第33話 色恋に現を抜かす

 突然だが、創作者クリエイターには二種類のタイプが存在する。


 一つ目は直情的に筆を取るタイプ。

 この部類の人種は自身の感情に身を委ねて、ありのままに作品を作る傾向にある。例えば咄嗟に閃いた話をその日のうちに書き始めたり、見終わったアニメに感化されて二次創作を作り始めたりと、良くも悪くもその場その時の精神に左右されやすい人が多い。

 途中で作品を放り投げたり、別の作品に移行したりと不安定な要素も多々あるが、その分型に嵌まった時の完成度は凄まじく高いのだ。世間一般で”天才”と称される人間は、この直情的なタイプから生み出されることが多い。


 そして二つ目は全体を俯瞰し、計画性を持つタイプ。

 この部類の人種は自身の感情すらも掌握し、意図的に作品へ落とし込む傾向にある。話を閃いても個人の感情で文章に書き写したりはせず、妥協に妥協を重ねて流行的な要素を取り込み、博打で満点を取りに行くのではなく、安定した高得点を狙いに行くのだ。

 途中で作品を放り投げることはせず、需要と供給を抑えながら完成させたものは、俗に言う当たり作品と呼ばれることが多い。世間一般で”実力者”と称される人間は、この手の人間が大半を占めるのではないだろうか。


 更紗は前者、僕は後者。

 花恋は創作の土俵が異なるので断言はできないが、恐らく直情的なタイプだろう。二人とも作品の質が精神に大きく左右されているのが良い証拠だ。

 好きな人に浮気され、好きと嫌いがない交ぜになって、許したいのに許せない気持ちが創作に直接影響している。それでも彼女たちと向き合い話を重ねたことで、この関係性を保つことはできた。前日に比べたら心も幾分か落ち着いているだろう。

 だから後は、やる気の方向性を変えてあげるだけだ。

 そのために、僕がいるのだから。

 コンビニで印刷した原稿を片手に、僕はドアホンを鳴らした。

 玄関扉の奥から欠をかみ殺しながら花恋が姿を見せる。

 僕は彼女の肩をガシッと掴んだ。


「ふえっ⁉︎ せ、先輩……こんな朝早くからどうしたんですか……?」

「できた、できたよ」

「な、なにができたんですか……? はっ、まさか更紗先輩が妊娠でも⁉︎」

「君に読ませたい、小説……が……」


 そこまで言いかけて、僕は雪崩れ込むように彼女の身体へ倒れた。



***



「もうっ! どれだけ心配したと思ってるんですかっ!」


 花恋が手に腰を当て、こちらを見下ろしながら怒声を上げる。

 玄関の前で倒れた僕は彼女にベッドまで運ばれ、数十分後に意識を覚醒させたのだが、花恋はだいぶお怒りのようだった。

 僕は枕や毛布に染み付いた花恋の匂いを堪能しつつ、謝罪を入れた。


「ご、ごめん……でも寝不足か貧血だと思うし、そこまで慌てなくても……」

「慌てるに決まってるじゃないですか! 好きな人が目の前で倒れたんですよ⁉︎」

「うっ、そ、そっか……そうだよね……」

「はいそうです顔赤くして可愛いですね朝からご馳走さまでしたっ!」


 花恋はぷくりと頬を膨らませながら椅子に腰を下ろした。


「ふんっ……それで、この原稿はどうしたんですか?」


 デスクに置かれた稿を持ち上げ、枚数を数えるようにぱらぱらと捲りながら訊ねてくる。


「さっき書き上げてきた」

「そうですか……え、さっき……? これ、見た感じ二十ページくらいありますよ? 文庫本換算だとその倍ですよ? これを昨日帰ってから書き上げたんですか?」

「ああ、文字を書くのは早い方なんだ」

「むぅ、世の中の理不尽さを肌で感じました……」


 なんでだよ、と僕が茶化して笑った。

 総文字数は二万ほどだったと思うけど、僕より速筆の作家など星の数ほどいるだろう。過度な自負はいつか誰かに惨敗した時、自分を苦しめる諸刃の剣となる。適度な自信を持つくらいがちょうどいい。


「花恋のためだけに書いたんだ」

「……わたしのためだけ、ですか」

「うん、読んでくれるかな?」

「わかりました」


 花恋は原稿に視線を落として、目で文字を追っていく。

 僕は少し緊張しながら、ごくんと生唾を飲み込んで様子を窺った。

 真顔で最初のページを捲ったかと思えば、つん、と顎をしゃくり顔を顰めたり、「ふふん」と微笑を浮かべたり、途端に顔を赤くしたり、しゅんと全身で落ち込んだりする。

 喜怒哀楽の方向が変わる度に僕もドキドキハラハラした。呼応するように表情筋が動いているのがわかる。ばっくんばっくん、太鼓でも叩いているような心音が響いた。

 ぱらり……はらり……ひらり……。

 自分の書いた小説を目前で読まれるというのは、勇気や度胸が幾らあっても足りないと思う。それが自分の想いを綴ったラブレターなら、尚のこと。

 最後のページが捲り終わり、原稿が机の上に戻されると――


「ぷっ、あはっ、あはははっ」


 花恋はお腹を抱えながら屈託のない笑顔を浮かべた。


「くくくっ、あっははは、な、なんですか、これ」

「そ、そこまで笑うことないだろ!」

「だ、だってこれ、小説というより、もはやポエムじゃないですか、くふふっ」

「まともな小説書けたら五回もゲロ吐いてねぇよ!」

「うひひっ、あー、一生分笑った気がします」

「こっちは一生分笑われたよちくしょう!」


 僕は毛布で顔を隠して、感想を訊ねた。


「どうだった?」


 強引に毛布を引き剥がされ、花恋が僕に飛びついてくる。


「最高に駄作で、最高に面白くて、最高に嬉しかったです」

「……それなら書いた甲斐もあったな」

「でも先輩、少しムカついたことが一つだけ」

「な、なんだよ」

「なんでわたしと更紗先輩の両方と付き合ってハッピーエンドで終わってるんですか⁉︎」

「……登場人物にそんな名前の人はいなかったと思うけど?」

「はぁ……その言い訳は苦しすぎますよ。だってこれ、後輩ヒロインのおっぱいが大きいのも、幼馴染ヒロインのおっぱいが小さいのも、わたしたちにそっくりじゃないですか」


 花恋は自分の胸を押し付けながら、嫌味っぽく言う。


「……お願いだからそれ、更紗の前では言わないでね?」


 二人の間で喧嘩が勃発すれば、たちまち僕の元に火の粉が飛んでくるだろう。

 想像するだけでも身震いが止まらなくなる。


「ま、これは先輩がに書いてくれた物なので、今回だけは告げ口するのを見送りましょう。それにを聞けましたから、もう今日はお腹いっぱいです」


 僕がきょとんとした瞳で花恋を見て、呆れるような笑みを溢した。


「やっぱり、人の心を読める二次元設定があるなら、先に教えてほしかったよ」


 登場人物に僕と花恋だけではなく、敢えて更紗も混ぜたのは平等じゃないと思ったから。どちらか片方を贔屓するのは簡単だが、それでは更紗にも花恋にも申し訳が立たなくなる。

 それに更紗は僕と花恋の関係を知っているが、花恋は僕と更紗の関係をまだ知らない。ならば手っ取り早く知らせるため、も織り交ぜて、尚且つフラットに楽しめる小説という形で示したのだ。

 そしてこの小説は、作品は、花恋の苦手を克服するための道具となる。


「物書きの僕から絵描きの花恋にお願いだ。この小説のキャラクターを描いてくれないか?」

「絵描きのわたしは物書きの先輩の頼みを引き受けましょう。ただし、更紗先輩は描いてあげません。わたしと先輩だけを絵にします」

「意地の悪い後輩だなぁ」

「今更じゃないですかぁ」


 花恋が僕の腕を引っ張って、椅子まで移動する。

 僕が先に座らされた。「よいしょ」と僕の太ももの上に花恋はお尻を付ける。


「ぎゅーしていてください。あ、おっぱいは揉んじゃだめですよ?」

「はいはい。好きな物は最後まで取っておく主義なんでね、今は手を出さないよ」

「えへへぇ」


 お腹の辺りに腕を回すと、花恋は満足そうな顔でペンを握った。

 とんとん、と液タブの画面を叩くと、スリープモードが解除される。


「ねぇ先輩、『好きだよ』は我慢するので、せめて『頑張れ』って耳元で囁いていてくれませんか?」

「それくらいお安い御用さ」


 花が咲くように笑う彼女の耳元で、そっと囁いた。


「頑張れ……頑張れ……頑張れ……頑張れ……」


 すぅ、と息を整えて花恋はペンを走らせる。

 カッサッカッと小刻み良く線が増えていった。

 昨日のように元に戻すアンドゥ機能を連続して使う様子はない。


「頑張れ……頑張れ……頑張れ……頑張れ……っ!」


 桜色の瞳は細くなり、僅かに呼吸が乱れている。

 それでも動かす手は止まらない。

 むしろ気持ちが乗ってきたのか、レイヤーの切り替えが早くなり、みるみると線画が完成していった。

 そして肌、唇、瞳、髪の毛と徐々に色が塗られていき……。

 ――僕は目を剥いた。

 色が塗り終わったイラストを目前にして、咄嗟になんと言えばいいのかわからなかった。胸内で様々な感情がぐるぐると渦を巻き、ぐっと目頭が熱くなる。


「ははっ……」


 だって、これは。

 僕が花恋に告白するシーンを切り取って映し出されたイラストは。

 男の子が照れ隠しで微笑する姿は、女の子が指先を擦り合わせて恥じらう姿は、その視線の泳ぎ方は、その赤く染めた顔は、その後押しするように靡く髪は。

 まるで色恋に現を抜かす、恋人みたいだったから。


「頑張った、な……頑張ったな、頑張ったな」

「は、い……はい、はい、はいぃ……っぅ、あ」


 花恋は体勢を変え、こちらを向く。

 互いに腕を伸ばし合って、ぎゅっと抱き合った。

 本当に、最近は泣いてばかりだ。

 でも、まだ泣き足りていない。

 僕はもう一人、救わなきゃいけない女の子がいるから。



***



 花恋は泣き止むと、ベッドにぼふんっと飛び込んだ。

 目元が腫れているのを見せたくないのか、顔を枕に沈ませた。

 その細くしなやかな身体を抱擁したくなる衝動を抑えて、僕は鼻をすする。


「もう、わたしは疲れました……眠いです……」

「子守唄でも歌おうか?」

「いいえ、先輩にはまだやることがあるんじゃないですか?」


 花恋は心を見抜くように、ハッキリとした声色で言った。


「その、稿を見せなきゃいけない人がいますよね?」

「ったく、君はなんでもわかるんだな」

「大好きな人のことですから、それくらいわかりますよ」


 そっか、と小声で返事をして、もう一つの原稿を持ち上げた。

 に徹夜で書き上げた原稿にタイトルはない。内容が伝われば題名なんて要らないと思ったからだ。だが、もう片方の原稿にはしっかりとタイトルが付けられていた。

 これは、今の僕が作った作品じゃない。

 遠い昔の僕が、小学生の頃に僕が初めて書いた作品だ。

 この小説のタイトルは――


「恋敵に塩を振るほど人ができていませんので……わたしが眠っている間に全部終わらせてきちゃってください」

「ありがとう、行ってくる」

「はい、行ってらっしゃいです」


 かつて、を想い、書き上げた原稿を抱えて外に出る。

 夕暮れの街中を、物語に出て来るヒーローみたいに駆けた。

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