第21話 邂逅寸前

 週明けの学校。

 昼休みになると僕と花恋は屋上に集まっていた。

 燦々と降り注ぐ日差しがアスファルトの地面を焼き、塔屋の外壁からも温かさが背中に伝わってくる。

 花恋は首元のネクタイを緩め、襟ぐりがふわりとたわんだ。胸上の鎖骨が姿を見せ、うなじには薄らと汗の模様が浮かんでいる。


「はふぅ……今日は暑いですね、嫌になります……」

「同感だ……もうすぐ初夏に差し掛かるとはいえど、流石に暑すぎる……」


 花恋はブレザーを脱ぎ、上半身はシャツ一枚の状態となる。

 鞄の中に上着を詰め込もうと花恋の上体が揺れた。時折胸元にシャツが張り付き、大きな双丘が強調されると思わず目を見張ってしまう。

 更紗の二倍、いや三倍近くあるかもな……と、勝手な推測をしつつ僕も学ランの前ボタンを全開にした。


「よし、教室に戻るか。日陰でのんびり過ごしたい」

「だ、だめですよっ! これも苦手克服のための試練だと思って我慢してください!」

「それじゃ」

「話聞いてくださいよ⁉︎」


 腰を浮かせると、腕を掴まれ強引に引き止められた。


「それに、先輩だってわたしのお弁当食べられなくなっちゃいますよ? お腹ぺこぺこのまま授業受けるつもりですか?」

「いや、購買あるし」

「……わたしのお弁当は購買と同等ですかそうですか先輩にとってわたしのお弁当の価値はその程度でしたかそうですかふーんへー」

「被害妄想はやめようね? 腕に爪が突き刺さってるからね? 痛いからね?」


 再び腰を沈めると、僕は以前から気になっていたことを訊ねた。


「花恋って友達と昼食取らないのか? ほら、学年カーストトップだと男からも女からも誘われるだろ? 毎日僕だけが付き合わされるのも他の人に申し訳なくて」

「付き合わされる、って言い方が少し癪に障りますが、もちろん誘われていますよ」

「全部断っているのか?」

「そうじゃなきゃ先輩とお昼ご飯食べていません」

「……それもそうか」


 意外だなと思った。

 陰キャでぼっちで非リアの僕には、花恋の交友関係など想像も付かないが、カーストだのレッテルだの複雑なしがらみは付き纏っていることだけは分かる。

 SNSが流行的になった近年では、そういう教室内の高い地位を確立するため、狡猾な手段を用いて他人を貶めるような輩も増加傾向にあるのだ。

 それでも尚、僕と昼食を取ることに優先しているのは、一重に創作を慮ってのことなのだろう。

 僕はため息をついて、ぶっきらぼうに忠告しておく。


「……ま、変に顰蹙を買うような行動だけはするなよ。別に僕は一人だって問題ないからな、むしろ気楽でちょうどいい」


 花恋は驚いたように目を丸くして、返事をする。


「癪に障るとか言ってすみません。先輩なりにわたしを気遣ってくれたんですね。そういうところ、好きです」


 花恋の言下に、不覚にもドキッと心臓が跳ねた。

 それは付き合う際に、恋人の契りを交わす際に、きちんと順序を踏んで言明すべき言葉だ。正式な順序を辿らず偽物の関係を結んだのも相まってか、好きの一言は僕の仏頂面を崩壊させるに十分すぎるほどの効力を誇っていた。


「些細な友人関係の綻びで心が病んで、創作ができなくなるなんてよくある話だろ。花恋のカーストだのレッテルだのは割とどうでもいいけど、腕の立つ創作者クリエイターが業界から消え去るなんてことだけは絶対に避けなきゃいけない」


 僕は平然を装って、別方向に話を流していく。


「やっぱり嫌いです」

「なんでだよ、今の話の中で嫌いになる要素なかっただろ」

「強いて言えば、先輩の存在?」

「じつはぼくすきなひとができたんだ……きみとはもう……」

「はいはいおめでとうございます。でも残念でした、わたしが束縛するのでその恋は実りませんよ」

「このメンヘラクソ女が」

「いやーそれほどでもないですよー!」

「褒めてねぇよ!」


 突っ込みを入れると、花恋はケラケラと笑って鞄の中に手を入れた。

 甘栗色の髪のしっぽが揺れ、甘いみかんのような匂いが漂ってくる。


「……さっきのことですけど、私にもしものことがあったら、その時は先輩が助けてくださいね」

「ああ、その時は仲良くいじめられてあげるよ」

「そこはカッコよく任せろって言うところじゃないですかねぇ?」

「ばっかお前、陰キャでぼっちで非リアな僕にそんな大層なことできると思うか?」

「いや全然少しも微塵もちょっとも欠けら程も思わないですけど」

「なんで殊更に強調するの? 泣いちゃうよ?」


 ムカついたので人差し指で背中を小突いてやると、


「――ひゃっ⁉︎」


 花恋から甘く甲高い声が発せられる。

 両肩をピクッと上げ驚く様は、ごく普通の女の子と大差ないらしい。


「ビックリするじゃないですか……先輩のばか……」

「君の意外な一面が見れて僕は大満足だよ」

「わたしは不服でしかありませんけど……」


 涙目で振り向く花恋は、どこか不貞腐れた様子だ。

 ごめんごめんと手を合わせると、花恋は再び鞄の中を漁り始めた。

 弁当や箸箱を取り出そうとしているのだろう。僕は快晴の大空を見上げていると、ふと、階段をコツコツと鳴らす音が響いてきた。

 建物の構造上、塔屋の扉を開けると階下に繋がる階段が設置されている。僕の背にはその扉があり、階段を踏み込む振動が僅かに伝わってきた。


「……れ……に来た……おくじょ……まで……」


 徐々に屋上へ近づいているのか、独り言のような声が扉越しに伝わってくる。

 そして、その声には聞き覚えがあった。


「全くも……教室のなかでぼっ……って、わざわざ屋上まで行かなくてもいいのに」


 余計なお世話だっ!

 と、咄嗟に叫びたくなった衝動を抑えて、僕は花恋の手首を掴んだ。


「ふぇっ⁉︎ ちょ、いきなりなんですか⁉︎」

「しーっ! 静かに! 下から人が来てる!」


 半ば強引に立ち上がらせると、もう片手で鞄を持ち、塔屋の壁を沿って移動する。

 右折すると、鉄柵と塔屋の直角部分に花恋を押し詰めて、壁際に鞄を置いておく。僕も彼女を庇うように密着し、花恋の身体が鉄柵に食い込まないよう抱き締めるように腕を回した。

 扉を出て周囲を見渡すだけならここは完全に死角になる。もしも扉の前から移動されたら色んな意味で終わるが、その時は潔く諦めるしかない。


「(……ぁ〜〜、ちょ、近いですよ……)」

「(今はこの危機的状況をやり過ごすために我慢してくれ)」

「(で、でも……)」


 小声で会話を重ねていると、古びた扉の開く音がした。

 うなじをなぞるように、冷や汗が流れる。

 扉の方に意識を向けると、ややあって声が発せられた。


「あれ、凜々人いない……? もうっ、せっかく話の相談しようと思って屋上まで来たのに! あのばかのせいで無駄足になったじゃん!」


 ばかはお前だこのチンチクリンがっ!

 と、またしても咄嗟に叫びたくなった衝動を抑える。

 今度は扉の閉まる音がして、ようやく詰まった息を吐き出した。


「ったく……散々な目にあったな……」

「それはこっちのセリフですよっ!」

「うおっ⁉︎」


 花恋はこめかみを痙攣させながら、バシッと僕を突き飛ばした。

 それから前屈みになり、問い詰めるように下からキリッと睨み付ける。


「色々と言いたいことはありますが、まず始めに――誰ですかあの女はっ!」

「待て待て、話の順序がおかしいだろ⁉︎」

「相談ってなんですかまさか浮気の相談ですか!」

「ちげーよ! なんで花恋はそうやってすぐ浮気に結び付けるんだ!」

「結び付けられるような行動取るからですよ! 見た感じ仲良さそうでしたし、わたしたちの関係を伝えて口外しないようにお願いすればよかったじゃないですか! 隠れる意味がわかりません!」

「咄嗟にそんなこと思いつくかよ!」


 花恋は頬をパンパンに膨らませて、僕の胸板をぽこぽこと殴ってくる。


「てか、他に責めるべきことがあるだろ! 勝手に抱きついてたんだぞ!」

「それはいいんです! 偽とは言えわたしたち恋人同士ですから! それくらいなら許してあげます!」

「チクショーどさくさに紛れておっぱい揉んでおけばよかったッ!」

「残念でしたね同じチャンスが巡ってくるとは思わないことです!」


 ふん、と鼻を鳴らして花恋は鞄を持ち上げた。


「今日のお弁当お預けです! どうせわたしのお弁当は購買と同レベルですから!」

「ちょ、それはないだろ……」

「ふんっ、先輩なんて知りません! それと次の土曜はデートですから! きちんと予定開けておいてくださいねっ!」


 そう言い残すと、花恋は扉の向こうへ去ってしまった。


「いや、だからそれはないだろ……」


 屋上で静かに佇む僕は、嘆くように呟いた。

 だってもう購買なにも売ってないよ? お預けにするならせめてもう少し早く教えて欲しかったな?

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