第7話 過去と捨てた夢
「凜々人はさ、やっぱり、もう小説は書かないの……?」
潤んだ眼差しで見つめられ、僕は言葉に詰まった。
思わず顔を背けると、ひらりと伸びる手にホールドされ、強引に目を合わされる。
――ぽとり、溢れた雫は、三年前のあの時となんら変わらず。
つい、僕は中学二年の記憶を思い出してしまった。
***
当時、中学二年生だった僕は、夜中の二時過ぎ頃に就寝し、早朝六時半に設定したラームに叩き起こされるような生活を送っていた。
言わずとも、寝る間も惜しんで小説を書いていたからだ。
大きな隈を目の下に貼り付けて、頭痛と倦怠感に苛まされながらも、僕は必死に筆を進めていった。必死に、必死に、必死に。死に物狂いで、呼吸すら忘れそうになるほど、文字を書き連ねていった。前回の選評で指摘されたことを意識しながら、文章も稚拙にならないよう、そして伏線の入れ忘れに気をつけながら。
本当に必死だった。
多分、あと一歩なにかを掛け違えていたら、執筆自体できなかったかもしれない。それは、自己嫌悪が先行した自殺だったかもしれないし、あるいは精神崩壊を引き起こして植物状態になっていたかもしれない。
それでも僕は死ぬ気で、作品を完成させた。
中学校に通いながら、提出物も勉強も怠らず、空いた時間を少しも無駄にしないで書き上げた作品は――過去一番の最高傑作と言えた。
読み返してみると、ページを切り替える手が止まらなくなる。
なにより、文章の完成度が抜きん出て素晴らしかった。正直、文章力に関して言えば、書籍化作家の何倍も上手い自負があった。自分には文才があると自惚れもした。文章力が高いということは、作品の中身が濃くなるということ。自分の小説には、沢山の想いが詰まっているのだと。
原稿を数日眠らせ、推敲を重ね、誤字脱字も抜かりなく確認し、子供を送り出す親のように応募した。
そして四ヶ月後、難なく二次審査の通過までは勝ち取った。
ここまでは平常運転だ。一次審査は通って当たり前、二次審査はたまに落ちる。三次審査は……未だに一回も通っていない。
そして迎えた三次審査、通過発表。
受賞を確信すらしえる、渾身の出来だった僕の作品は……
――三次審査、落選。
僕は椅子から崩れ落ち、涙が溢れ、酷く失望した。
ああ、なんで僕はこんなにも無才なんだろう、って。
泣いた、泣き尽くした、泣き止んだ。
涙が枯れると、僕の胸内にはなにも残ってなかった。
ただ、漠然とした空白で埋め尽くされていた。
きっと、真剣に小説家を目指してる人なら、一度は経験したことがあると思う。そして多分、この挫折から立ち直れる、ほんの一握りの強者だけが、受賞にありつけるんだと思う。
僕は挫折して立ち上がれなかった、ただの弱者だ。落ちこぼれ以下だ。
そうして僕は、一週間ほど学校を休んだ。
布団にくるまり、部屋から出るのは風呂と食事を取るだけ。退廃的で、厭世的な日常だった。それが余計に僕の自己嫌悪を深めた。「死にたい」と「消えたい」を交互に呟いて、でも、実際には死ぬ勇気なんてない、ただのクズだ。
「……凜々人、ご飯ここに置いておくからね」
「………………」
時折、更紗が様子も見に来てくれた。
僕が睡眠時間を削って執筆していることも、本気で受賞を狙っていることも、更紗だけには打ち明けていたから。彼女には二次通過までの結果を伝えていたので、僕が三次落選したことも察しているだろう。
返事をせず黙り込んでいるのを見限ってか、更紗の足音が遠のいていった。
ただ、食事を摂取したい気分ではなかった。
なんとなくスマホを眺めていると、一件のメールが届く。
『第○○回ライトノベル大賞の選評をお送りいたします』
はっ、と自嘲した。
正直見たくもなかったが、添付されたファイルを自然と開いていた。
評価点数は特別芳しいわけでもなく、かといって高くもない、いつも通りの内容だった。問題は審査員のコメントである。二次審査を通過すると、下読みの人だけではなく、大抵は二名前後の編集者がアドバイスをくれるのだが……。
「――……なにが『文章力は素晴らしかった』だよ。僕の取り柄は文章力だけかよッ! ふざけんなよッ! 僕がどれだけ必死な想いで構成を練って、どれだけ必死な想いでキャラクターを動かしたと思ってるんだよッ!」
僕はスマホを投げ飛ばし、雄叫びを上げるように声を発した。
「僕がどれだけ苦心して書いたと思ってるんだよッ! なのにそれが『キャラクターの心情がチグハグしてる』だとッ⁉︎ 『ライトノベルの題材としては不向き』だとッ⁉︎ ふざけるな、ふざけんなよッ! クソッ!」
僕はいきり立って腰を上げると、扉を囲む木の支柱を両手で殴りつけた。
右手で、左手で、右手で、時には頭突きをして。
「僕のキャラクターを馬鹿にすんなッ! 僕のストーリーを馬鹿にすんなッ! お前らの目は節穴かッ! ふざけんなよッ!」
はらり、拳から血が垂れた。
たらり、額から血が流れる。
「ふざけんな、ふざけんなふざけんなふざけんなッ!」
「――ちょ、ちょっと凜々人⁉︎ なにしてるの⁉︎ ね、ねぇ、お願いだからやめて!」
狂った怒鳴り声が隣家まで響いていたのか、更紗が駆け付けてくると、僕に抱きついて動きを止めようとする。
その時は頭に血が上っていたし、どうやって落ち着いたのかも曖昧だった。
ただ、最後に更紗に言った言葉だけは、しっかりと記憶に焼き付いている。
「――僕、もう小説は書かない。辞めるよ、作家の道を辿るのは」
その言葉は、意外とすんなり口から出てきた。
幾度となく挑戦してきた新人賞。きっと、僕自身どこかで諦観していたのかもしれない。狭き門への道のり、本当の天才だけが、一握りの強者だけがデビューできる世界。その道のゴールへ、僕は辿り着けないと。
「……なに、それ。あれだけ頑張ってきたのに、もう諦めちゃうの?」
更紗は涙目になりながら、僕を挫折から立ち直らせようとした。
でも、それが僕の神経を余計に逆撫でした。
「あれだけって……更紗に、なにがわかるんだよ。僕の努力の一欠片でも、君に理解できるって言うのかよッ! 努力して努力して努力し尽くして、それでも僕じゃ足りなかったんだよッ! 僕は諦めるための言い訳なんかしてないッ! 僕は自分の道を進めるだけ進んで、その先に道がなかったから引き返しただけなんだよッ!」
「そうだね、私には凜々人がどれだけ頑張ってきたかなんて、想像もつかないよ。でも、ずっと横で見てきたつもり。だからこれからも、私は凜々人の成長を見て、そばで支えてあげたい」
更紗は扉の前に置かれたままの料理を持ってきて、「ほら、とりあえずご飯でも食べよ?」と皿を差し出してくる。
僕はそれを――反射的に払い退けてしまった。
我に返った時にはもう手遅れだった。皿は宙を舞い、逆さまになって床に着地する。
ややあって、更紗は震えた声音で言う。
「……凜々人なんて、もう知らない。こんな凜々人は、私の幼馴染なんかじゃない」
ぽとり、溢れた涙が彼女の頬を濡らした。
そして飛び出すように部屋を出ていき、僕は正真正銘の独りぼっちとなった。
***
あの、更紗が涙を流した瞬間だけは、どれだけ時間が過ぎても忘れられなかった。
……作家の夢は、忘れられたのにな。
因果応報というのだろうか。この先も、僕はあの顔を忘れられない気がした。だけど、仮に僕が嘘をついたところで、更紗の泣き顔が屈託のない笑顔に変わることはない。僕がいくら嘘を重ねても、どうせ更紗に見抜かれて終わりだ。
だから、僕は素直に心情を吐露した。
「もう、小説は書かないよ」
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