自殺しようとしている隣の家の超絶美少女を止めたら、なぜか僕に偽物の彼女が二人も出来た。

にいと

第1話 一人目の彼女

「自殺しようとしてるの?」



 あっさりとした語調で、僕はそう言った。


 新入生が参戦し、二年生へと進級したばかりの四月半ば。喧騒を産んだクラス替えも落ち着き、新たなクラスカーストが定まりつつある中、僕は昼休みになると校舎の屋上に向かった。

 錆びた鉄製の扉を開けた先に映ったのは、鉄柵を超えて小さな足場に佇む女の子であった。多分、僕が何も躊躇わずにそう訊ねられたのは、そこにいたのが隣家に住う同い年の幼馴染だったからだろう。

 故に、僕は淡々とした口調で再度訊ねた。


「自殺しようとしてるの?」

「………………」


 沈黙を貫く彼女は、小中を共に進んできた隣家の幼馴染――加えて、進級して新たなクラスメイトとなったばかりの寺嶋更紗てらしまさらさだ。

 無愛想で人見知りで臆病だけど、肩辺りで切り揃えた黒髪は艶があり、藍色のつぶらな瞳も桜色の唇も男子を焚き付けるのには十分すぎるほど愛嬌がある。


 僕なんかとは違って、更紗には少なからず親しい友達もいるし、同級生の男子からも告白の的にされていると聞く。だからこそ、彼女が自殺しようとしている意味がわからなかった。


「……なんでもいいでしょ。凜々人には関係ない。それとも、今になってするつもり?」


 僕を、久遠凜々人くおんりりとを睨み飛ばしてくる。

 今になって、か……。痛い所を突いてくるな。僕は中学二年の終わり頃の記憶を掘り起こしながら、しばし返す言葉を模索した。


「目の前で知人に死なれるのも寝覚めが悪いだろ。それにほら、ここには僕と更紗の二人きりだし、もしかすると他殺の線を疑われるかもしれない」


 適当に言葉を紡いでいくと、更紗はあからさまにムッとして抗議してくる。


「じゃあ凜々人がここから離れればいいじゃん。それまで待つからどっか行って」

「つまり僕がどこにも行かなければ、君は自殺しないのか?」

「そ、そういうわけじゃないもん……っ」


 駄駄を捏ねるように地団駄を踏む更紗を見て、僕は思わず彼女の元まで近づき、その白くて細い腕を掴んだ。


「ばか、危ないだろ。さっきも言ったけど、ここで更紗に死なれたら寝覚めが悪いんだよ。夢の中に怒って出てきそうだし」


 ――あの時みたいに。

 危うく、口を滑らせてしまうところだった。

 しかし、更紗は言葉の続きを察したようで若干片眉を引き攣らせながら、「ふ〜ん」と意味深長に口を開いた。


「じゃあここで飛び降りれば、凜々人は私のこと忘れられなくなるね」

「そんな子供じみたことばかり言ってるから成長しないんだよ、どこがとは言わないけど」

「っ〜〜〜〜〜〜、な、なっ⁉︎」

「ほらみろ、図星じゃないか。いいからこっちに戻ってこい」


 半ば強引に腕を引き寄せると、更紗は観念したように鉄柵に足を掛けて――途中、スカートが捲れて青と白の縞パンが垣間見えながら――慎重に鉄柵の内側へと戻ってくる。

 僕は堪らず視線を逸らした。それはもう、捩って引き千切れそうなほど首を回して。それが余計な不信感を招いたのか、更紗は小首を傾げた直後、かーっと赤面になって僕の脛を蹴り始めた。


「うぅ〜〜〜〜、このっ、このっ! さっきも私の胸を小さいってばかにしてっ!」

「い、痛いってば! というか、僕は胸が成長してないとまで言ってないだろ! それなのに胸と断定したってことは、自分で自覚が――痛っ⁉︎」

「ばかっ、あほっ、あんぽんたんっ!」

「ご、ごめん、この通り謝るからっ! その足を止めてくれ⁉︎」


 更紗の怒りが発散されたのか、ややあって僕の脛は解放された。

 ……別に胸が小さいのは事実だろ、この貧乳女め。

 痛みに悶え、心の中で呟きながら、僕たちは塔屋の外壁を背にして座り込んだ。更紗は僕と密着するほど近い距離に身を置くと、ふわりと甘い匂いが鼻腔をくすぐった。

 やがて緊張感が解けたのか、更紗は嘆息を漏らす。


「……凜々人は、なんで私が自殺しようとしていたのか聞かないの?」

「無理して聞こうとは思わないよ。更紗から話してくれるのなら別だけど」


 僕はぶら下げていたビニール袋から菓子パンを取り出して、ぶっきら棒に返事をする。

 ややあって、更紗は諦観するように語り始めた。


「わかった、わかったよもうっ! 話せばいいんでしょ話せば! 下らない話だって笑わないでよね!」

「なら最初からそうしろ、めんどくさい――痛い、痛いです、生意気な口を聞いてごめんなさい、この通りです、話を聞かせてください」


 ぎゅっと腕を抓ってくる更紗に対し、僕は仰々しく謝罪と回心の意を見せると、彼女は納得がいかなそうに頬を膨らませて話を進めた。


「私ね、小説を書いてるんだ」


 更紗は突拍子もなく告白した。

 それに対し、僕は特に意味を含ませず「ふーん」と相槌を打つ。


「あ、あれ、もっと驚いたりしないの?」


 彼女はパチクリと目蓋を開閉して、戸惑いを見せた。


「まぁ、なんとなくわかってたから」


 僕と更紗は隣接する一戸建て住宅に住んでいて、窓越しに僕の部屋から彼女の部屋を覗けるのだが、窓の先で更紗がノートパソコンの画面と睨めっこしている姿はよく見ていた。

 更紗が読書家なのは周知の事実だし、あの中学二年の記憶を振り返れば、彼女が執筆を嗜んでいることも類推できる。


「なんとなくって……もっと具体的に言ってくれなきゃわからない」

「なんでもいいだろ。ほら、それより続き」


 それに……具体的に話したら、お前ぶん殴ってくるだろ。

 前置きしておくと僕は風に当たりたくて窓から身を乗り出していただけなのだが、余計なことを口にすれば「覗き」だの「変態」だの、あらぬ濡れ衣を着せられるのは火を見るよりも明らかであろう。

 僕は顎をくいっと動かして、話の続きを催促した。


「むぅ……それで昨日ね、新人賞の一次通過の発表があったんだけど――」


 ああ、なるほど。

 僕は天を仰いで、更紗が死に至ろうとした気持ちを悟った。

 つまり、心血を注いで作り上げた作品が落選して凹んでいたのだろう。この様子を見ると、新人賞への参加は初めてだろうか。

 けど、だからと言って自殺するのは早計すぎる気もするが――



「六回連続で落ちちゃって」

「――ぶーっ! けほっ、けほっ!」



 僕は慌てて口元を抑えて、お茶を飲み込んだ。

 ろ、六回……? まさか、新人賞の一次通過を六回も連続で落ちたって言うのか?

 確かに書籍化への道のりは険しいものだし、新人賞の一次通過率が低いのも知ってはいるが、だからと言って六回も連続で落ちるのは、もはや「向いてない」の一言に限るだろう。


「……凜々人、なんで今吹いたの」

「な、ナンデモナイヨ……」

「……やっぱり、向いてないとか思った?」

「それは、まぁ……」


 僕は肯定も否定もせず、言葉を濁した。

 ここで「そんなことない」と断言できるほど、僕は無責任な発言をできない。

 やがて更紗は顔を俯かせて、ぐしゃりと表情を歪めた。彼女の白くて綺麗な頬に、涙の筋が走る。


 だけど、僕には掛ける言葉がない。僕には慰める言葉がない。

 僕は過去に彼女と同じ道を辿って――失敗しているから。


「選評には『キャラクターへの共感性が低い』とか、『一定のリーダビリティはあった』とか、『物語の入りはよかった』とか、『多読多作による研鑽を積みましょう』とか、『文章力が乏しい』とか、毎回同じこと書かれて、もうどうすればいいのかわからなくなって……」

「それで自殺しようとした?」

「うん……今の私じゃどうしようもないから……それならいっその事、来世の私に賭けてみるのも悪くないかなって、えへへ」


 依然として涙を流したまま、更紗はにまぁと口角を上げた。

 昔から臆病で無愛想で引っ込み思案なことは、嫌という程知っている。そんな彼女が強がりの笑顔を見せて、僕は、僕はなんて言葉を掛ければいい……?


「その、さ……実際に選評を見たわけじゃないから、これは憶測の域を出ないんだけど……聞いた限りだと、多分、ストーリーの構成自体は大丈夫なんだと思う。問題は『キャラクターへの共感性』と『文章力』の方で……ええっと」


 しどろもどろに思ったことを連ねたせいか、言葉に詰まった。

 僕は一考を挟んでから、更紗と目を合わせて話を続ける。


「とりあえず、文章力は執筆を重ねて鍛えていくとして……今一番大事なのは、いかに読者をキャラクターへ感情移入させるかってところなんだけど、これは作者の人生経験に左右されやすいことだから。その証拠に、受賞作家の平均年齢は高い傾向にあるだろ?」

「……つまり、どうすればいいの?」


 いつしか更紗の涙は止まっていた。

 代わりに彼女は僕の顔を覗き込んで、真剣に耳を傾けている。

 自身の課題を改善するため、仲違いした僕にまで意見を求めてくる姿勢は素直に尊敬に値するだろう。更紗がどれほど真剣に取り組んでいるのかひしひしと伝わってきた。

 それなら僕も遠慮はしないで、ここは一つ、ご高説賜らせるとしよう。



「要するに、彼氏も作ったことない恋愛経験ゼロの更紗には百年早いってこ――」

「死ねっ! 今すぐそこから飛び降りて死ねっ!」



 ――ぺちん。

 強烈な張り手を受けた僕の頬は、悲しいかな、真っ赤に腫れていた。

「理不尽だ……」と嘆きながらペットボトルを頬に当てて冷やしていると、更紗はいきり立つように腰を上げて、僕に指を指してこう言った。



「そ、それなら凜々人が私の彼氏になってよっ!」

「…………は?」


 これが、僕の学校生活を狂わせる始まりだったのだ――。

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