第37話 VSアイアン・デザイア


 傑の右腕には、紫紺の短剣が握られていた。

 それは歪な形状だった。刀身は針のように細長くて突き刺すことに特化しており、鍔は禍々しい花弁のような装飾がついている。


 何より目を引くのは、鎬の部分に灯る紫色の光だった。節也はそれを見て注射器を連想する。まるで突き刺した対象に、あの紫色の光を流し込むような……そんな用途が予測できた。


『あはははは! どうですか~~!? 今までずっと騙されていた気分は~~!?』


 短剣の真上に、半透明のロズマリアの姿が現れる。

 裏切り者は二人いた。冴嶋傑と、ロズマリアだ。


「なんで、冴嶋先生が……」


「はは、そう何度も質問するなよ」


 傑はいつも通りの表情で言った。

 学校で、授業が終わった後、質問しに来た生徒たちにものを教える時のように。

 傑は節也に語りかけた。


「プレイヤー同士が構えてるんだぞ? ――まずは、バトルこっちだろうが」


 傑が節也に肉薄する。

 低く屈んだ傑は左切上げを繰り出した。短剣はリーチが短い分、瞬時に切り返すことが可能であり、軌道が読みにくい。節也は早々にカウンターを諦め、大きく後退した。


「あんまり、ちょこまか動かれると面倒なんだけどな」


 溜息交じりにそう告げながら、傑は距離を詰める。

 だが、後退と共に刀を構えていた節也は、迫る傑の胴体目掛けて刀を右薙ぎに振るった。


「し――ッ!!」


 スキルは発動していない。

 それは節也とルゥにとって、ただの斬撃だったが――傑は目を見開いて回避した。

 短剣を盾代わりにして、傑は純白の刀を受け流す。しかし威力を完全に殺すことはできず、傑は五メートルほど後方へ吹き飛んだ。


「ただの斬撃でそれか。……フェルムが恐れるのも分かるな」


 通常のものより刀身が長い刀を、節也は羽のように軽々しく振るう。

 その光景に傑は冷や汗を垂らした。


「どうして、俺たちを狙うんだ」


「どうしてって、そりゃあ俺がアイアン・デザイアのプレイヤーだからだ。……フェルムが恐れている、"空"の四大貴天の撃破。アイアン・デザイアのプレイヤーにとって、これほど美味しい手柄はねぇよ」


「……手柄?」


 疑問を抱く節也に、傑は小さく笑みを浮かべる。


「知ってるか? この世界には、地球に持ち帰ることができるアイテムもあるんだ。その中には、換金することで大金を得られるようなものもある」


 傑の足元で、砂粒の踏み締められる音が鳴った。


「アイアン・デザイアでは、手柄を立てると、報酬としてそういうアイテムが貰えるんだ。……そんな環境にずっといると、もう元の生活には戻れねぇ」


 一瞬だけ視線を下げて、傑は語る。


「最初は俺も真面目なプレイヤーだったぜ。ロズマリアと一緒に、夢を叶えるためにゲームに参加していた。……だが、ある日、フェルムの部下にあっさり負けちまってな。それ以来、半ば強制的にアイアン・デザイアの一員になった。……後はもう、恐怖政治に怯える日々だ。優勝の可能性は潰えたが、ゲームに参加さえしていれば換金可能なアイテムを手に入れられる。その特権を失わないためにも、気づけば俺は、フェルムの奴隷になっていたってわけさ」


 自嘲気味な笑みと共に、傑は説明した。


「一年前は、フェルムの命令に従ってお前を攫おうとした。その後は、フェルムの命令でアイアン・デザイア対策本部を作り、リーダーとして初心者を導くフリをしつつ、反乱分子の芽を摘んでいった。……トップが裏切り者だっていうのに、意外とバレないもんだよな」


 笑みを浮かべる傑に対し、節也は目を見開いた。

 カイナにあるアイアン・デザイア対策本部は、その成り立ち自体がフェルムの意図によるものだったらしい。フェルムは反乱分子の芽を摘むために、敢えて自分の手で反乱分子が集まりやすい組織を作ったのだ。


 衝撃的な事実が明らかになり、節也は硬直する。

 だが、そんな節也に、傑は更に語った。


「そしてその後、総元メイの兄であるお前を監視するために……お前がいる学校の教師になった」


 その言葉を聞いて、節也の思考が一瞬止まる。

 それは、つまり……傑が節也の高校の教師になったのは、偶然ではなく必然であるということだ。


「そんなことが、できるのか……?」


「できるさ。フェルムには莫大な財力と、人脈がある。……この世界は、ちゃんと現実リアルと繋がっているんだぜ? ゲームの支配者は、現実リアルの支配者だ」


 実感の込められた声音で傑は言った。


「お前には分からねぇだろ? その支配者に、命を握られている俺の気持ちが。首の後ろ……ここんとこに、ずっとギロチンがついてるような感覚だ。少しでもフェルムのために働かねぇと、俺たちはこのゲームから脱落してしまう」


 傑は手刀の形にした掌で、己のうなじをトントンと叩いた。

 同情してくれとでも言わんばかりの台詞だが、節也は哀れみを抱かない。


「脱落、すればいいだろ」


 怒りで我を忘れないように、節也は意識して落ち着いた声音を発した。


「負けたくせに、誰かの奴隷になってまで生き長らえて、その上で他のプレイヤーに迷惑をかけている。……自分がどれだけ無様な醜態を晒しているのか、自覚がないのか?」


「……言うじゃねぇか、糞餓鬼」


 傑は額に青筋を立てた。

 しかし、怒りを堪える。

 代わりに呪詛を吐いた。


「お前、焦った方がいいぜ?」


「……なに?」


「御厨と合流する予定だったんだろう? 残念ながら、あいつは今……死にかけだ」


 その言葉に、節也は目を剥く。


「あいつも、ロズマリアが敵とは思っていなかったみたいだな。……警戒心が足りないから、背中から刺される羽目になるんだ」


 ギリッ、と節也の口元から歯軋りの音がした。

 どうやら祐穂は、ロズマリアに背後から刺されてしまったらしい。だから祐穂とサージェインは、いつまでたっても地球に転移して来なかったのだ。……先手を打たれてしまった。


「ルゥ……祐穂を探すぞ」


『ん』


 目の前の男は、メイの仇と言っても過言ではない。

 だが、メイのような犠牲者をこれ以上出すわけにもいかない。節也は傑との戦いよりも、祐穂の救助を優先することにする。


序曲級オーベルテューレ――《飛翔する閃薙アエロ・ブレイド》ッ!!」


 純白の刃に光が灯り、斬撃が飛翔する。

 だが、その斬撃が傑に触れる直前、周囲にいた装甲虫たちが盾となって防いだ。


「なっ!?」


 装甲虫たちの身体がバラバラに裂かれる。

 身を挺して傑を守った装甲虫たちに、節也は驚愕した。


『セツヤさ~~ん! 私の能力、もう忘れちゃったんですか~~~!?』


 ロズマリアの声が響いた。

 傑の右手に握られる短剣が、怪しい光を発する。


序曲級オーベルテューレ――《散りゆく傀儡コープス・ドール》」


 傑が唱えた直後。

 四方八方から、大量の装甲虫が現れた。

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