第15話 肉食系女子と男性恐怖症

「先輩とセックスしたいからです」

「は……?」

「だから、先輩とセックスしたいからです」

「な、な……」


 言葉が喉に詰まり、どきりと心臓が鳴る。

 間抜け顔を晒す僕の肩を、花恋がどんっと突き飛ばした。

 ピンク色の絨毯の上で、仰向けになった僕の下腹部に跨がり、花恋はぺろりと唇を舐める。


「肉食系女子はお嫌いですか……?」


 耳元に顔を寄せて、蠱惑的な声音で囁かれた。

 ぞっとする甘い声に、思わず身体が跳ねる。


「……生憎とちょっと前まで中学生だった子どもには興味がないんだ」

「そんな嘘ついてもバレバレですよ? こっちは素直に反応してるのに」


 花恋はスカートの中を擦り付けるように動かすと、にへらと嗤う。

 会った時はラフな服装だと思ったが、どうやらこの時のための布石だったらしい。僕のスキニーパンツ越しに、シルクの布の感触が伝わってくる。


「やめてくれ……」

「やめないですよぉ、えへ、可愛いですねぇ」

「可愛くなんか……ひゃッ……」

「耳舐めされたくらいで喘いじゃって、可愛いんだぁ」

「こ、このっ……」


 耳元から遠ざけようと花恋の身体を突き飛ばそうと、


「ひゃんっ……先輩のえっち……」


 両腕を伸ばした先には、丸く大きいおっぱいが。

 衣服越しだというのに、沈み込むように指が張り付いた。


「ち、ちがっ……」


 腕を引こうとすると、その前に花恋の両手が僕の両手を包み込む。

 側から見れば、彼女が無理やり彼氏におっぱいを揉ませる構図だ。

 しかし、家に来る前と同様、その手は少し震えている。


「……っ〜〜、お、お願いだからその手を退けて」

「嫌に決まってるじゃないですかぁ♡」


 まるで獲物を襲うように、花恋は目を細めて口端を上げる。


「こういうことは本物の恋人になってからじゃないと、だめだって」

「今はセフレって言葉もよく流通しているじゃないですかぁ」

「そうだね、そういう人たちは合意の元で関係を築いているんだ。別に偏見を押し付けるつもりも、卑下するつもりもないよ」

「なら、いいじゃないですか」

「よくないよ、少なくとも僕はこんなことに同意してない」


 そう断言すると、花恋は桜色の目をキリッと逆立ちさせて、辛酸を吐き捨てるように言葉を返した。


「こうでもしないと、わたしは絵が上達しないんですよ」

「嘘だ、こんなことで絵が良くなるなら、なんでそんな苦しそうに笑うんだよ」

「そんな、ことは……」


 続ける言葉が見当たらないのか、花恋は黙り込んだ。

 糸が切れたような静寂さに居心地の悪さを感じていると、花恋は僕の両腕を解放して立ち上がった。

 デスクの立て掛けていたスマホを手にする。


「……動画、撮っていたのか?」


 片付けをしている最中、こっそりと仕掛けていたらしい。


「はい。これはあまり参考にならなさそうですけど」


 そう言いつつも、動画にお気に入りフォルダに入れていたのが見えた。

 恐らく、『あ〜ん』をした時の動画なども一緒に保管されているのだろう。

 僕は上体を起こして、胡坐をかきながら言った。


「全く、構図を撮りたいだけなら、わざわざあんな下手くそな演技しなくたっていいのに」

「下手くそとはなんですか! これでも頑張っていたんですよ!」

「そうだな、手を震わせるくらいには頑張ってたな」

「むっかちーん! それは言わない約束じゃないですかぁ!」


 口先を尖らされる花恋は、どこか吹っ切れたような顔をしていた。

 緊迫感が薄れ、本来の性を取り戻したのだろう。

 やはり最上花恋という女の子は、あざとくて小生意気なくらいが丁度いい。


「これでも吐かなかっただけマシです。多分、先輩以外の人だったらとっくにダウンしていますよ」

「それは信頼を寄せられてるから、ってこと?」

「いえ、ヘタレでチキンで意気地なしで童貞だからです」

「よし、今から襲われても文句言うんじゃないぞ」


 というか、更紗と全く同じことを言わないでほしい。

 僕の評価が塵芥なのはともかく、改まって二人も付き合い人がいるというのは心臓に悪かった。


「くふふ、なーんだ、本当に先輩って先輩なんですね。緊張して損しちゃいました」

「いや文脈おかしいからね? 勝手に一人で納得しないでね?」

「優しい人だなーと思っただけです」

「っ……そうかよ」


 いつもはからかい口調なのに、全く調子が狂う。

 照れを隠すために頬を掻き、誤魔化すように話を変えた。


「なぁ、君ってもしかして男性恐怖症なのか?」


 男性恐怖症――小説のネタで何度か調べたことはあるが、その代表的な症状は”男性に対して威圧感や恐怖、不安を感じる”、もしくは”男性と話すと息苦しくなったりめまいが起こったり、身体的な変化が現れる”などが有名だろう。

 ただ、学校内のやり取りでそのような症状は見受けられなかったので、単に僕が気にしすぎただけか、あるいは軽度な男性恐怖症か。

 そう考えていると、答え合わせをするように花恋が口を開いた。


「あはは……バレちゃいましたか……」

「恐ろしく隠すのが上手い、僕じゃなきゃ見逃してるところだったね」

「ハンハンネタやめてください、めっちゃ似合わないです」

「うっせ」

「でも私に気を遣って似合わないことする先輩は好きです」

「はいはい、まずはその軽い口を閉じような」


 近くに落ちていたぬいぐるみをばふっと投げ付けると、花恋はあからさまにムスッとした。


「むむむ、そこは『僕も好きだよ花恋、結婚しようか』って口説き落とす場面だと思うんですけど」

「はいはいすきすき、けっこんしようか」

「むかーっ! 先輩に棒読みされると腹立ちますね!」


 今度は花恋がぬいぐるみを投げ、僕がそれをキャッチする。


「ま、僕と君の距離感はそれくらいってこと。だから意味もなく神経質になるな、こっちも疲れるだろ」

「なんでもっと素直に慰められないんですかね、ほんと……」

「僕は素直だぞ。ただ素直になる相手を選んでるだけで」

「ちなみにその審査基準は?」

「年上で意地が悪くなく、おっぱいと太ももを触らせてくれて、メンヘラじゃない人」

「なるほど、喧嘩売ってるんですか。包丁持ってくるんでちょっと待っていてください」

「冗談だからヤメヨウネ?」


 悪魔を顔面に貼り付けたような笑みを向ける花恋に恐怖を感じつつも、僕は話の先を見据えた。

 恐らく、花恋が男性恐怖症なのも、『男女の仲を表現するのが苦手』なことも察しはついている。僕と花恋が恋人同士だと言っても、それは偽物の関係に過ぎない。部外者である僕が、彼女の心の繊細な部分に触れてもいいのか、それだけが分からなかった。


「――きっと、先輩はもう気づいているんですよね」


 なにを、とは言わなかった。

 いつの間にか近寄っていた花恋が、俯いていた僕の顔を両手でくいっと上げ、目を合わせる。


「わたしが男性恐怖症な理由、聞いてもらえますか?」

「わかったよ」


 僕は相槌を打つと、静かに耳を傾けた。

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