第14話 花恋と同衾
「あ、もう来ていたのか」
「あ、じゃないですよ。悠然と本屋から出てきて開口一番がそれですか、舐めてるんですか、殴っていいですか?」
花恋はふふっと口元を綻ばせるが、しかしその目は笑っていない。
ダボっとした白色のトレーナーに、橙色のミニスカートを身に纏っている彼女は、その袖先を肘まで捲って握り拳を作った。
僕は二、三歩ほど後退りながら、両手を上げる。
「待て待て、まだ集合時間まで五分あるだろう? なぜ僕が殴られなきゃいけないんだ」
「その理由は先輩の右手にぶら下がっていると思いますけど」
僕は反射的に自分の右手を見上げる。
そこにぶら下がっているのは、先ほど購入したラノベが入った袋だ。
「なるほど、素晴らしい作品がぶら下がっていることしかわからん」
「それが答えですよ! 待ち合わせ場所を本屋の中にしろと言った覚えはありません!」
「だからしっかり五分前には本屋の前に来ているだろう?」
「そこは普通、彼氏が彼女よりも早く到着して、『ううん、僕もさっき来たところだよ』ってテンプレ発動するところじゃないですか⁉︎」
「三次元と二次元を一緒にするなと言いたいところだが……僕と花恋の関係を棚に上げて言えることじゃないな……」
「そうですよ、偽物なら偽物らしく、堂々と振る舞うべきですっ!」
花恋からの熱い抗弁を受けて、ついでに新刊のラノベを買っておこうという僕の行動は、確かに彼氏らしからぬものだと自覚させられる。”恋人関係”と呼ぶよりは、”ただの友達”に近しいと思った。
「次から気を付けるよ」
「いえ、責任を取って切腹してください」
「……勘弁してぇ」
ぐすん、と大根役者のように涙ぐんでみせると、空いている左手が取られた。
その左手には、花恋の右手が繋がれている。
「ほら、行きますよ先輩」
「はい、連れてかれますよ後輩」
「なんですかそれ、もうっ」
しょうがない人ですね、と花恋が小馬鹿にするように笑う。
小さく、ひんやりとした手の温もりを感じつつ、花恋に誘導されて書店を離れていく。
なぜか、花恋の手は少し震えていた。
***
時は遡ること、数日前のお昼。
学校の屋上で昼食を取っていた時のことだ。
もはや恒常化されつつある日常に、偽物の恋人関係を築いて以来、初めての提案が投げられた。
――先輩、次の土曜空いてるんですけど遊びませんか?
――それはデートのお誘いで?
――いえすです。お家デートとかどうですか?
――花恋の家にお邪魔するのか?
――はい、たくさんいちゃいちゃしましょう♡
そうして、花恋に手を引かれている現状に移るわけだ。
待ち合わせ場所に駅直結の書店が選ばれたのは、僕の家から駅を挟んだ先に彼女の家があるかららしい。駅と直結したビルの一階に書店があり、近辺の中ではかなり大型の本屋になるため、その前にはちょっとした休憩スペースがある。
多数の自動販売機が並び、本と過ごす憩いの場であると共に、地元民の間ではちょいちょい集合場所にされるのだ。
駅を出ても相変わらず手は繋がれたまま。
それぞれの指が絡まり合い、これが恋人繋ぎってやつなのかとリア充の優越感に浸ること十数分。駅周辺の大きな建物が遠ざかり、目に映るのは家賃が高そうなマンションばかりだ。
「ここです」
花恋は足を止めた先には、築年数が比較的新そうなマンションだった。
紺色の外壁はまだ艶があるし、ロビーにオートロックが付いているので、家賃もそれ相応の値がするだろう。
「僕なんかが入るのは場違いな気がしてならないな……」
「先輩は一戸建てでしたっけ? わたしはそっちの方が羨ましいです」
「そうかな、こういうマンションの方が色々な機能が付いていて面白そうだけど」
「なんですかそれ、ウケますね」
そう言って、相変わらず小馬鹿にするような笑みを見せる。
ただ、僕はその見慣れたその顔に、どことなく固さがあるように思えた。
ロビーに入ると花恋はIC認証カードを取り出し、オートロックを解除すると、僕たちはエレベーターに乗って五階まで上がった。花恋の部屋は長い廊下の端っこにあった。
「お邪魔します」を言って玄関扉を潜ると、自分の家でもない、更紗の家でもない変わった部屋の匂いが鼻を突いた。お日様の元で実ったみかんのような、そんな匂いだ。
たたきには女性物の靴が幾つか並び、その中に僕の物が混ざっていると思うと、少しだけ心が緊張で縛り付けられた。更紗以外の女子の家に上がるのは初めてである。
「ここがわたしの部屋です、飲み物持ってくるのでゆっくりしていてください」
半ば押し込められるように入室させられると、思わず息を呑んだ。
「ゆっくり、ゆっくりねぇ……」
どこにゆっくりできる場所があるの?
と、つい突っ込みを入れそうになった。
床の至る所に脱ぎ散らかされた衣類が鎮座し、デスクの上は液タブとなにかの参考書で埋め尽くされ、小さなちゃぶ台は化粧品置き場になっている。
ちらりと垣間見えた紫色の下着は、色気の一つも放っていない。
もはや呆れて声も出ずにいると、ややあって花恋がお盆を手に戻ってきた。
「なにか言いたそうですね」
「この惨状を見た後でなにも言いたいことないやつがいるなら是非とも連れて来て欲しいね」
「ここにいますけど」
「よし、週明けにでも学年カーストトップの最上花恋は片付けが苦手らしい、って学校中に言いふらすとするか」
「そんな脅迫してわたしになにする気ですかっ!」
「なにか一つ命令するとするなら、片付けしろ」
「いやぁ……なにも聞こえないです……」
ぷいっと顔を逸らすと、あろうことかちゃぶ台に乗っている化粧品を腕で薙ぐように床へ落とし、「よしっ、片付いた!」と言ってお盆を置いた。
「おい待て、どこが片付いたんだよ。むしろ余計に座る場所なくなったぞ」
「立ち食いならぬ立ち飲みってやつです」
「おっと、君はゆっくりという言葉の意味を知らないらしい」
「誰です、そんなこと言ったの?」
「お前だろうが!」
花恋が白々しく首を傾げると、もう突っ込む気力すら沸かなくなった。
僕は洗濯に出すと思われる衣服をまとめて拾っていく。
「……持って帰るつもりですか? あ、夜のオカズにするやつです? 濃い精液で汚されちゃいます?」
「汚れてるのは君の頭の中だ。ほら、さっさと片付けるぞ」
「むぅ……仕方ありませんね、手を貸してあげます……」
「なんで上から目線なんだよ……」
洗濯物は粗方集め終わると、ちょっとは女の子らしい部屋になったと思う。
勝手に家内をうろちょろするのも申し訳ないので、脱衣所へ洗濯物を運ぶのは花恋に頼んだ。しばらくして洗濯機の動作音が小さく響いてくる。
花恋が部屋に戻ると、ハッとしたような表情で言った。
「これが愛の巣作りってやつですか⁉︎ 先輩も意外と大胆なところありますねっ!♡」
「巣作りというより、子どもの面倒見てるような感覚だけどな」
「初めてのお家デートなのにもう巣作り始めるとか、先輩ヤリ手ですね」
「そこ、スルーした挙句に卑猥な言い方をするな」
「先輩……心の準備はできていますよ……」
「はいはい、どうぞ永遠に準備だけしておいてください」
ようやく座るスペースができた絨毯に腰を下ろして、ため息をついた。
「家事ができない女とは結婚したくないなぁ」
口角を上げながらそう言うと、花恋はひくひくと眉間に皺を寄せる。
「そ、そうですかそうですか……いつかあっと言わせてやるので覚悟しておいてください」
「あっと言わされても君とは結婚しないけどね……? そこ否定しようね……?」
「ぐすん……彼氏にお前とは結婚しないって言われたぁ……」
「その演技もやめようね?」
頭の中では演技と理解していても、花恋の可愛さに脳が揺さぶられる。
あざとく計算されているであろう仕草の一つひとつにドギマギさせられるのだから、本当にたまったもんじゃない。
胸内で毒づきながらも、僕はそろそろ本題を切り出した。
「それで、僕を家まで連れて来た理由はなんなんだ?」
遊びに誘われたが、その訳までは説明されていない。
単に恋人の真似事をしたいだけなら、出先で遊ぶ方がよっぽど健全的だし、その様子を写真などに収めれば絵の参考にもなるはずだ。
多分、家内でしかできないなにかがあるのだろう。
ややあって、花恋は答えた。
「先輩とセックスしたいからです」
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