第28話 本物の関係だったのなら

 花恋を家まで送り届けてから帰宅する。

 玄関扉を開けるとたたきに小さな女性物の靴が揃えられていた。

 母親の物でもないし、そもそも両親は今日も仕事で帰ってこないはずだ。それにこの靴は先ほど名古屋で目にしたばかりの物。リビングに照明が付けられているので、靴の所有者はそこにいるらしい。

 僕は息を整えてリビングに向かった。


「……あ、おかえり」


 キッチンで料理の手を一旦止め、更紗が顔を見せた。


「……ただいま」

「ん……手、洗ってきたら?」

「わかった」


 僕は敢えて洗面所ではなく、キッチンの流しで手を洗う。

 ジャーッと流れる水の音は、気まずい空間をより強調していた。

 まるで同棲一年目の喧嘩したカップルみたいだ。


「……なにか手伝おうか? てか、今日は僕が当番の日だろ」

「カラオケ、お金払わずに出て行っちゃったから。これくらいはさせて」

「気にしなくてもいいのに。彼女が可愛すぎて彼氏の存在が薄れるんだ、会計の時くらいカッコ付けさせてくれ」


 わざと彼氏彼女の単語を口にして、様子を窺ってみる。

 更紗はツンと顔を逸らして、不貞腐れるように答えた。


「花恋ちゃん可愛いもんね」

「更紗と同じくらいな」

「胸も大きいもんね」

「大きさが全てじゃないだろ」

「凄く仲良さそうだったね」

「それに関してだけは、更紗の方が上だよ」


 ぷつんと糸が切れるように更紗が黙り込んだ。

 僕は彼女のほうに身体を向けて、真摯に語りかける。


「ずっと一緒だったんだ。幼稚園も小学校も中学校も、二人でお風呂に入った時やお泊まりした時だって、ずっと一緒だったんだ。高校からの付き合いの花恋よりも、僕は更紗の方が大切だよ」


 自分で言っておきながら、呆れるほど身勝手な告白だと思う。

 人間的ではない言葉だ。花恋に聞かれたら軽く失望されるくらい酷い言葉だ。理屈のまかり通っていない感情的な言葉だ。

 でも、それが僕の本心だった。


「もし明日地球が滅びるとして、更紗か花恋のどちらかだけ救えるなら、僕は迷わず更紗を選ぶよ」


 物語の主人公みたいなセリフを吐いて、少し背中がむず痒くなる。

 しばらく経っても反応がないので更紗の顔を覗き込んでみると、耳先まで熟れたいちごみたいに赤くしていた。


「あっそ……だからなに? そんな気持ち悪いセリフ吐いたって許してあげないから」

「別に許してほしいわけじゃない。ただ自分の気持ちを伝えただけだよ」

「そーいうのが気持ち悪いの、ばか」


 更紗が包丁を持ち、にんじんをスコンと切り落としていく。


「……私のことが大切なら、もっと私のこと考えてよ」

「え?」


 思わず間抜けな声を漏らした。


「なんでわかってくれないの。凜々人は私のこと大事に思ってるんでしょ。なら私がなにを考えてるのか、どう思っているのか、それくらいわかってよ」

「……ごめん」

「謝罪の言葉なんて聞きたくない。私をわかってくれない凜々人は大嫌い」


 僕はグッと歯を噛み締めた。

 本日二度目とはいえ、面と向かって「大嫌い」と告げられるのは些か堪えるものがある。チクチクと針を刺されるみたいに心の奥が痛んだ。

 それに更紗がなにを考え、なにを思っているのか僕にはわからない。幼馴染だから、一緒にいたから、長い時間を共に過ごしてきたからって互いに意思疎通を測れるわけじゃない。むしろ本当に大切な人だからこそ、わからないことが沢山ある。

 それは例えば、この霞がかかったような筆舌に尽くし難い感情とか。もどかしくて胸を締め付けられるような不思議な感覚だ。やはりこの感情に付ける名前を僕は知らないらしい。

 更紗は玉ねぎを大きめに切り分けながら、すんっと鼻を鳴らした。


「……っ、ぐすん、凜々人のせいで涙が」

「おいこら、絶対に玉ねぎのせいだろうが」

「いつまでも鈍感キャラを演じる凜々人なんて夏の通り雨に襲われてびちゃびちゃになればいいのに」

「表現が微妙すぎてどんなリアクション取ればいいのかわからん……」


 どうやらこの話はお終いらしい。

 結局、更紗の心情を見つけ出すことは叶わず、出口のないトンネルに片足を突っ込んだような気分になる。

 更紗は切り終えた野菜を沸騰した鍋の中に入れていった。火が通ったのを確認してシチューのルーを投下していくと、跳ね返ったお湯が当たったのか「あっつ」と反射的に声を荒げる。

 本当に同棲しているみたいだ。

 もしも仮に、この偽物の恋人関係が本物だったらと思うことがある。

 大学に入学して、決して広くはない賃貸アパートを契約して、二人暮らしを始めて。毎日交代で晩ご飯を作って、時には一緒にお風呂に入って、洗濯物の下着を干す度にちょっとドギマギして。

 そんな普遍的な日常は、さぞかし多幸感に包まれていることだろう。


「ねぇ、なに考えてるの?」

「……もしも君と本当に付き合うことになったらって、ちょっと想像してた」

「ふーん、想像してみてどうだった?」

「最&高でラブアンドピース」

「茶化すなばか」


 スコンと横腹を小突かれてしまった。

 僕は横腹を摩りながら、妄想を続ける。

 大学卒業と同時に婚姻届を出して、そこそこの企業に就職して、生活が安定したら子どもを作って。妊娠の報告に嬉しさが空回りして、その日の夜は酒に酔い潰れて。早い段階から子どもの名前はなににしようかなんて嬉々たる表情で相談し合って。子どもが誕生したらみっともなく泣き喚いて喜んでいるだろう。

 ああ、本当に幸せで溢れているなと思う。

 こんなことならお泊まりした日にでも手を出しておくべきだったと後悔する。

 少しだけ、この筆舌に尽くし難い感情を理解できたかもしれない。


「後は混ぜてるだけでいいから、ソファーでゆっくりしてていいよ」

「そんな更紗に一つ、悲報があるのですが」

「なに」

「帰り道でラーメン食べてきちゃって、晩ご飯食べれそうにない」

「死ねばいいのに」


 結局、晩ご飯を無理やり食べさせられた僕は吐き気を催しながら、更紗の分まで一人で皿洗いをさせられた。彼女は不機嫌オーラを放ちながら自分の家へ帰ってしまった。更紗の喜怒哀楽の移り変わりは慣れっこだが、今日のはまた格別だ。

 風呂や課題を済ませ、ベッドに横たわる。遠出をしたせいか一気に疲れが押し寄せ、意識を失うように眠りについていた。


 ――週明けの学校、更紗と花恋は姿を現さなくなった。

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