第27話 ナンパとラーメン
ガヤガヤとした喧騒が街中を包んでいる。
栄のカラオケを出た僕は地下鉄の出入口を探して歩いていた。すれ違うリア充や友達ぐるみの集団が目の毒で、つい顔を俯かせてしまう。今や僕の隣を歩く彼女はいない。
当然の報いと言えばそうなのだろう。どの物語でも浮気者の末路は孤独か元カノによる刺殺と相場が決まっている。
「……あれ、僕刺されたりしないよね、大丈夫だよね」
そう呟くと、一気に不安が募ってきた。
更紗や花恋が包丁を握り締める様が容易く想像できて、不意に武者震いしてしまう。流石に偽物の関係で殺傷事件が起きることもないだろうと自分に言い聞かせて、雑念を振り払った。
それよりも今は離れてしまった心の距離を取り戻すことが優先だ。精神的な疲労や苦痛はそのまま創作に直結して影響が及ぶ。作品の質を落とすような真似だけは絶対にしちゃいけない。
なにか寄りを戻すキッカケがあればいいけど……。
「――なぁ、いいんじゃんかよ。オレらと遊ぼうぜ、な?」
「……いえ、その……もう帰らないといけないので」
甘く、しかし震えた声音が耳に入る。
僕は思わず顔を上げると、地下鉄に続く階段の前に花恋がいた。二十代前半くらいだろうか、複数名の男性が花恋を囲むように集っている。
考えるよりも先に走り出していた。
隙間を縫って手を取ることは難しそうなので、一番細身そうな男の背中に肩をぶつける。
――ガンッ!
男がよろめいて出来た隙間から花恋の手を取り、急いで階段を降りていく。
「おいこら待てやガキッ!」
「すみませんがこの子は僕の彼女なんでッ!」
ガタガタッ、ゴトゴトッ。
背後から階段を鳴らす音が響いてくる。
追われることに焦燥を感じるが、地下鉄の中に逃げ込んでしまえばこちらの勝ちだ。改札を通り越してから振り向くと、男たちは舌を打ち鳴らして踵を返していった。
「……はぁ、はぁ……これだから名古屋は嫌いなんだ……」
僕は息を切らしながら、嘆息ついた。
花恋も膝に両手をつきながら、肩で呼吸をする。
「どうして……なんで助けてくれたんですか……」
息をすると同時に、たゆんと大きな胸が揺れた。
僕は視線を逸らしつつ、なんでもないように答える。
「困ってる彼女を助けるのは彼氏の務めだろ。でもごめん、冷静に彼氏を演じていれば追われることもなかったよね」
「……かっとなりすぎです」
「花恋は僕だけのものだからな、他の男に囲まれてるのを見て怒り狂っちゃった」
「なんですかそれ、二股掛けてる彼氏が言うセリフじゃないですよ」
「……ごもっともです」
少し落ち着いてから、花恋が僕の腕に抱きついてきた。
柔らかな感触が腕を包み込み、コツンと肩に頭を乗せられる。
「……怖かったです」
「僕もだよ」
「先輩がいなかったら、わたし、わたし……」
「安心しろ、ちゃんと家まで送り届けるから」
「……はい……ありがとうございます」
生気の欠けた桜色の瞳に、涙が溜まる。
僕は花恋の髪の毛をわしゃわしゃと乱して、「帰るぞ」と名城線左回りのホームまで移動した。
念の為、更紗にLINEを入れておく。『今どのへんだ?』と送り、『金山駅から電車出たところ』と返事が来たので、花恋みたく変な輩に絡まれている心配は無さそうだ。
スマホを鞄の中に片付けて、僕たちは到着した電車に乗り込んだ。
***
「先輩、ラーメン食べたいです」
金山駅に到着し、車内から流れ出るように地上へ上がると、だいぶ調子を取り戻した花恋がぽつりとそう言った。
「別に構わないけど、なんでラーメン? もっと女の子っぽいお店とか沢山あるだろ」
「今からパンケーキとかパフェとか食べる気分になれます? わたしは機嫌と気分と先輩の悪さのせいで吐く気しかしません」
「わかったから僕のお豆腐メンタルを傷つけないでぇ……」
しくしくと目元を手の甲で慰めていると、ブルゾンの裾を引っ張られた。
「ほらほら、早く行きますよ〜」
「僕は犬かなにかですか? お願いだから普通に横を歩かせてもらえます?」
「先輩が口にしていいのはワンだけですっ!」
「四つん這いになってスカートの中覗くぞこら」
仕方ないですね、と花恋が裾から手を離す。
南口から駅外に出て左手の道路を進んでいく。タクシーの行列で道路の半分ほど埋まっていたが、名古屋市内の駅周りではよく見かける光景だ。運転手が退屈そうに煙草を咥えているのを横目に歩いていくと、やがて横浜家系ラーメンの看板が見えてくる。
「ここです」
「……唐突にキャラをぶち壊しに来たな」
「なんですか、文句があるなら聞きますよ」
「いや、あざとくウザく生意気を売りにしている君とは無縁そうな店だと思っただけさ」
コツンとふくらはぎを蹴られた。
風情を感じる木製の扉を開くと、店主が「いらっしゃいませッ!」と快活な声を上げる。店内はややこぢんまりとしているが、夕暮れ前の微妙な時間帯も相まって客足は少なく、特に窮屈さは感じられない。
「先輩もわたしのと同じでいいですか?」
「あ、ああ……って、自分の分くらい自分で払うよ」
「いえ、ここに連れて来たのはわたしですから」
僕は渋々と了承し、代わりに花恋の上着を受け取ってハンガーに掛ける。壁に吊るしていると、その間に彼女が麺の硬さや背脂の量を店主に伝えていた。
二名掛けの席に座ると、花恋はにへらと口元を歪ませる。
「後輩に奢られるのは癪ですか?」
「そりゃ先輩としての面目が立たないからな」
「先輩って意外と律儀ですよね。でもほんと気にしないでください。これでもわたし、SNSでイラストの依頼を受けているのでお金には困っていないんです」
僕はグラスに水を注ぎながら訊ねる。
「それは個人間の依頼ってこと?」
「はい。主にゲーム実況者のアイコンとか、歌ってみたのカバーイラストとかそういうのですね。ラノベや雑誌の挿絵じゃないので一枚一枚の依頼料は安いですけど、高校生のわたしからすれば結構な額です」
へぇ、と僕は感嘆の声を漏らした。
花恋は男女の仲を表現するのが致命的に下手くそだが、女性キャラ単体などの絵は非の打ち所がないほど上手い。得意不得意な依頼を取捨選択し、花恋なりに頑張って引き受けているのだろう。
それに、PixivからTwitterに流れ着いたファンが有償で依頼する、というのは今時珍しくもないはずだ。
「そうやって簡単に言うけど、自分の絵に値段を付けてもらえるって相当凄いことだと思うよ」
「ですね、わたしもファンの方には頭が上がりません」
「僕には頭上がりっぱなしだけどね。そろそろ態度を改めてもいいんだよ?」
「は? 浮気した人がなに言ってるんです? 割り箸で目ん玉ぶっ刺しますよ」
「ヒッ…………」
花恋が水を飲む。
グラスに薄く口紅の跡が付いた。
「……未だに出版社やゲーム会社から商業の誘いが来ないのは腹立ちますけどね」
「それは……地に足付けて頑張るしかないな……」
「はいです。苦手を克服して、Pixivでいっぱい目立って、どうだわたしのイラストは凄いだろって出版社のビルの前で叫んでやります」
「ただの迷惑な絵師じゃねぇか」
二人してクスクスと笑うと、僕はもう一つだけ訊ねた。
「花恋がイラストレーターになりたいのは知ってるけど、ほら、イラストにも色々あるだろ。ラノベの挿絵とかゲームのキャラクターとか雑誌の表紙絵とか。花恋はなにをしたいんだ?」
「ゲームやオリジナルアニメのキャラデザとかキービジュアルとか、パッと思い浮かぶものは全部やりたいですよ。ただ――」
花恋は机で頬杖を付き、昔を懐古するような口ぶりで答える。
「やっぱり一番は、ラノベのイラストを描くことですかね」
「そっか、なんか嬉しいな」
「えー、なんで先輩が嬉しがるんですかぁ、キモいです」
余計なお世話だ、と口先を尖らせていると、ちょうど二人分のラーメンが運ばれてきた。
味濃いめ、背脂多め、麺硬めに選択された家系ラーメンを食べて胸焼けしたのはまた別の話だ。
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