第3話 前日譚:妹の行方
四限目の授業が終わり、学校は昼休みを迎えた。
視界の片隅で祐穂が立ち上がった。彼女は教室を出る直前、ちらりと節也の方を一瞥して、素早くハンドサインを送る。
(屋上、ね……はいはい)
一年以上続くハンドサインだ。もう見間違えることはない。
少し間を空けてから、節也は弁当片手に屋上へ向かった。
「総元」
廊下を歩いていると、背後から声を掛けられる。
振り向くと、中年の男性がそこにいた。
「冴嶋先生?」
「お前、一限目の時に変だったろ。もしかして体調が悪いのか?」
「いえ……その、少し寝不足なだけです」
「そうか。まあ無理しないようにな」
わざわざ心配されて申し訳なく思う。ただ徹夜でゲームしただけなのに。
軽く頭を下げ、節也は廊下を進み、階段を上って屋上の扉を開いた。
「遅いわよ」
「悪い、ちょっと先生と話してた」
昨晩のチャットと似たようなやり取りをする。
「で、用件はなんですか。御厨さん?」
「うわっ、何その呼び方。気持ち悪いからいつも通り呼びなさいよ」
心底嫌そうな顔をされたので、節也は溜息混じりに改めて告げる。
「……何の用なんだ、祐穂?」
そう尋ねると祐穂は少し満足気な笑みを浮かべた。
彼女の名前は御厨祐穂。
「最初からそう呼びなさいよ」
「勘弁してくれ。お前を下の名前で呼び捨てしているなんて、学校の男子に知られたら面倒なことになるだろ」
「ふっ、モテる女は辛いわね」
「いや辛いのは俺なんだが」
不敵な笑みを浮かべる祐穂に節也は溜息を零した。
「そんなことより節也、放課後になったらすぐにインしてちょうだい。昨日の続きやるわよ」
「続きって……百連戦はもう終わっただろ?」
「今度は《時空の神殿》にいるボスを百回倒すわ。こっちはINTを2%上げる称号が貰えるの」
意気揚々と語る祐穂に、節也は先程よりも深い溜息を零した。
――何が
高嶺の花は、表の姿。
御厨祐穂の正体は、筋金入りの廃人ゲーマーである。金持ち一家の娘という設定は真実だが、その有り余るお小遣いの大半をネトゲに注ぎ込むような少女だった。
生徒たちからは「紅茶が似合うお嬢様」なんて噂されているが、実際のところ彼女の好物はエナドリだ。十人中十人が振り向く美貌ではあるが、深夜にビデオ通話する時の彼女の顔は大体やつれている。額にはいつも冷却シートを貼っていた。
「いつも言ってるけど、他の奴を誘ってくれ……俺はお前と違って、そこまでゲームにのめり込んでないんだよ」
「仕方ないでしょ。私の本性知ってるのはアンタしかいないんだし」
節也と祐穂は、高校で出会う前に、オンラインゲームで出会った。だから節也だけは祐穂の正体を知っている。――知りたくもなかったが。
「猫被りを止めればいいだろ」
「嫌よ。そんなことしたら目立つじゃない」
「今も十分目立ってるだろ」
「悪い目立ち方をするのが嫌なのよ。私みたいに色々持って生まれてきた人種は、何かひとつでも弱点があれば、ここぞとばかりに攻撃されるんだから」
そんなことないと思うが……。
節也は複雑な顔で、もう一度溜息を吐いた。
「どのみち今日は無理だ。やりたいことがあるし」
「……また例の武器探し?」
「ああ」
首肯すると、祐穂は視線を下げた。
「……もう一年くらい続けているじゃない。いい加減、その、諦めろとは言わないから、少しくらい頻度を下げてもいいんじゃないかしら」
言いにくそうに、祐穂は続ける。
「アンタも薄々、分かってるんでしょ。そんなことしても妹は見つからないって」
その言葉に、節也は唇を引き結んだ。
――凡そ一年前。
節也の妹、総元メイが通り魔に襲われる事件があった。
メイは節也の目の前で通り魔に刺された。だが問題はそれだけではない。寧ろ
通り魔に刺されたメイは、次の瞬間、姿を消した。
立ち去ったというわけではない。文字通り一瞬で姿が消えたのだ。
以降、メイの姿は見つかっていない。警察の捜索も成果を上げなかった。
だから節也は、今もたった一人でメイの行方を捜している。
手掛かりはひとつだけ。通り魔の存在だ。
警察の話によれば、その通り魔もメイと同様、姿を消してしまったらしい。おかげで警察は通り魔の存在自体を疑うようになり、メイの失踪は事件ではなく本人の意図によって行われたものではないかと考えられている。
だが節也は間違いなく通り魔を見ていた。
特に、あの通り魔が持っていた不思議な武器だけは、今もくっきりと瞼の裏に焼き付いている。
通り魔は奇妙な形の刃物を持っていた。実用性よりもデザイン性を優先したような、まるでコスプレイヤーが身に付けているような武器だ。
節也はその武器に見覚えがあった。
あれは間違いなく――オンラインゲームに存在する武器だ。
どのゲームかは覚えていないし、どのような性能だったかも覚えていない。しかし節也は、過去に一度ゲームであの武器を見たことがある。それだけは断言できた。
だから節也は毎日のようにゲームをしていた。
全てはメイの行方を知るために。
あの通り魔が使ってきた武器を見つけるために――。
「結局、例の通り魔が使っていたという武器は、まだ見つかってないんでしょう?」
「……ああ」
妹メイが失踪してから、節也はずっと通り魔が使用していた武器を探し続けてきた。
しかし祐穂の言う通り、手掛かりは何一つ見つかっていない。
「見間違いだったんじゃないの? アンタの話だと、妹……メイちゃんは、まるで瞬間移動でもしたみたいに消えたことになるじゃない。それに通り魔も、なんでオンラインゲームに出てくる武器をわざわざ現実で用意する必要があったのよ」
「……さあな」
正論をぶつけられ、節也は小さな声で返した。
そんなの――こっちが訊きたいくらいだ。
「メイが何処に行ったのかも、通り魔の正体も、何も分からない。ただ……あの通り魔が、ゲームに出てくる武器を使っていたことだけは確かなんだ。それだけは間違いないし……それだけが、俺がメイに辿り着くための、唯一の手掛かりだ」
だから、誰に何と言われようと絶対に手放さない。
暗にそう告げる節也に、祐穂は少し悲しそうな顔をした。
「偶には私も手伝うから。あんまり無茶するんじゃないわよ」
「……ああ」
ふとした時に優しさを見せる祐穂。
猫を被っていない本心からの労りに、節也は顔を綻ばせた。
「無茶しないためにも、今日の放課後は少し寝させてくれ。流石に寝不足で幻覚まで見たのは初めてだからな」
「それとこれとは別の話――――は? 幻覚?」
目を点にする祐穂に、節也は苦笑しながら説明する。
「一限目の授業中、変な女の子を見たんだ。髪も服も真っ白で……背中から、羽が生えていて、まるで
馬鹿みたいな幻覚だと、節也は我ながら思った。
しかし、話を聞いていた祐穂は――何故か、今まで見たことがないくらい険しい表情を浮かべる。
「アンタ、その幻覚はいつから見てるの?」
「……今朝が初めてだけど」
険しい顔をしたまま、祐穂は考える素振りを見せる。
「節也。今日から暫く、寄り道せずに帰りなさい」
「寄り道って……なんでだ?」
「いいから言うことをきいて。これは命令よ」
どうして祐穂の命令を聞かなくてはならないのか。そう反論しようと思った節也だが、祐穂がいつになく真剣な顔であることに気づいて口を閉ざした。
「……まあ、どうせ寄り道なんて滅多にしないし、別にいいけど」
緊張を隠しながら言う節也に、祐穂は小さく息を吐いた。
「立ち話もなんだし、そろそろお昼ご飯を食べましょ。ほら、ここ座って」
祐穂が屋上にある段差に腰を下ろし、その隣をポンポンと叩いて節也に座るよう促す。
隣に座った節也は、祐穂の弁当を凝視した。
「相変わらず凄い弁当だな。全部、高級食材か」
「私はカロリーメイトでもいいんだけどね」
「料理人に失礼だろ」
俺が全部食ってやろうか。
◆
放課後。
祐穂に忠告された節也は、言われた通り真っ直ぐ帰路についた。
(午後の授業で結構、寝られたな……これならすぐにゲームしてもいいか)
五限目と六限目の担当は、いずれも心優しくて滅多に人を叱らない教師だった。彼らの優しさにつけ込むようで申し訳なかったが、睡魔に負けた節也に選択の自由はなかった。おかげで睡眠不足は解消されている。
地元の駅に到着して、そのまま家に向かう。
人通りが少ない近道にさしかかったところで――節也は足を止めた。
「……嘘だろ?」
眼前に佇む存在を見て、節也は思わず呟く。
顔を隠した灰色の外套。成人男性の背丈。そして外套の内側から覗く奇妙な武器。
そこにいたのは紛れもなく、妹を刺した通り魔だった。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
本日中に、もう一話投稿します。
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