第23話 花恋とデート

 翌日、入念に身嗜みを整え、僕は家を出た。

 前回のお家デートで書店の前に集合した時はこっぴどく叱られたが、僕は学習能力の高い男だ。同じ過ちを二度も繰り返したりしない――という意気込みで三十分前から最寄駅の改札前に佇んでいるのだが、酷く後悔していた。

 あまりの退屈さに機嫌を損ねつつ、その場で立ち往生する。改札の人の出入りを眺めていると、土曜日だからか若者の姿が多く見られた。

 待ち合わせの五分前になると、ようやく二人目の彼女が現れた。


「すみません、お待たせしちゃいましたか?」

「ウウン、ボクモサッキキタトコロダヨ……」

「その片言具合で察しました。わたしに叱られたのを反省して三十分くらい前に来て後悔していたんですね。はぁ……雰囲気台無しじゃないですか」

「君は人の心が読めるの? そういう二次元設定があるなら先に言ってくれないかな?」


 僕が冷ややかな視線を向けると、それを跳ね除けるように花恋は笑う。


「ま、先輩の心意気だけは認めてあげます」

「次こそは必ず成功させてみせるよ」

「いえ、もういいので切腹してください」

「……勘弁してぇ」


 前の時と同じようなやり取りを終え、僕は改まって花恋を見た。

 白のブラウスをグレーチェックのミニスカートにインし、網目の大きいベージュのカーディガンを羽織っている。腰に黒色のベルトを巻いてバストの大きさとウエストの細さを存分に活かしている服装だと思った。

 肩掛けの鞄と靴は革製の物らしく、高級そうな匂いが漂っているし、極め付けは大胆に露出した美脚だ。すれ違う男から衆目の的にされるくらいエロい。

 痴漢やナンパに気を張り巡らさなければと考えつつ、ゴクリと唾を飲み込んで感想を告げた。


「負けた気がしてならないが……その、可愛いな」

「最初のが余計ですけど……その、ありがとうございます」

「……なんか照れるな」

「……はい、照れます」


 ほんのりと顔を赤らめた花恋は、「行きましょうか」と僕を先導した。

 ICカードを自動改札機にタッチし、ホーム内に進んでいく。


「でも、先輩も身分相応の格好で安心しました。デートだからって変に意識して、身の丈に合わない服装で来られても困るので」


 花恋は上から下まで舐め回すようにこちらを見た。

 僕はブラウンのロンTに黒色のジップブルゾンを羽織り、黒色のスキニーパンツを履き、黒色のトートバッグを右肩に掛けている。

 花恋とは対照的で暗めなコーディネートだが、合格点はもぎ取れたらしい。


「開口一番の感想が辛辣すぎて泣きながら帰っちゃうよ? 僕でも人並み程度には気を遣ってるんだよ? 陰キャの非リアオタクがみんなダサい格好してると思ったら大間違いだよ?」

「まぁまぁ、冗談ですよ〜」

「絶対冗談じゃねぇだろおい」


 花恋はけらけらと笑って誤魔化した。

 彼女が遠回しに褒めていることは分かったので、僕もそれ以上は追及しないでおくと、ちょうど目当ての電車が到着する。運良く二人掛けの席が空いていたので腰を下ろした。


「そういえばまだ行く先を聞かされてないけど、どこに行くんだ?」


 入れ替わるように映る窓越しの景色を堪能しながら問いかける。

 名古屋方面へ向かう電車に乗ったので、十中八九名古屋のどこかに行くのだろうが、僕は彼女からデートするから予定を開けておけとしか伝えられていなかった。

 花恋はスマホを弄りながら、あっけらかんに返事をする。


「PARCOですよ、ってなんで嫌そうな顔してるんですか。別に服見に行くわけじゃないですよ、西館の八階でイラスト展がやってるんです」

「なんだ驚かせるなよ。リア充がキャッキャウフフしてるショッピングモールで買い物とか無理だから、絶対服屋とか寄らないからな」


 無駄に顔を顰めて損してしまった。

 PARCOと言えばオタクと一番縁遠い場所だと思ったが、その中でイラスト展が開催されていることに少し驚きを覚える。アニメイトやとらのあななど、もっと業界に精通している場所でやるものかと思っていた。


「多分ですけど、オタクコンテンツに興味ない人も業界に取り込もうとしているんじゃないですかね」


 僕の思考を読んだのか、花恋はむにりと親指を唇に押し当てて答える。


「まぁ確かに、最近だと一般の人でも深夜アニメとか見るもんね。一昔前に比べたらオタク界隈入門のハードルも下がってるし、意外と効果的だったりするのかな」

「ですです。それに今回のイラスト展は業界の最前線を担っている人のですから。ラノベやゲームに無縁の人でも、通り様に目を奪われると思いますよ」

「へぇ、花恋がそんなに褒めるなんて。よっぽど凄いんだろうな」

「ラノベの挿絵も担当している方なので、先輩も知っているかもですね」

「そりゃ楽しみだ」


 ガタンゴトン、がたんごとん。

 小刻みよく揺れながら、二十分ほどで僕たちは降車した。

 金山駅から地下鉄名城線に乗り換えて、さらに矢場町駅まで移動する。

 出口から地上に出ると、


「人がゴミのようだ……」


 歩道や道路幅が広いのにも関わらず、前を押し込むように流れる人の雲集に思わず嘆いてしまう。軽く人混みに酔ってしまった。

 加えて日陰が少なく、ビルの壁面に反射した日光がチリチリと地面を焼いている。特に近年は地球温暖化の影響で、盛暑の時期を迎えるのが早く感じた。

 地元より体感温度が高く感じられ、襟元をパタパタと叩かせる。


「なに言ってるんですか。隣にいるわたしが恥ずかしいのでやめてください」


 花恋に軽く叱責され、涙目になる。


「しょうがない人ですね、全く。少し休憩がてら喫茶店でも行きますか」

「なんだかいいように扱われてる感が……」

「わたしは先輩のこと、彼氏だと思って扱ってますけどね、ほら」


 きゅいっと片手が奪われた。

 指が一本ずつ絡み合い、繋がれる。

 自分の指先に意識が持っていかれた。細くしっとりとした花恋の指が、手のひらの温度がじわりと伝わってくる。体温が伝染するように頬が熱くなった。

 花恋はこちらの顔を覗き込んで、快活そうに微笑んだ。


「わたし、好きじゃない人と手を繋いだりしないですから」

「……っ〜〜、ほら信号変わったぞ!」

「先輩って照れ隠し下手くそですよねっ!」


 花恋はもう片方の手を口に当てて笑った。

 僕は彼女の言葉の真意を探りながら、斜め横断が可能なスクランブル交差点を渡っていく。


「わたしが逸れないように、ちゃんとリードしてくださいよ?」

「むしろこっちがリードされてる気がするけどな」

「やだなー、気のせいですよー」


 僕は憮然と肩を落として、考えた。

 深刻な男性恐怖症でないにしろ、花恋は基本的に男嫌いなはずだ。

 そんな彼女が自ら進んで手を繋いできたのは、苦手を克服するための儀式か、あるいは日々の積み重ねで多少は好感を得てもらえたからだろうか。

 婉曲な言い回しで「好き」を伝えられ、つい後者の予想が大きく膨らんでしまう。毎日手作り弁当を用意してくれて、家に招かれて、こうして手を繋いでいるのだ。何の取り柄もない高校生Aの僕だって勘違いしそうになる。

 以前までは学年カーストトップで超絶美少女の絵描き、そして脅迫素材を握られ渋々と偽物の恋人関係を築いているだけの相手だと認識していたのに――今はふとした瞬間、胸の鼓動が高まっている。

 この感情に付ける名前を、僕は知らない。

 ただ、不快な気持ちになるわけじゃない。むしろその真逆で、夏の日向で昼寝をするように胸の奥が温まる。その心地良さにずっと身を委ねていたくなるような感覚だ。


「ここでいいです?」

「ああ、休めればどこでもいいよ」


 大通りを少し歩くと、花恋が指を差して訊ねた。

 僕も異論なく頷くと、彼女は木製の扉を押して開く。

 からんからんと鈴の音が鳴った。

 煌びやかな名古屋の街中と違い、店内は木製のテーブルやイスが並べられ、会計の横には観葉植物が添えられている。田舎町を彷彿とさせる小洒落た内装に、幾分か気分が良くなった。

 もちろん店内は客で混み合っているが、外ほどではない。

 店員さんに窓側の席に案内され、メニューを開く。


「僕はアイスコーヒーにしようかな」

「おお、先輩大人ですね。わたし苦くて飲めないです」

「君の舌がお子様なだけだろ。でもそう聞くと飲ませたくなるな、口移しでもしてあげようか?」

「そういうのはもう少し度胸を付けてから言ったらどうです?」


 瞬時に言い返され、僕は口を窄めた。


「なにも反論できないのが悔しいな……」

「先輩がわたしを弄ぼうだなんて百年早いですよーだ」

「つまり君の精神年齢は僕の百歳上、と。クソババアじゃん」

「なにおうっ!」


 テーブル下の足蹴り合戦(一方的に蹴られていた)を終え、僕たちは店員さんを呼んで注文を入れた。

 窓の外を眺めながら、僕は一つの結論を導き出していた。

 花恋の好きが偽物だろうが本物だろうが、どちらだっていい。

 ただ今は花恋の苦手を克服するため、全身全霊で彼氏の役を全うするしかないと。そう胸内で決意が固まると、ふと頬が緩んでしまった。


「ええ、先輩なに一人で笑ってるんですか、キモいです」

「余計なお世話だ!!」

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