第22話 仮染めの関係

 週末の金曜日。

 放課後はいつもみたく僕の部屋で更紗が寛いでいた。

 今は「ちょっと休憩する」と執筆の手を止め、ベッドを占領して本を読み耽っている。


「文章にちょっとは華が出てきたんじゃないか?」


 一章の原稿を読んで、僕はそう言った。

 新人賞応募までスケジュールを組んでいたのだが、予想を遥かに上回る速さでプロットを仕上げた更紗は既に本文に取り掛かっていた。余程速筆なのかもう一章まで書きあがっている。それをたった今、僕が原稿を確認していたところだ。


「なんでもっと素直に褒められないかな」

「アホか、褒められないから褒めてないんだよ」

「むぅ、だってそれが私の今の限界なんだもん」

「限界を超えなきゃその先には辿り着けないぞ。……と言っても、出だしとしては上出来か。きちんと課題と向き合えてるのは偉いな」

「なら最初からそう言えばいいでしょうがっ!」


 更紗は枕を持ち、それを椅子に座る僕の元へ投げつけた。

 難なく枕を受け止め、僕は原稿を初めから読み直す。

 実際、課題の文章力は目覚ましいほど成長している。

 と言っても、酷く最低だった評価が最低まで落ち着いた程度だが。会話文と地の分の比率が良く、語彙力の低さと飽きる文章を除けば最後まで読めなくもない。

 キャラクターの心情描写も際立っておかしなところもないし、多読の効果が早速表れているのかもしれないと思う。


「ま、一朝一夕で改善されるものでもないしな。あとは最後まで完結させて推敲を重ねていくしかないか……」

「す、推敲……なんか難しそう……」

「まさか推敲したことないのか……って突っ込みを入れるのはもう野暮か。どうせ更紗のことだし、推敲なんてしてるはずもないよな」

「あー! 蔑視された!」

「事実を述べてるだけですがなにか?」


 咎めるような視線を向けると、更紗は罰が悪そうに布団の中に逃げた。

 ややあって彼女は布団から顔だけ出すと、か細く不安そうな声を漏らした。


「私、物語を書くのは大好きだけど、文章とかよくわからないし……だから、凜々人が手取り足取り教えてよ……」

「当たり前だばか、僕の分まで背負って受賞してくれるんだろ? そのためなら僕はなんだってするよ」

「あ、じゃあ今すぐアイス買ってきて! ハーゲンダッツでいいよ!」

「やかましいわッ!」


 ちぇー、と可愛らしく舌打ちすると更紗がデスクの前までやって来る。


「椅子変わって」

「もう休憩はいいのか?」

「だって私、推敲とかよくわからないし。とりあえず完結まで持っていけば凛々人がなんとかしてくれるんでしょ?」

「そりゃ二人三脚で頑張っていくって決めたからな」

「なら書くしかないじゃん」


 更紗はにかっと明るい笑みを見せて、席を交代する。

 ノートパソコンの画面を点灯させ、文字を綴っていく姿をその場で俯瞰するように眺めながら、僕は昔と立場が逆になったことを実感した。

 三年前までは僕が執筆し、それを更紗が横から眺めていた。僕の様子を窺って適切なタイミングで飲み物をくれたり、夜食を作ってくれたり、肩を揉んでくれたりした。今となって更紗の存在がいかに大切だったか思い知らされる。

 僕は紅茶を注いだグラスをリビングから持ってきて、そっとデスクの上に差し出した。


「ほい」

「ん、ありがと」


 恩を仇で返した過去を清算するための罪滅ぼしかもしれないが、僕が出来うる限りの助力はしてあげたいと心の底から思った。僕の過去を更紗に重ねているのが手助けをする要因でもあるが、きっと支えてあげたいと思える本質はそこにある。

 きっと、と不確定な部分がある理由は、僕の中でもまだ答えを見出せていない。先日、更紗に『幼馴染に戻りたくはない』と釘を刺され僕の心が揺らいでいた。このモヤモヤとする感情に付ける名前を、僕は知らなかった。

 その感情が理由を決定付ける邪魔の原因かもしれないが、更紗が受賞できるのならなんでもいいかと雑念を振り払う。


 それよりも明日は花恋とのデートだ。

 彼氏役を演じる身として、多少なりとも服装に気を遣ったほうがいいだろうと僕はクローゼットを開いた。

 奥の方に仕舞い込まれていた収納BOXを取り出す。厚めのアウターを畳み、薄めのジャケットやシャツをハンガーに掛けていった。それに明日は予報では気温が高くなるらしいので、衣替えのタイミングとしてはちょうどいい。

 ふと執筆に一区切りついたのか、更紗が背筋を伸ばして問いかけてくる。


「クローゼットの中漁り出してどうしたの?」

「いや、そろそろ衣替えしなきゃと思って。気が散ったのならごめん。ええっと……あのジャケットどこにしまったかな……お、あったあった」


 お気に入りのジャケットを見つけ出して、頬が緩む。


「別にいいけど、ファッションに無頓着な凛々人が自分から進んで服を取り出すなんて珍しいね」

「それは三年前までの話だろ。高校に上がってからは気にするようになったんだよ」

「……はっ、まさか女⁉︎ 浮気⁉︎」

「ちげーよ……ただ脱オタ成り上がり系のラノベにハマって、その主人公を真似してみただけだ。今すぐ友崎くんとチラムネ読め、人生は神ゲーでリア充は最高だぞ」

「そんなことだろうとは思ったけど。でも凜々人と一緒にしないで。私は服装も人並み以上に気を遣ってるし、男子からはモテモテだし、ちょっと人見知りなのを除けば完璧人間なの」

「その人見知りが致命的なくらいの欠陥だと思うけどな」


 まぁ更紗がお洒落なのも異性から恋愛の対象として見られているのも事実なので、これ以上なにも言えないのだが。

 ただ人見知りが先行しすぎて告白した男が尽く玉砕していることを、僕は更紗のおばさんから又聞きしていた。両親の前では不仲を悟られないよう体裁を保っていたので、そういう話を聞かされることが度々あったのだ。

 むくれる更紗を横目に、僕は気になったことを訊ねてみた。


「その、さ……更紗は付き合ってみたい人とか、いるのか……?」


 ぽかーんと更紗が固まる。

 数秒後ににへらと口元を歪ませて、更紗は答えた。


「さー、どうだろうね?」

「なんだよそれ、彼氏相手に隠し事か? 浮気か?」

「お、ようやく独占欲を剥き出しにした? 大好きな彼女に好きな人がいたら困る? ねぇねぇ、どうなの?」

「うっっっっっざ……」


 別段、更紗に好きな人がいようが僕に関係ない。

 関係ないはずなのに、なぜか心に霞がかかるような気持ち悪さが押し寄せてくる。

 鼻を鳴らして衣替えの作業を進めていると、更紗はそっと僕の耳元まで近づき囁いた。


「他に付き合いたい人、いないよ」

「……そうかよ」

「安心した?」

「……どうでもいい」

「可愛いね」


 よしよしと頭を撫でてくる更紗の手を振り払い、僕は口先を尖らせた。


「どうせ僕は君にとって仮染めの恋人に過ぎないからな。更紗が受賞したらこんな役回りも終わりだ」

「そうだね、仮染めの関係は終わっちゃう」


 断言するように、更紗がキッパリと言い放つ。


「でも裏を返せば、それまでは私を独り占めできるんだよ?」

「はいはいうれしいうれしい」

「もー、適当だなー」


 更紗は僕と目を合わせれる位置に動き、口角を上げた。


「明日、デートしよっか」


 僕も口端を上げて、にこやかに答える。


「ごめん、無理」

「え、えええええぇっ⁉︎ 今どう考えても了承する流れだったよね⁉︎」

「明日はどうしても外せない予定があるんだよ……」

「うぅ〜〜〜〜、それは大切な彼女よりも大事なことなの⁉︎」


 更紗は僕の両肩をガシッと掴んで、ぐいぐい揺らしてくる。


「少なくとも大切な彼氏を乱暴に扱う彼女よりは大事、かな?」

「っ……! 私だって明日じゃなきゃいけないのに! もう凜々人なんて知らないもんっ! ばーかばーか!」


 自分のノートパソコンを折り畳んで腕の中に抱えると、更紗は嵐のように部屋を出て行った。


「…………二人に分身できたりしないかな」


 思わず、そう呟いてしまった。

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