第10話 お弁当と約束

「喜んでください、わたしのお弁当をあ〜んして食べさせてあげますっ!♡」

「よし乗った! いつでもウェルカム!」


 僕が笑顔で了承すると、花恋は面食らったようにスクールバッグから弁当箱を取り出した。


「な、なんでそんなに乗り気なんですかぁ……先輩があたふたするのを見たかったのに……」

「ばっかお前、こんな機会そうそう訪れないだろ。君みたいな超絶美少女に『あ〜ん』して貰えるなら喜んでして貰うし、おっぱいを揉ませてくれるのなら地球の反対側からでも駆け付けるさ」

「なるほど、ただのばかでしたか」

「おっぱいに恋焦がれないのがばかじゃないなら、僕はばかのままでいいさ」

「でも先輩って、いざ一線を超えそうになると冷静に身を引きそうですよね」

「……ソンナコトナイヨ」


 花恋は深いため息を吐き出すと、両足を伸ばした。

 短いスカートの裾先から程よく肉感と張りのある、白くきめ細やかな太ももが覗き出る。彼女は太ももの上に弁当箱を置くと、蓋を開けた。


「図星じゃないですか、このチキン」

「あー、この照り焼きチキン美味しそうだなー!」

「大声出して聞こえないフリしないでください!」


 僕は耳を塞ぐと、弁当の中を覗き込んだ。

 弁当箱は二段式の物で、下段は白米、上段は様々なおかずで賑わっている。中でも目を惹かれたのは綺麗に巻かれた玉子焼きと照り焼きチキンだ。最近は冷凍食品の質も向上しているらしいが、おかずの焦げ色を見るに自作したものだろう。


「これ、花恋のご両親が作ったとかいう落ちはないよね?」

「もちろん私の手作りですよ。隠し味に私の分泌液を……嘘です、そんなドン引きしないでください。レシピ通り作ったので美味しいはずです」

「君ってメンヘラの素質あるんじゃないか?」

「やだなぁ、私は至って普通の人間ですよ」

「そうか。じゃあ仮に僕が浮気したらどうするんだ?」

「そうですね。先輩が浮気したら土下座させて、『二度と浮気しません。花恋に隷属します』って言うまでガラ空きになった背中に包丁を突き刺しますかね?」

「クソメンヘラ女じゃねーかっ!」


 やっぱり言えない、別の彼女がいるだなんて死んでも言えない。

 この秘密は偽物の恋人関係が終わったとしても墓場まで持ち帰ろう。

 決意を胸内に抱いていると、花恋は「まぁまぁ」と茶化してみせた。


「要するに、浮気しなければいい話なんですよ。浮気は罪です。相手の心を砕いてしまう凶器なんです。ちゃんと覚えておいてくださいね?」


 心なしか、花恋の瞳が少し潤った気がした。

 彼女にも何か抱え込んでいるものがあるのだろう。花恋が『男女の関係の表現』を苦手とするのは、その抱え込んでいるものが原因なのかもしれない。

 だが、そこは安易に踏み入ってはならない領域なのだろう。

 かつて失敗し、苦い味を噛み締めた僕だからこそ、そう直感した。


「……君と本物の恋仲になることがあれば、覚えておくよ」

「……はい、そうしてください」


 彼女を横目で見やると、どことなく顔に安堵の色が増したように思えた。

 差し当たってはこれでいいだろう。変に取り繕って心の予防線に触れてしまうくらいなら、忖度ない発言でも本音で話した方がいい。


 だって僕は、ラノベ主人公でもヒーローでもリア充でもない、ただの落ちこぼれだから。小説家という肩書きを捨て、中身のない生活を送るだけの日陰者だから。日陰にいる僕は、日向で活躍する更紗や花恋をそっと支えてやることしかできない。

 自分にできることなんて、わかってるさ。


「それよりも、ほら、早く食べさせてくれよ。こんな超絶美少女に『あ〜ん』して貰える機会なんてそうそうないんだ。僕はチャンスを絶対に逃さない男だぞ!」

「なんでそんなに必死なんですか⁉︎」

「ちょっと考えたらわかるだろ! 僕は非リアで陰キャでぼっちで彼女いない歴=年齢の童貞だぞ! 三重苦どころか五重苦を背負ってる男だぞ! ふざけんなよ、世の中不公平すぎるだろ⁉︎」

「最後の方なんてもうただの妬みじゃないですか⁉︎ ……ふふっ、先輩ってほんとにばかですよね」


 花恋は「あははっ」と腹を抱えて吹き出している。

 曇り空を縫うように、四月の、始まりの季節の日差しが彼女をライトアップした。

 そこにいる花恋は正真正銘の日向者で、まさしくラノベの表紙絵に飾られるようなメインヒロインのようだ。


「よいしょ、っと……準備するのでちょっと待ってくださいね」

「……準備ってなんだ?」


 彼女はスクールバッグから三脚を取り出すとスマホを設置して、動画撮影を始める。


「参考までに手や口の動きを撮っておきたいので」

「いわゆるトレースってやつか?」

「まぁそんなところです。こういう資料って結構大切なんですよ」


 そう言い切ると、花恋は箸で玉子焼きを挟み、僕の口元まで運んできた。

 豊満な胸部がたゆんと揺れ、後ろで結んだ甘栗色の髪が靡くと、柑橘系の優しい香りが鼻をくすぐる。まるで性欲を煽るような、艶やかな匂いだ。だが童貞を貫き通してきた僕の理性がむくむくとした誘惑を遮断し、目の前の玉子焼きに集中させる。


「はい先輩、あ〜ん♡」

「……あ、あーん」

「えへへ、美味しいですか?」

「お、美味しいよ」

「むむむ、わたしの浮気センサーが反応してます。それは本心ですか?」

「も、もちろんさっ!」


 こえーよ、なんだよ浮気センサーって。

 正直、『あ〜ん』初体験からくる緊張のせいか、美味しいのか不味いのかいまいちわからない。だが五重苦を抱える僕でも、『美味しい』が生きる道で『不味い』が死ということくらいわかる。

 だって花恋の目こえーもん。なんだよ、その『美味しい以外の選択肢はありませんよ? 殺しますよ?』みたいな目は。偽物の彼女は目で殺すってやつですか?


「それなら結構ですっ! 次は照り焼きチキンいってみましょう!」

「お、おうー?」

「ほら先輩、あ〜んっ!♡」

「あ、あーん!」


 しばらく花恋の茶番に付き合わされ、弁当の中身が空っぽになったところで予鈴が鳴った。半ば自棄になりつつ、僕も人生初の『あ〜ん』を楽しんでいたので何も文句は言えないのだが……。

 花恋はまとめた弁当箱などを乱雑に鞄へ押し込むと、


「……先輩、さっきはその……ありがとうございました」


 ぽつりと、そう謝辞を述べた。


「別にいいさ、それが僕の役割だから」


 なんとなく、僕は照れ臭くなって後頭部を掻いた。

 生意気で口が悪く打算的な後輩。多分、最初の印象はそんな感じだったと思う。

 その印象は今も払拭されてはいないが、一つだけ変わったことがある。


 ――花恋は、とんでもない努力家だ。


 少し前まで赤の他人だった僕を頼り、こうして苦手に立ち向かっている。

 そんな彼女のことを、ちょっとだけ、可愛いと思ってしまった。

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