第6話 改善策と過去

 食事中に席を立つなんて行儀が悪い、なんてこっぴどく叱られた食後――高校生にもなって土下座させられたことは言うまでもないだろう――僕は更紗を引き連れて自室に移った。

 壁一面が本棚に覆われ、その対面にベッドとデスクが設置されているだけの、簡素な八畳部屋だ。読書好きな父親が家を建築する際に立て付けた本棚らしいが、今となっては僕の所有物となっている。


「わぁ、前来た時よりも本増えてるね。あ、これ芥川賞取ったやつだ。え、これってどこも入荷待ちで買えないやつなのに……」


 そう言って、更紗は本棚を物色し始める。


 中学二年の終わり頃に作家の道を断念したのだが、それ以来、どうにも手持ち無沙汰な時間が増えるようになった。中学三年の時は受験勉強で気を誤魔化すことはできたものの、高校に進学してからはずっと上の空。そして偶然目に入ったバイト募集のチラシを見て、僕はすぐに応募をした。

 うちは自称進学校とは言えど、同じ偏差値の他校に比べて勉強は難しい方だと思うし、意識の高い生徒は二年に進級してから大学受験の対策を視野に入れ始める。僕もその中の一人で既にバイトは辞めてしまったが、一年丸々注ぎ込んだだけあって得た本の数々と貯金は大きかった。


 自慢じゃないが、高校生でここまで本を揃えられる人は少ないだろう。

 僕は一般文芸からラノベまで揃えられた本棚を眺めてそう思う。


「はっ、こ、こほんっ……そ、それで、私を部屋まで連れ込んでどうするつもり? まさかこれから襲われちゃうの?」


 更紗が我に返ったように僕の方へ振り向き、頬を朱色に染めて訊ねた。

 大方、大量の本を間近にして興奮が抑えられず、僕に子供っぽいところを見られて恥ずかしくなっているのだろう。


「誰が君みたいなチンチクリンを襲うか。そういうのはもっと豊満な体付きになってから言うんだな」

「むががーっ、私だって普通くらいはあるもんっ!」

「君の中では普通かもしれないが、僕の中では貧乳の部類に入るんだよ、このチンチクリンが」

「あーっ、また言った! チンチクリンってまた言った!」


 更紗が両腕を振り回して突進してくるが、僕が伸ばした手が彼女の頭を押さえつけ、やむなく猪の突撃は終わった。


「さっきも言っただろ、文章力向上のための策があるって」


 僕は探偵のよう顎に手を添えて、にやりと笑う。


「うぅ、なんか嫌な予感がするんだけど……?」

「文章力っていうのは基本的に執筆量、読書量が物を言うんだが、まだ高校生の更紗と二十代や三十代の作家志望で差が出るのはどうしてか。そう、単純に時間と金だ」

「なんかいきなり語り出したんだけど⁉︎」

「仮に、月に本を五冊読むとすれば年六十冊。極論を言えば、更紗より二つ年が上なだけで百冊以上も読書量が違うわけだ。プロの小説っていうのはたった一冊読むだけで構成や文章を大きく吸収できるし、それが何十、何百冊という差になれば簡単に覆せるものじゃなくなってくる」

「私のツッコミはスルーなの⁉︎」


 ……うるさいな、今いいところなんだから静かにしてろよ。

 僕が人差し指を立ててしーっと合図すると、更紗は不機嫌そうに口を噤んだ。


「そして毎月沢山の本を読むには、当然ながら本を買わなきゃいけない。交際費を抜いて残った君のお小遣いと、生活費諸々を差っ引いた社会人の給料。どちらが多いかなんて言わずともわかるだろう?」

「そんなの、社会人の人の方が多いに決まってるじゃん?」

「そうだ。更紗が買える本なんて高が知れてるけど……。でも、僕たちが合わさったら、社会人が相手だって戦える」


 ラノベ主人公らしく、小説に登場するキャラクターのように、殊更に、婉曲な言い回しをする。


「……っ⁉︎」


 それでもこよなく小説を愛する更紗は、僕の言葉の意味を理解し、大きく瞠目した。


「つまり、私が自分で買ったやつだけじゃなくて、凜々人が持ってるのも貸してもらって読書量を増やすってこと?」

「そういうことだ。どうせ君は買った小説をその日のうちに読み込むタイプだろ。家にあるのは読了済みだから、仕方なくネット小説で我慢してるってところか」

「な、なんでわかったの⁉︎」


 逆になんでわからないと思ったんだよ、アホかこいつ。

 小学校から朝の読書タイムを誰よりも楽しみにして、高校に上がった今ですら休憩時間に本を読んでる始末。その上、さっき僕の本棚に飛び付いていたのを見れば、それくらい簡単に想像が付く。


「だから、これからはネット小説を読み漁るのはやめろ」

「ど、どうして……? ネット小説の中にだって面白い作品は沢山あるよ?」

「面白い作品があるのは否定しない。だが、公募作品とネット作品を一緒にするな。縦書きと横書きで書体が違う上に、公募作品と違ってネット小説は読みやすさ重視で書かれてることが多い。ネット小説を模倣すると変な癖がつく」

「むむむ、それはネット小説の批判?」

「ばっか、僕ほどネット小説が大好きな男はいないぞ。毎日ランキング上位作品は読んでるし、ブクマもめっちゃ付けてる」


 正直、全国のネット作家様には頭が上がらない。

 だが、それとこれとは別問題だ。

 ネット小説にはネット小説の良さがあるように、公募にも公募の良さや特徴がある。

 それを正しく理解しないと、公募の壁はまず超えられない。


「う、うん……でも、なんだか納得いかないなぁ……」

「納得しなくてもいい、不服でもいい、だけど理解はしろ。公募とネット小説じゃ根本的な構成に違いが出るし、地の文の描写だって大きく変わってくる。更紗がネット作家になって、ネット小説からの拾い上げを狙うっていうなら、僕はこれ以上口を挟むつもりはないけどな」

「………………」


 少し冷たい声音で、厳しく諭した。

 僕と更紗がただの幼馴染、もしくはただの同級生であれば、こんな会話は不必要だろう。

 だけど、今は僕は更紗の恋人で、更紗の手伝い役で、更紗の指導役だ。


 ――それならいっその事、来世の私に賭けてみるのも悪くないかなって、えへへ。


 更紗は自分だけじゃどうにもならないから、でも小説家の夢を諦めきれなくて、来世の自分に賭けて自殺しようとした。更紗がどれほど作家になりたいかなんて、痛いほど伝わってくるよ。藁にもすがる想いで仲違いした幼馴染を頼って、小説のために自分の矜恃を捨てて、こうして僕の隣に立っている。


 あの時、あの屋上で、僕の冷めた小説への熱が蘇った気がした。

 だから、僕は更紗の願いを叶えたいと思った。

 だから、僕は更紗に対して一切手を抜かない。


 それは、寺嶋更紗という小説家に対しての冒涜に他ならないから。


 不意に、更紗が僕の肩を突き飛ばして、ベッドに押し倒した。

 仰向けに倒れ込んだ僕の上に跨がって、更紗は上擦り声で口にする。



「凜々人はさ、やっぱり、もう小説は書かないの……?」

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