第19話 語り合った夢

 入れ替わりで更紗がお風呂に入り、僕は自室に戻った。

 更紗が持ち込んだであろうノートパソコンがデスクの上を占領しており、床には乱雑に放り投げられたトートバッグが転がっている。

 あの中に更紗の下着が入っているのか……と神妙な気分になりつつも、ベッドに飛び込んだ。


「いかんいかん……変に意識するからいけないんだ……」


 下手に触れればまた難癖付けられるに決まっている。

 それに自分から性欲を煽るような行為は禁止だと言ったのだから、僕から決まり事を破るわけにはいかない。

 誘惑に惑わされないよう頭を振って、白い天井を見つめた。


「更紗みたいに、僕も誰かに助けを求めたら、物書きを辞めずに済んだのかな……」


 少しだけ考えを巡らせて、首を振る。


「それはないな……だって僕は、差し伸べてくれた手を振り払ったんだから……」


 別に今更後悔しているわけじゃない。

 惜しい決断をしたわけでもない。

 多分、この気持ちは未練に近いなにかだろう。

 今の更紗を隣で見ていると、過去の自分を眺めているような錯覚を起こす。更紗を手助けする一つの要因はそれだ。無論のこと純粋に応援してあげたい気持ちもあるが、僕は彼女のことを自分の写し鏡のような存在だと認識してしまったのかもしれない。

 だがしかし、僕と同じ道を辿らせるつもりは毛頭ない。

 三年前のように泣かせることなく、更紗には成功の道を歩んでもらう。


「更紗が最後に笑ってくれれば、それでいいか……」


 これは一種の罪滅ぼしかもしれないな、と胸内で苦笑いした。

 全く、運命ってやつは皮肉なものだと思う。


「ねぇ、なにを笑えばいいの?」

「うおっ⁉︎ も、もう戻ってたのか⁉︎」


 更紗が上から覗き込むように顔を見せた。

 顔肌がほんのり火照っている。

 僕が使用したシャンプーと同じ匂いが鼻腔をくすぐった。


「なにを慌ててるの? 隠し事? まさか浮気?」

「口癖のように浮気だの隠し事だの言わないでくれ……」


 当たっているから心臓に悪い、とは口が滑っても言えない。


「まぁ凜々人が二股できるほどモテないのは知ってるけど」

「おっと、僕の裸を見て耳の先まで赤くしていた女がなにを言ってるのか」

「う、うるさいっ! 凜々人だって顔真っ赤にしてたくせに!」

「そりゃあ可愛い幼馴染の裸見たら勃つに決まってるだろ」

「また開き直った⁉︎ てか可愛いって……うぅ……」


 更紗はベッドの淵にお尻を付けて、顔を隠すように俯いた。


「わ、私がいない間に変なことしてないよね……?」

「するわけないだろ。君と違ってお風呂の中でナニしたりしないよ」

「ふえぇ⁉︎ な、なんでバレてるの⁉︎ まさかお風呂の中に盗聴器でも仕込んでいた⁉︎」

「…………ごめん、冗談だったんだけど」

「ぁぅ〜〜〜〜、死にたい死にたい死にたい……」


 更紗はみるみる顔を赤くして、言葉を反復させている。

 逃げ道を作るべく彼女に言い返しただけだったのだが、本当にしていたとは……。

 さすがに気の毒に思えたので、僕は上体を起こして「まぁ……」と声を掛けた。


「気持ちはわかるよ。僕も更紗が家にいなかったら、多分してたから」

「そんな同情要らないもん……泣きたい……」

「ここは僕の胸の中で泣けばいいよ、とか言った方がいいかな?」

「胸貸してくれたら涙と鼻水でぐちゃぐちゃにしてあげる」

「最悪だなおい、絶対に貸してやるもんか」


 軽口を叩くと幾分か羞恥も薄れてきたようで、彼女は立ち上がって鞄から化粧水などを取り出した。デスクに鏡を置いて椅子に座り、コットンに化粧水を浸してペタペタと顔に貼り付けていく。

 その様子はまるで同棲三年目の彼女みたいだと思った。

 部屋着にスウェット生地の長袖短パンを着用し、ラフな格好をしているのもそう思わせる要因だろう。

 短パンから伸びる白く綺麗な脚に目を奪われていると、更紗は居心地が悪そうにこちらを睨んできた。


「男子の視線ってわかりやすいから、他の女の子にはしちゃだめだよ?」

「おお……ついに独占欲まで解禁しだしたか……」

「今度はティッシュじゃなくてカミソリ投げつけるよ?」

「ははは、別に照れ隠ししなくてもいいの……なんでもないです、はい、すみませんでした!」


 ポーチからカミソリ取り出したのを見て、僕は地面に頭を擦り付ける勢いで謝罪を入れた。



***



 コンビニからの帰り道。

 天気が良いのか、いつもに増して夜空は輝きを放っていた。

 四月も後半に差し掛かり、日中は気温も上昇してきたが、夜の風はまだまだ冷えている。

 横を歩く更紗は両腕を擦り合わせて、寒さを凌いでいた。

 僕は右手に持った袋を大車輪のように回転させ、縁石の上を器用に進んでいると、隣から呆れるような声で話しかけてくる。


「私のアイス放り投げないでよね」

「僕に買ってもらった私のアイス、だろ。既に文章力の低さが露呈していますが、そこのところいかがでしょうか?」

「車が走ってきたら車道に突き飛ばそうと考えています」

「文脈繋がってなさすぎるだろ。抜き打ちテストに答えられないようじゃ先が思いやられるな」

「ふん、文章力が乏しいって言われた回数なら誰にも負けないもん」

「堂々と自慢できることじゃないぞ? その小さな胸を張って言えることじゃないからな?」


 ガシッ、と横腹を小突かれる。


「小さな胸もいずれ成長して大きくなるの」

「比喩表現としては上等だけど、君が物理的に成長することはもうないよ」

「ねね、凛々人……女の人って妊娠したら胸が大きくなるらしいよ……? は・ら・ま・せ・て?♡」

「おえっ……ちょっと吐き気が……」


 わざとらしく口元を抑えると、更紗は不貞腐れたようにそっぽを向いた。

 風に揺られた黒髪が肩の周りをはらりと撫でる。艶のある黒い髪の毛は月光を反射し、暗闇の中で煌めいていた。


「そういえば、凛々人ってさ」


 ふと、なにかを思い出したかのように更紗が口を開く。


「小説書いていた頃に仲の良かった絵描きさんいたよね? まだ連絡取り合っていたりするの?」


 懐かしいな、と思った。

 僕が小説を書き始めたのは小学校高学年の頃だ。

 物書きとして未熟者だった僕は、自己満足で完成させた作品をネット小説に上げていた。当時は今ほどネット小説からの拾い上げが主流ではなかったし、何より自分の作品を誰かに読んでもらえるだけで嬉しかった。

 そしてある日、僕の作品にイラストを付けてくれた人が現れた。作者ページにメアドを掲載していたのだが、それを経由して『面白かったです』の感想と共にイラストが添付されていた時は更紗に自慢するほど興奮して気分が舞い上がっていたものだ。

 本格的に新人賞へ参加するようになったのは、僕の作品を心の底から面白いと感じてくれる人がいたからだろう。


「ううん、もう連絡は取ってないよ。僕が返信しなくなった、っていうのが正解だけど」


 僕は哀愁を吐き出すように、夜空を見上げて答えた。

 新人賞に挑戦するようになりネット小説への投稿は辞めてしまったが、メール繋がりで仲良くなった絵描きの子には新作を書く度に送り付けていた。その度に上手で可愛いイラストを送り返してくれたのは今でも鮮明に思い出せる。


「……本当に申し訳ないことをしたよ。一緒にプロになって、僕の小説を担当するのはあの子だって、馬鹿みたいにはしゃいでいたのに」


 大層な夢を語り合ったあの子は、まだ絵を描き続けているだろうか。

 雑談の中で僕と歳が近いこと、女の子ということは知っているが、だからこそ心が折れやすい時期だろう。まだプロを目指し続けているのなら、僕の二の舞にだけはなって欲しくないなと思った。


「そっか……でもそれ、絵描きさんがプロ入りできたら、半分くらいは叶えられるよ」


 更紗は僕の裾をくいっと引っ張って、上目遣いで見つめてくる。


「凜々人の分も私が背負ってデビューするから。私の担当イラストレーターはその人にしてもらう」


 その藍色の瞳から、強い意思が感じられた。

 僕は左手を持ち上げると、それを更紗の頭の上に置く。


「ありがとう」


 感謝の気持ちを伝えると、更紗は優しく微笑んだ。


「どういたしまして」

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