第41話 決着
自身の敗北を悟った瞬間、冴嶋傑の脳裏にこれまでの人生が過ぎった――。
都会でも田舎でもない、その中間である街で育った傑は、物心つく頃から人にものを教えることを好み、将来は教師になると決めていた。そのため小学校の頃から勉学に励んでいたが、だからといって人間関係を軽んじることはなく、高校生の頃は学級委員を務めて人望を集めた。
大学時代。教職課程を受けていた傑は、同じ教室にいた一人の女性と恋仲になる。二人は卒業と同時に同棲を始め、三年後には結婚した。傑は無事、教師になるという夢も叶え、結婚式では友人のスピーチで「まさに順風満帆な人生を送っている」と面白おかしく語られた。内心ではその通りだと思っていた。
その後、妻の妊娠が発覚すると、彼女は教職を辞めた。その分、傑は一層仕事に励むようになった。家庭のために働くという意識は、傑にとって大きなモチベーションとなった。
大体、その辺りからだ。人生の歯車が軋み始めたのは。
妻が娘を出産し、子育てに努める一方、傑は真剣に教師の仕事をこなした。だが教師という職業は思った以上に過酷だった。家庭を優先したくても、職場の空気がそれを許さないこともある。二歳上の同僚に、部活の顧問という仕事を押しつけられた傑は、徹夜続きの日々を送る羽目となった。
妻は最初、子育てを手伝ってくれない傑に何度も抗議したが、やがて無駄と悟ったのか文句一つ言わなくなった。傑は、転勤すれば状況も好転すると信じていたが、残念なことに職場が変わっても状況は変わらず、五年経っても似たような日々が続いていた。
気づけば傑にとって、自宅はただの休憩所と化していた。家庭は心を休める場所ではなく、ただ快適に眠るための環境でしかない。妻との会話は皆無に等しく、五歳になった娘は明らかに自分のことを警戒していた。知らないおじさんと思われているのかもしれない。
そんな、ある日。
傑が職場から家に帰ると、珍しく妻が起きていた。
嫌な予感がした傑は、平静を装いながらコンビニの弁当をレンジに入れた。
温めた弁当をテーブルに置いた傑は、レジ袋に入っていた割り箸でそれを食す。家の食器を敢えて使わないのは、皿洗いの手間を省くため……正確には、洗い物をして夜間に物音を立てたくないという気遣いのためだったが、そんなことを知らない妻にとって、傑の行動は著しく距離を感じるものだったのかもしれない。
傑が弁当を平らげた後、妻は一枚の用紙を突き出した。それは離婚届だった。
妻はまるで決められた台本を読み上げるかの如く、硬い口調で状況を述べた。要約すると、妻は既に他の男と良好な関係を築いており、更に娘もそちらの男を慕っているようだった。先日、娘がその男の方を「パパ」と呼んだことで、妻は離婚を決意したらしい。
成る程、自分は本当に知らないおじさんと思われていたのかと、傑は今になって気づいた。そう言えばここ最近、娘に「パパ」と呼ばれていない。その事実に気づくのが遅かった。
離婚はあっさりと進み、傑は独り身となった。当然、娘の親権は妻が持っている。
手元に残ったのは、養育費を払う義務だけだ。持家は新居同然だったため簡単に売却することができ、その利益でローンを返済した。雀の涙ほど残った売却益は妻がきっちり折半した。
安さだけが取り柄のボロアパートに引っ越した傑は、雨漏りの処理をしている途中、誰かから電話が掛かっていることに気づいた。
電話の相手は、五年前の結婚式で自分のことを「順風満帆な男」と言って祝ってくれた友人だった。電話を取った傑に、その友人は「今度結婚式を催すからスピーチしてくれないか」と頼んできた。
傑はこれを「用事がある」と言って断った。
電話を切り、小さく吐息を零した傑は――あとで食べる予定だったコンビニ弁当を、テーブルごと蹴飛ばした。
「くそがッ!!」
傑は雨が降る街に出て、無我夢中で走り続けた。
どこで間違えたのだろう? 何がいけなかったのだろう?
そんな疑問が延々と続き、耐え難い吐き気と化して蹲ったその時――。
「貴方、とても大きな
地べたに両膝をついた傑に、桃色の髪をした女性が近づいた。
「よろしければ、私のパートナーになりませんか~? 一緒に願いを叶えましょ~~!!」
明るい口調でそう告げた女性――ロズマリアは、Wonderful Jokerについて説明した。
彼女が傑に声を掛けた理由は、傑が並々ならぬ渇望を抱いているように見えたからだと語った。そういう、願いに対して貪欲な人間は、優れたプレイヤーになりやすいらしい。
「そのゲームに、優勝すれば……どんな願いでも叶えられるのか?」
「そうですよ~~」
「だったら、俺は……」
今までずっと、腹の底に隠していた感情を曝け出すかのように、傑は誓った。
「もう一度……家族との日々を、やり直したい……!!」
こうして傑は、Wonderful Jokerのプレイヤーになった。
そして、今度こそは精一杯、幸せな日々を求めて戦うつもりだった。
◆
光の斬撃が、巨大な装甲虫を葬った後。
節也は、尻餅をついた傑が握り締めている短剣に、白い刀を突きつけた。
『ま、ままま、待ってくださ~~~い!!』
短剣から、ロズマリアの声が聞こえる。
『わ、私たちを倒したら、アイアン・デザイアに狙われちゃいますよ~~~!!』
「……もう既に、狙われた後だろう」
そして今、勝ったばかりだ。
正直、今後も似たような戦いが続くことを考えれば、気が滅入る。しかし今更、ロズマリアの命乞いを聞く気は全くなかった。
『で、でも! 他にも色んなデメリットが~~! えっと、え~~~っと――』
「……ロズマリア、もういい」
意外にも、ロズマリアの命乞いを遮ったのは、使い手である傑だった。
『でも、でも~~! まだ、傑さんの願いが~~~っ!!』
「いいんだ。……気づいちまったから」
必死な様子のロズマリアに対し、傑はどこか清々しい表情で言った。
「結局、俺は昔と同じことを繰り返していた。かつては仕事のために家族を蔑ろにして、今度は保身のために本来の目的を蔑ろにしちまった。……きっと、俺が願いを叶えるためには、俺自身が変わらなくちゃ駄目なんだ。それに今……気づいた」
節也は傑が何を言っているのか分からなかった。
しかしロズマリアには理解できたらしく、彼女は抗議をやめる。
「総元。教師として、最後にひとつだけアドバイスしてやるよ」
頼りない笑みを浮かべながら、傑は言う。
「俺みたいになるなよ」
そう告げた傑の顔は、節也にとってはいつも通りの……学校の教師としての顔だった。
優しさと後ろめたさが綯い交ぜになった傑の声音を聞いて、節也は思わず視線を下げる。
「……分かっています」
教師としての傑を敬うのは、この瞬間が最後なのだと節也は察していた。
この男を許すことはできない。だが、もしかしたら……この男が悪事に手を染めない可能性も、あったかもしれない。
ゆっくりと、白い刀を毒々しい短剣に近づける。
刀を力強く押しつけると――傑の短剣は、バキリと音を立てて砕け散った。
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