第2話 フェイク・ガール part1
「そ、それなら凜々人が私の彼氏になってよっ!」
「…………は?」
思考が停止しながらに、僕は更紗の発言を頭の中で反芻する。
僕が、更紗の彼氏になる……? はは、なんの冗談だろうか。だって、僕と更紗は中学二年の終わり頃にはっきりと仲違いしている。それは今でも思い出せば頭を抱えたくなるような、白色の絵具で塗りたくっても消せないような黒歴史だ。
理解し難いというよりは、単純に意味がわからない。
僕が訝しい顔付きになりながら、早口で捲し立てた。
「悪いけど、僕は更紗と付き合うつもりもなければ、小遣い稼ぎの淫売を助長するつもりもないよ。大方、新作の本を買うお金がないから、手頃な男に近寄ろうとしてるんだろ。そういうのは他を当たってくれ」
「な、なっ……ち、違うもんっ! 別に凜々人のことなんて、これっぽっちも好きじゃないもんっ!」
更紗はみるみる顔を赤くして、あわあわと両手を振って否定した。
もちろん、僕だって更紗が人の道を外れるようなことはしないとわかっている。だから大袈裟に伝えたのだが、こうもはっきり否定されると心が荒んでいくような……。
「じゃあ彼氏になれって、どういうことだよ」
「だって凜々人が言うには恋愛経験さえ積めば、もっとキャラクターの心情描写が上手くなるってことでしょ? だから凜々人には彼氏の振りをしてもらうの」
「つまり、擬似的な恋人関係を築くってことか……?」
「そーいうことっ!」
ふむ……。
要するに、小説の参考にしたいから、僕に偽物の彼氏をやれと。
その案自体は悪くはない。悪くはないのだが、果たして僕に更紗の恋人役が務まるだろうか。根本的な相性だって良くないし、外見の面でも僕では更紗に釣り合わない。擬似的な恋人関係であれば学校内で言い広める必要もないが、いずれその関係が露呈する可能性だってある。
もしも僕たちの関係が吹聴されれば、たちまち周囲からの妬みと憎しみと怒りが自分に向けられるだろう。あんなやつが更紗と付き合っているのか、不釣り合いだろ、あり得ない。そう非難を浴びさせられるのが容易に目に浮かぶ。
だが、自殺行為を止めてしまった手前、ここで彼女を無碍にするのも申し訳ない。僕は手を顎に添えてしばし逡巡していると、更紗がこちらの目線まで腰を落として、にんまりと微笑んだ。
「関係は偽物の恋人だけど、手を繋いだりとか、デートしたりとか――本物の恋人と同じようなこと、なんでもさせてあげるよ?♡」
途端、僕は身体に電流が走ったような感覚を覚えた。
なんでも、だと……? それって――
「……胸を触ったりとかも、いいのか?」
「死んで」
「………………」
「死んで」
一瞬で更紗の顔から笑顔が消え失せると、彼女は握り拳を作った。
「わかったから二回も言うなよっ! てか、お前が意味深な発言したのがいけないんだろ、このクソビッチっ!」
「び、びっちって言うなっ! 私まだ処女だもんっ!」
「あ、ああそう、処女ね、恋愛経験皆無だもんな。可哀想に」
「急に慰めようとするなーっ!」
更紗は両拳で僕の胸板をぽこすかと殴ってくる。
小柄な体格をしているせいか、さほど力は強くないが、代わりに彼女の赤くなった顔が間近に迫った。
……こいつ、中学の時よりも可愛くなったな。
改めて観察してみると、中学と比してずいぶん垢抜けたように感じる。貧乳という要素を除けば、スタイルだって悪くはない。ライトノベル、通称ラノベで陳腐に称される褒め言葉を使うならば、超絶美少女が良く当てはまる。
僕は反射的に更紗を視界の外に追いやると、わざとらしく咳払いをした。
「こ、こほんっ……ちなみに、どこまでならセーフなんだよ」
「なんだか聞き方がえっちだけど……うーん、手を繋いだり、肩や腰に触れるくらいなら……?」
「例えばキスとか、それ以上とか」
「だめ。絶対にだめ。もしもえっちなことしたら、然るべき責任を取ってもらうから」
然るべき責任、ね。
予想は付くが、どうせ書籍化するまで執筆の手伝いをしろとか、莫大な慰謝料を払えとか、そんなところだろう。
しかしながら、彼女の答えは僕の予想を超えるものだった。
「初めてをあげた人には……結婚してもらうって決めてるから……うぅ……」
逸らした視線の先に更紗が映り込んできた。
少し涙目で上目遣いしながら、彼女は僕の手を握る。
自分の頬が僅かに熱くなったような、不思議な錯覚を覚えた。
「お、おーけー、要は手を出さなきゃいいってことだろ」
「凜々人はどうせ我慢できなくなるでしょ」
「安心しろ、誰がこんなチンチクリンに手を出すか」
「うぅっ〜〜〜〜、凜々人のあんぽんたんっ! このっ、このっ!」
更紗は頬に含羞の色を浮かべながら、僕の頭髪を引きずり回した。
僕の頭皮に十円ハゲができるのを未然に防いでくれたのは、午後の授業開始前の予鈴であった。当の暴行犯は「夕食前に家行くから」とだけ言い残して、早々に教室へ去っていくのだった――。
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