第20話 更紗の泣き顔

 家に着くと更紗は創作に火が付いたのか、早々にノートパソコンを起動させた。

 横書きの白書に次々と文字が増えていく。「まだ面白い話が閃かない」と頭打ち状態だった更紗だが、書きたいものが思い浮かんだらしい。

 間近で見物しようと、別の部屋から折り畳みの椅子を持ってきて更紗の横に置いた。


「横で見られると恥ずかしい……」

「やだな、僕たちは裸を見せ合った仲じゃないか」


 集中力が高まっているのか、軽く睨み飛ばされるだけで済んだ。

 普段なら小突かれるところだが、それだけ神経を尖らせているのだろう。


「ごめん、今のは失言だった」

「いいよ、それよりおかしなところあったら教えて」


 そう言われ、僕は画面を見つめる。

 一章から三章まで大まかな骨子が書かれていた。僕が教えたプロットの作り方を真似ているが、勘所を抑えつつも工夫を加え、自分自身の物に昇華させているのは素直に好感が持てる。

 タイトルは、ええっと……。


「自殺しようとしている隣の家の超絶美少女を止めたら、なぜか僕に偽物の彼女ができた……ってこれ、僕と更紗を題材にしているのか?」


 更紗は無言でこくりと相槌を打つ。

 それは少し前に僕が冗談まじりで言ったタイトルと類似していたが、故意に模倣しているわけではないだろう。むしろその逆。僕たちの不思議な関係は、きっと更紗にしか綴る事のできない物語だ。

 ラノベの題材として相応しいし、構成や展開の組み立てが上手い更紗なら面白い作品に仕上がるとさえ思った。

 だが、更紗は僕たちを登場人物に生き写しするのは嫌だと提言していたはずだ。唐突な心境の変化に戸惑いを覚えたが、ほぼ直感に近い形でその理由が分かってしまった。


「僕の分まで背負うって、こういうことか……」

「そう、これなら凜々人が物書きだった証を残せるでしょ」

「わざわざ僕を物語の中に入れなくたっていいのに……ばか……」

「あ〜、凜々人が照れてる〜」

「べ、別に照れてなんかないんだからね! 嬉しくなんかないんだからね!」

「男がツンデレキャラ演じるのはちょっとキモい」


 クスッと吹き出す更紗を横目に、僕は後頭部を掻いた。


「惚れた?」

「本気で惚れそうになった」

「そっかそっか、えへへ」

「なっただからな、惚れてはないからな」

「いいよ、そのうち本気で惚れさせるから」

「そりゃ怖い」


 ふっ、と今度は僕が吹き出した。

 不仲な幼馴染という関係は徐々に薄れているように感じる。

 やはり長い時間を掛けて培ってきた関係というのは、簡単に揺らぐことはないのかもしれない。ただ仲違いを解消するきっかけが無かっただけで、更紗も僕と同じ想いを掲げていたのだろう。


「こことここの順序を変えたほうが話のテンポよくないかな?」

「確かに……それだとこっちも変えたほうがいいかな?」

「うん……うん、絶対にそっちのほうがよくなると思う」


 しばらくの間、時間も忘れて創作談義を弾ませていた。

 途中で飲み物を取りに行ったり、息抜きでアニメを見たりしたのが災いしてか、気づけば日付を跨いでいた。

 更紗は睡魔に襲われたのか、つぶらな瞳が半分ほどしか開いていない。ぽんぽんと肩を叩いて意識を寄せ、ベッドの方を指差した。


「寝落ちする前にベッド行けよ」

「動きたくない……お姫様だっこして……」

「君ってやつは……ほら、首に腕回せ」

「ん……ありがと……」


 更紗の細い腕が巻き付くように伸びてくる。

 僕は更紗の背中と膝に腕を回し、力を入れて持ち上げた。

 ……なんでお姫様だっこなんかしてるんだろう。

 遅れて、そんな疑問が頭に浮かび上がった。普段であれば絶対に聞き入れることなどなかったはずだ。一時の気の迷いか、あるいは眠気による思考能力の低下か、もしくは……。


「…………重たくない?」


 思考を遮るように、少し上擦った声が更紗の口から発せられる。

 睫毛の本数が数えられるほど顔の距離が近い。

 僕は顔を後ろに逸らしながら、なんでもないように答えた。


「君が重たかったら全人類の女子が重たくなるだろうが」

「なにそれへんなの、ばーか」

「お前完全に深夜テンションだろ……ったく、しょうがないやつだな」


 可能な限り身体を揺らさないよう、ベッドに着地させる。

 投げ捨てることも考えたが、創作を終えた後の幸福そうな顔を見て、そんな気も失せてしまった。

 照明を消すと、八畳間の空間は陰影に覆われる。カーテンから差し込む月明かりを頼りにベッドと毛布の間に潜り込んだ。


「シングルベッドだと流石に窮屈だな」

「合法で痴漢できるよ?」

「満員電車の理屈を持ち出すな、普通に犯罪だぞ」


 枕は横幅が広めなので二人分の頭を乗せても大丈夫だが、それでも後頭部や背中、脚の裏側は密着している。手を少しでも動かすと、更紗の身体のどこかに触れてしまいそうだ。

 幼稚園や小学校の頃は二人が並んでも余裕があった。

 否が応でも成長したことを実感させられる。


「人生諦めも肝心だよ? ほらほら」

「やめろ、僕が諦めるのは後にも先にも筆を折った時だけだ。死んでも更紗の身体になんて触るもんか」

「その意気込みは立派だと思うけど、もっと近寄らないと寝返り打った時に落ちちゃうよ?」


 更紗の言い分は確かにもっともな物だった。彼女が壁際で、僕が外側。一回転しただけで床に落下するのは火を見るよりも明らかだろう。だが、自慰行為で性欲を沈めた更紗ならともかく、僕は未だに興奮した熱が収まっていない。

 毛布と髪の擦れる音が、やけに耳朶に響く。

 動悸が強まり、自分でも緊張しているのが分かった。

 これ以上距離を詰めれば、本当に理性を保てるか怪しいところだ。


「生憎と寝相は良い方なんだよ。寝てる最中に蹴り飛ばしてくるどこかの誰かさんと違ってな」

「それは昔の話でしょ。今は普通だもん」

「へぇ、期待はしないでおくよ」

「そんなに心配なら脚を絡ませておけばいいじゃん? 動きを封じれば蹴られる心配もないよ?」

「他に心配すべき思案が出てくるからやめとく」


 ふーん、と意味深長な声が漏れた。

 なにかを推し量るような、そんな声だ。


「ねね、久しぶりに屋上で話したこと、覚えてる?」

「藪から棒になんだよ。縞パン見た事ならしっかり覚えてるぞ」

「それは忘れていいからっ! そうじゃなくて、私が『今になって幼馴染面するつもり?』って訊ねたこと」

「……覚えてるよ。それがどうかしたの?」


 そう聞き返すと、ごそりと真後ろで寝転がる音がした。

 背中に生暖かい吐息が掛かるのを感じる。数センチの距離感は、妙な背徳感を生み出していた。


「あれは嫌味でも冗談でもないよ」

「それって、どういう……」

「今更幼馴染なんて関係に戻りたくない、ってこと」

「………………」


 僕は静かに息を呑んだ。

 空白の時間を崩すように、再度寝転がる音がする。

 背中に感じた吐息は消え、また背中合わせの体勢に戻ったのだろう。

 ……幼馴染には戻りたくない、か。

 僕と更紗が同じ想いを掲げているなんて、ただの妄想や幻想で、一方的な勘違いだったのだろうか。未だに更紗は僕のことを嫌っているのだろうか。更紗にとって僕は、なんなのだろうか。

 チクリと刺すように、脳裏に更紗の泣き顔が過ぎる。

 互いが互いを見れない状況が、真っ暗な夜の静謐さが、酷く苦しく感じた。

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