたまでです。」



当たり前というテンションで、女は言った。男はやっぱり大きなため息をついて、書類に目を通した。


その書類の依頼者名には"有巣圭子"という名前が、ターゲットの欄には"有巣香澄"という名前が記載されている。




「正直そんな方法はないと

最初はあきらめかけましたが、

香澄様を調査し始めた時、

佐々木侑が偶然現れたので、

本当に私はラッキーでしたね。」

「まあ無謀な依頼だよな~。

恋をさせて娘の人生を矯正してほしいなんて。」



男は報告内容を今度はきっちりと眺めながら、女に言った。女もそれには「ですね」と同調して、また次の書類に取り掛かった。



「でもほんとすごいよな。

不倫女と別れさせたいっていう依頼の不倫相手が、

その佐々木侑と同僚だったなんて。」

「まあ本当に、それはよかったです。」

「でも後はこじつけだろ?」



女は男と目を合わせる事もなく、「そうですね」と答えた。そのパソコンにうつしだされている報告書のターゲット名には、"鎌田朱音"と記載されている。



「手伝うよ。」

「やっとですか。」



女は悪態をつきながら、男に太いファイルを手渡した。男は渋々それを開いて、報告書の作成を始めた。



「ターゲットは、

芦田潤奈、と。」



男はペラペラと内容を口に出しながら、打ち込みを始めた。



「あれ、このターゲットって…。」

「依頼者は岡正博、

関係は元カレです。」

「よく覚えてんな。」



「依頼書確認してくださいよ」と、女は男をにらんだ。男は「ごめんごめん」と謝りながら、ついにパソコンの方に向き合った。



「えっと、

罪悪感から本件を依頼っと。

罪悪感持つくらいなら

浮気なんてすんなよな。」

「先輩、ターゲットに感情移入は禁止です。」



「分かってるよ」と言いつつ、男はまたゆっくりと文字を打ち込み始めた。



「でもさ。

もし佐々木侑が

芦田潤奈と付き合ってたらどうしたの?」

「その時はまた他の方法を考えました。」



女は何を言われても淡々と仕事をすすめた。男は横目でそれをいて大きなため息をつきながら、相変わらずゆっくりと文字を打ち込んだ。



「え、こいつって、

お前があそこで働かせたの?」

「はい。

無理やりでも佐々木侑と

接点を持たせる必要があったんで。」



「こっわ」と男は女を見たけど、やっぱり女は全く気にしていなかった。



「先輩、もうできたんですけど。」

「げっ、早。」


そうこうしているうちに女はもう一つ報告書を完成させて、男へと手渡した。報告書のターゲットの名前には、"深山環希"という記載がある。



「このターゲットとのこじつけは

かなり雑だったけどな。」

「半分賭けでしたね。」



女は伸びをして、散らかったファイルを片付け始めた。その様子を見て、男は急いでパソコンに向かいなおした。



「お前さ

別にターゲットでも何でもない佐々木侑の元カノも

アイツに矯正させたよな?

あれ、なんで?」



片づけをしながら、女は深いため息をついた。男はそれをチラッとみたけど、また報告書の作成に戻った。



「あんまり関係ない人ばかりだと、

かえって怪しいなと思ったからです。

関係ある方を選ぶことで、

こちらの本当の目的を

カモフラージュしました。」

「お前ってほんと、

敵に回したくないよな。」



「先輩とは今でも見方ではないです」と、女は言い切った。男は「かわいくねぇやつ」と言って罵ったけど、やっぱり女の心には届いていないようだった。




「なんで佐々木侑だったの?」



男はようやく報告書の作成を終えたようで、伸びをしながらそう聞いた。女は手を止めることなく、「特に理由はありません」と答えた。



「もちろんあの日、

有巣香澄と接触があったから

というのが一番の理由ですが、

決め手となったのは…。」

「なったのは?」

「女の、勘です。」



自信満々に言う女に、男はまた「こわ」と言った。そして部屋の整頓を終えた女に書類を手渡すと、椅子から立って軽いストレッチを始めた。



「佐々木侑もかわいそうだよな。

何にも関係ないのに

お前に利用されて。

その上中途半端矯正委員会って…。

失礼すぎんだろ。」



女は今度は自分の荷物をまとめながら、男の方をにらんだ。



「いいじゃないですか。

一生のお相手を

見つけられたんですから。」

「まあ、それはそうだな。」



男もストレッチを終えて、自分の荷物に手をかけた。



「それにしても

中途半端矯正委員会なんて

よく信じられるよな。

しかもお前、"把握してる"とか言って

ただ盗聴と監視してただけじゃん。」

「それだけ純粋な方だったんですよ。」



女はキレイに机の上を整頓しながら、どこか遠い目をして言った。男はそれを横目で眺めた後、「ふ~ん」と一言言った。



「それに、報酬は一つ渡してます。」

「なに?」

「スマートウォッチです。」

「それだけかよ。

ってか予算降りたの?!」



男は荷物をしまう手を一旦止めて、驚いた顔で女に聞いた。女は持っていた手帳をパンっと勢いよく閉めて、「出るわけないじゃないですか」と言った。



「有巣様の奥様が、

かかった費用は全て負担するとおっしゃられたので。」

「お金があるっていいですね。」

「ですね。」



二人は会話をしながら、事務所の電気を消していった。



「今度は奥様本人の矯正に入るんだろ?」

「はい。

個人的にもあの男は気に入らないので

慰謝料たっぷり請求して離婚できるよう

これからじっくり証拠集めします。」



時に女は、探偵のような役割も果たすようだ。


今まであまり力がこもっていな方女の言葉に力が込められているのに男もさすがに気が付いたようで、「こっわ」と小さく言った。



「それにしても、

あの記憶を消すとかいうレーザー、

改良が必要だとラボに伝えてください。」

「でも不良だったおかげで

有巣香澄と佐々木侑がくっついたんだから

結果オーライじゃん。」

「まあそれは確かに。」



電気を全部消したことを確認して、いよいよ二人は入口の方へと向かっていった。


「プログラムをやめるって

佐々木侑が言い出した時、

どう思ったの?」

「あの時は正直、焦りました。

次のプランも浮かばなかったですし。」

「お前にも焦る事あるのな。」

「もちろんです。」



二人は相変わらずペラペラと話をしながら、事務所を後にした。



「打ち上げ行く?」

「あ、もしもし。」



男の打ち上げの誘いと同時に、女は電話を取った。男はそんな女のことを、思いっきりにらみつけたけど、女の目にはもはや男の姿は入っていない。



「お世話になっております。

人生矯正クリニックの相沢です。」



その女は名を、相沢という。

依頼者から依頼を受けた本人を含む対象の、人生の軌道を修正する仕事をしている。

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中途半端を矯正すれば、俺でも女神を落とせるらしい きど みい @MiKid

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