第24話 苦手と克服と成長

 注文の品が運ばれてくると、僕はブラックのままアイスコーヒーを口に含んだ。

 花恋が瞠目して、感嘆の声を漏らす。


「はへぇ……ガムシロとミルク入れないんですか……?」

「長時間作業して甘い物摂取したくなった時とかはたまに入れるけど、基本的にコーヒーはブラック以外絶対に許さないマンなので」

「うえ、理解できないです、ちょっと死んでください」

「もはやちょっとの度合いが過ぎてるが?」


  目に角を立てるも花恋は華麗にスルーを決め込み、届いた紅茶に大量の砂糖を投下している。そしてストローを差してちびちびと飲み始め、大層幸せそうな顔をしているが、人間の所業とは思えぬ行動を見て僕は胸焼けを起こしそうだった。


「む、なにか言いたげな表情ですね。先輩はお菓子とか甘さ控えめの方が好きなんですか?」

「ああ、甘すぎると胃がムカムカするんだよ……」

「先輩だってクソジジイじゃないですか!」

「なんだとこの野郎、全くその通りです!」


 ふっ、と二人同時に吹き出した。

 成長と共に味の好みが変化するのは、加齢に伴って味覚機能が低下するからという話は有名だろう。僕もそれを実感した内の一人で、高校に入学してからジュースやお菓子を進んで食べようとは思わなくなった。

 とは言え、僕もまだ高校生だ。周りと比べて甘い物が苦手というのは、案外年寄りに近づいている証拠なのかもしれないと、花恋の言い分に納得してしまう。


「僕たちジジババカップルとして案外お似合いかもな」

「そうですね、末永くお願いします?」

「こちらこそ、よろしくどうぞ?」


 まるで僕たちを祝福するように、氷が溶けてからんっと音を立てた。

 背中がむず痒くなるが、悪い気はしなかった。

 花恋が頬杖を付くと、豊満な胸がテーブルの上に乗っかっる。柔らかな肉の塊が、重力に耐えきれず形を沈ませていた。必死に窓の向こう側へと視線を逸らした僕の気も知らず、花恋は考え事を晒すように口にした。


「……甘さ控えめのお菓子、かぁ……バレンタインとかは大変そうだなぁ」

「ぶふっ、けほっ、けほっ……」


 死角から殴られたように、僕は吹き出してしまう。

 彼女の発言が予想の斜め上を行き過ぎていて、驚かずにはいられなかった。


「ちょ、いきなり吹き出さないでくださいよ!」


 仕方のない人ですね、と文句垂れながら花恋はおしぼりで机の上を拭いていく。


「いや、今のは君が悪いだろ」

「……? あれ、わたしなにかしました?」


 小首を傾げる花恋に、僕は訳を説明した。


「今バレンタインって言っただろう。まさか来年の二月まで僕たち恋人ごっこを続けるのか? あと十ヶ月もあるんだぞ?」


 言い終わった途端、花恋はかーっと顔を含羞の色で染め、口をパクパクと動かした。


「そ、それは、えと……その……うぅ……」

「その?」

「っ〜〜……な、なんですかたかが十ヶ月じゃないですかそれくらい付き合ってくれてもいいじゃないですか先輩のばかっ!」

「えぇ……」

「そこっ、引かないでくださいよ! 別に先輩とずっと付き合っていたいとかじゃないんですからね! ただクリスマスとか年越しとかバレンタインとか彼氏と過ごすの、ちょっと憧れるなぁと思っただけです! これも上手くイラスト描けるようになるための試練ですよ! 他意はありませんからっ!」

「はいはい、必死のツンデレアピールご馳走さまでした」

「ツンデレじゃないですっ!」


 ツンデレキャラは皆等しくそう否定するんだよ。

 胸内でそう突っ込みながら、どうどうと花恋を宥めた。

 彼女はストローを咥え、空気を送り込んでぶくぶくと泡立てる。


「ま、元々恋人を続ける期限は伝えられてなかったし、僕はいつまででも構わないけどね。君と過ごす時間も雀の涙ほどは楽しいから」

「本当にその口は素直じゃないですねー」

「ふふん、それだけが僕の取り柄だからな」

「そんな取り柄は今すぐ捨ててください」


 僕は口直しのピーナッツを口内に放り込む。

 心地良い音を立てて割れると、沈んでいた気分が昂ってくるように思えた。

 花恋が「まぁ、でも」と話を続ける。


「わたしが苦手を克服したら、この関係は解消しましょうか」

「ん……そうか」


 いつもよりワントーン低い声が出た。

 どくん、どくん、静かに心臓の音が跳ねる。

 偽の彼氏役を演じ始めてまだ日は浅いというのに、ただ花恋の手伝いをしているだけなのに、彼女の言葉を聞いて酷く心が荒んでいた。

 創作者クリエイターと過ごす時間は楽しく掛け替えのない物だ。かつて捨てた夢を託したい、その先を見せて欲しい――心の中で破裂しそうなほど暴れる想いは、きっと本物だ。

 でも、だけど……この関係を続けていたいと思う理由は、それだけじゃない気がした。


「なーに寂しそうな顔してるんですか」


 花恋は両手を伸ばし、俯いていた僕の顔をくいっと上げた。

 桜色の瞳は僕をしっかりと見据え、細い指先が頬を撫でる。


「先輩可愛いですね、食べちゃいたいです」


 花恋は口紅で染めた唇をぺろりと舐めた。

 心臓の鼓動が早まり、強く脈を打つ。頬に触れる彼女の指先まで伝わりそうで、僕は咄嗟に顔を遠のけた。可能な限り平静を装って、言う。


「……そういうのはもう少し度胸を付けてから言ったらどうかな?」

「わたし男性恐怖症ですけど、多分先輩にならできますよ?♪」

「……異世界転生したら職業は魔法使いか賢者がいいんだ。僕の大切な未使用品を食い捨てるのだけは勘弁してくれ」

「そんな……わたしの処女は先輩に捧げようと思っていたのに……」

「きっと君の来世は聖女あたりだろうな」

「オークに転生した先輩にレイプされるんですね」

「するわけねぇだろうがッ!」


 思わず突っ込んでしまい、こほんと体裁を整える。


「それで、肝心の苦手は克服できそうなのか?」

「あー、話逸らしましたね、先輩つまんないのー」

「こらこら、口先尖らせないで質問に答えなさい」


 花恋は渋々とスマホを取り出して、画面を切り替えていく。

 しばらくしてテーブルの上にスマホが置かれ、僕はその画面を見た。


「これがつい最近投稿したやつです。画面が小さくて申し訳ないですけど、一応こんな感じです」

「いや、それはいいんだけど……凄いな、勿体ない女から光る原石くらいにはなったんじゃないか?」

「褒めてるのか貶してるのかどっちです?」

「褒めてるに決まってるだろ。てか、本当に冗談抜きで見違えたな。前は『こんなカップルがいてたまるか』って心の中で突っ込んでたけど、今は『付き合いたての上手く会話ができないコミュ障カップル』くらいまで落ち着いてるじゃないか」

「やっぱり貶してますよね、一発殴らせてくださいっ!」


 右手をグーにする花恋を横目に、僕は再度イラストを見直した。

 今月放映開始されたアニメの主人公とヒロインを見つめ合わせる構図で描かれている。男女の仲を完璧に表現しているかと問われれば否と答える他ないが、前回見せてもらった物に比べれば努力の跡が滲み出るような成長具合だ。

 元々の線画や色塗り含めた技術の高さに加えて、苦手を克服したら……と、想像するだけで鳥肌が立ちそうになる。

 ラノベの表紙や挿絵を担当していたとしても、なんら不思議ではない。

 僕はごくりと息を呑んで、花恋の頭を撫でた。


「頑張ったな」

「なっ、なんですか急に! ちょ、もういいですから! よしよししないでくださいっ!」

「僕は可愛い彼女の頭を撫でているだけですがなにか?」

「こういう時だけ権限を行使するのはズルいと思いますっ!」

「おっと、普段の君の行動にブーメラン返ってるけど?」

「わたしはいいけど先輩はだめなんですっ!」

「そんな理不尽があってたまるかっ!」


 ふがが、と花恋が唸るので手を退けてやった。

 彼女は残りの紅茶を飲み干すと伝票立てから紙切れを抜き取り、僕の方へぺしんと叩き付ける。


「ご馳走さまでした! 奢ってもらってありがとうございます!」

「……おいこら、奢るなんて一言も言ってねぇぞ」

「美少女の頭を堪能したんですから、それくらいの対価は支払って当然です!」


 花恋は肩掛け鞄を持ち、会計の方へ向かってしまう。

 僕も急いで残りのコーヒーを飲み、彼女を追いかけた。


「……ったく、しょうがないやつだな」


 僕はトートバッグから財布を取り出すと、つい口元が緩んだ。

 学校では毎日お弁当を持ってきてくれるし、日頃の謝礼だと考えれば奢ること自体吝かではない。それに花恋に奢るなら、まぁいいかと思ってしまう自分がいる。

 後輩に対して甘い気もするが、別に悪い気はしなかった。

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