第30話︎︎ 巡り合わせ

「…………っ、なんで、この絵が……」


 液タブで描き始める前のラフ絵みたいな物だが、あの子が描いてくれたイラストを僕が見間違えるはずもない。スケッチブックの白紙に描き込まれていたのは、僕が書いた小説のキャラクターたちだった。


「……見ちゃったんですね」


 顔をぐちゃぐちゃにして花恋が言う。

 僕はページを捲りながら、


「ごめん、なさい……ごめん、なさい……」


 と、謝罪を続けた。

 瞳からも大粒の涙が溢れ、白い紙が暗く滲んでしまう。

 答え合わせをするように、頭の中の疑問が晴れていった。


 ――花恋が僕のメアドを知っていたのは、三年前まで創作者クリエイターとして連絡を取り合っていたから。

 ――花恋が僕を偽物の恋人に選んだのは、僕たちが夢を誓い合っていたから。

 ――花恋が”半分でもいいから夢を叶えなきゃいけない”と言っていたのは、僕が捨てた夢まで拾って一緒に背負ってくれていたから。


 全ての歯車がカチリと当て嵌まった。

 そして、花恋の中に苦手を生み出してしまったのも、僕だ。

 僕が手前勝手な理由で小説家を辞め、連絡を取らなくなり、一方的に二人の夢を破り捨てたのだから。時期的に両親の離婚が被っているのも苦手意識を増長させた要因だろうが、大元の原因は僕の方にある気がした。

 ぎゅっと、花恋が僕の頭を自分の胸の中に抱え込んだ。

 お日様の元で育った甘いみかんのような、優しい匂いが鼻を突く。


「わたし、こそ、ごめんなさい。先輩の分まで背負って……っあぅ……早くイラストレーター、に……ならなきゃいけない、のに……」

「違う、僕が、僕がいけないんだ……君の期待を裏切って、身勝手な絶望に浸って、僕は花恋を見捨てたんだ……」

「すんっ……ぁあっ……せん、ぱい……」

「ぅうっ……ぁ……かれ、ん……」


 初めて、花恋の本音を聞き出せた気がする。

 僕たちは子どもみたいに、抱き締め合って泣いていた。



***



 ずぴぴーっ。

 二人して鼻をかみ、横並びでベッドの端に座り込んだ。

 肩を寄せ合い、もうすれ違わないようにと手を繋ぎ、磁石みたいに頭をコツンと引っ付ける。


「そろそろ教えてもらってもいいかな?」


 僕が彼女の耳元で囁くと、花恋は「どうぞ」と嬉しそうに答えた。


「最初から順を追っていくか。まず始めに、なんで僕が三年前まで連絡を取り合っていた物書きだってわかったんだ?」

「だって先輩、作者名ペンネームが自分の本名だったじゃないですか。久遠凜々人なんて珍しい名前の人そうそういませんし。……と言っても、更紗先輩が飛び降り自殺しようとしているところを見かけなければ先輩の元まで辿り着くこともなかったですけどね」

「本当に、偶然に偶然が重なったってわけか……」

「はいです。ただの好奇心で調べた先輩が、まさか三年前まで連絡を取り合っていた創作者クリエイターだったとは思いもしませんでしたけど」

「……同感だな」


 こんな陳腐な言葉で表現したくはないが、僕たちは運命に巡り会ったのだと思う。

 まるで僕の人生が、花恋の人生が、二人を結び付けているみたいだ。

 僕は天井を見上げながら、話の続きをする。


「逆に僕は君の作者名ペンネームを知らなかったからな。いつも君とかお前とか二人称代名詞で済ませていたし。てか、僕のことわかっていたなら教えてくれればよかったのに」


 基本的にメールで連絡を取り合っていただけだし、花恋がイラストを見せてくれたのは僕が書いた小説のキャラクターだけだった。

 花恋も呼応するように天井を見上げる。


「だって先輩から連絡が途絶えて、まだ小説を書き続けているのかもわからなかったんですよ? 安易に踏み込んで顰蹙を買うような真似もしたくなかったですし……それに先輩、イラスト見てもわたしのこと気づいてくれなかった」

「あー……それは昔と今のギャップの差が……」

「包み隠さず、昔より下手くそだったから気づかなかったでいいんですよ?」

「そこまで無神経じゃないからね?」


 まぁ実際、細かな技術は向上しているのに、絵に熱が篭っていないというアンバランスさが僕の目を狂わせていたのだけど。最初に見せてもらった時、妙な既視感を感じたのはそのせいだろう。


「それと、どうせならイラストレーターになってから先輩に伝えたかったんですよ」

「……そっか」

「はい、そうです。偽とはいえ付き合い始めた後輩が、まさか夢を語り合った相手だったら驚きません? ぶっちゃけ腹が立ったので見返してやりたくて」

「本音がダダ漏れすぎて反応に困るんだが」


 花恋がクスッと微笑んで、繋ぐ手に力を入れる。


「じょーだんです。だって先輩、わたしのこと知ったらさっきみたいに『花恋が上手く絵を描けなくなったのは僕のせいだ〜』とか言い出すじゃないですか。三年前に沢山苦しんだ先輩に、これ以上の罪悪感を押し付けたくなかったんですよ」


 彼女の小さな手を離さないよう、僕もグッと手に力を入れた。


「惚れました?」

「ああ、惚れかけたよ」


 僕がぶっきらぼうに言うと、花恋が僕の上体を押し倒してくる。

 いつしかの光景を再現するように、花恋が上にのしかかってきた。


「ねぇ先輩、好きです」

「………………」

「大好きです、愛しています」

「……それは、本気の好き?」

「そうです。嘘偽りない、本当の気持ちです」


 少し間を置いてから、花恋はおでこをくっ付けてくる。


「先輩、わたしと本物の恋人になってください」


 どくん、どくん。

 心音が強く跳ね上がった。

 ああ、これは名前の知らない感情だ。

 筆舌に尽くし難い、不確かな想いだ。

 だからこそ、ここで答えを出すことはできない。

 だってこれは、花恋だけでなく、更紗にも感じた想いだから。


「……今は答えられない」

「……そう、ですか」

「……だから、花恋がイラストレーターとしてラノベの挿絵を担当することになったら、また改めて答えを出したい。だめかな?」

「……いいですよ。それなら、割とすぐですから」


 花恋は僕に跨がるのをやめて、隣に寝そべってくる。

 目と鼻の先にいる花恋は、まるで夜空に散りばめられた星々のように美しく輝いていた。ここまで強い信念を持って行動できる創作者クリエイターが、果たしてどれだけいるだろうか。


「花恋はさ、僕のどこを好きになったんだ?」

「さぁ、どこでしょうね。きっかけなんて無かったんじゃないですか? ただメールでやり取りしているだけで先輩が優しい人なのは伝わってきましたし、あー、なんかいいなー、みたいな感じです」

「ま、そうだよな。物語の中みたいな出来事なんてあるはずないか」

「ですです。三次元に過度な期待は禁物です」


 花恋が再び手を繋いでくる。

 僕も彼女の指一本いっぽんを撫でるように合わせていく。


「でも最初に言った通り、出会った頃の先輩は別にそんな好きじゃなかったですよ? あくまでもわたしが好きだったのはメールでやり取りしていた久遠凜々人という小説家でしたから」

「ほほう、つまり偽物の関係を深めている間にガチ恋してしまったと」

「悔しいですがそういうことですね」


 花恋はぷくーっと頬を膨らませた。

 そのあざとい仕草一つひとつが、今はどうしようもなく愛おしく感じる。


「それなら色恋に現を抜かす前に、さっさと商業デビューしないとだな」

「はいっ! 先輩の手の温もりを忘れないうちに、気合いと根性でなんとかしてみせますっ!」

「ま、僕も君の彼氏として、出来る限りのことはするよ」


 僕はベッドから立ち上がると、鞄を肩に掛けた。

 彼女は簡単になんとかすると言うが、根性論で解決する問題でもないだろう。

 一日でも早く花恋が苦手を克服するため、そして僕の過去を清算するため、三年前に投げ捨ててしまったものを、少しだけ拾い戻さなければならないと思った。

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