終章 現状維持には努力が必要

第33話 終章-1「カラシノの攻勢、真仁の迎撃」

 西狭山高校への道のりは、桜の花びらに彩られていた。春の日差しは柔らかく、周囲一帯に靄がかかっているようにも見える。これがいわゆる花霞か、とその日初めて真仁はその現象を知覚した。


 徒歩で十五分ほどの道のりを終えると、校門が見えてくる。校門には回数のところだけが張り替えられた“入学式”の立て看板が見えた。

 真仁は無感動にその文字を眺め、校門をくぐる。すると右手には黒山の人だかりがあった。黒山に見えたのは冬服の学ランがそこにたむろしているからで、後は女生徒の紺色のブレザーだが遠目には黒と見分けは付かない。


 真仁としては、そこに近付きたくはなかったのだが、クラス分けが張り出されているのであれば仕方ない。人だかりがそこに出来ている理由も同じ理由だ。

 明らかに臨時で造られたことがわかるベニヤ板の掲示板に、ドットの荒いシャギーのはっきりとわかる、クラスと名前がプリントされた模造紙。


 アイウエオ順に並んでいるので、自分の名前を探す分にはさほどの時間はかからない。真仁は早々に1組に自分の名前を見つけた。本来ならそこでこの場を離れ、自分のクラスを探して席に着くだけだった。


 が、その時に真仁は見た。


 ――そうか、ここだったか。


 早々にこれが過去の夢だと気付いていた真仁は、この時がカラシノが言う「見初めた」瞬間なのだと思い出す事が出来た。


 あの日、自分はまったく他の生徒に無関心だった。だから自分の立ち位置を知らせてくれるクラス分けの模造紙にしか興味がなかった。


 しかし、あの日見た女生徒は自分の立ち位置にすら無関心だった。


 ボサボサの長い髪。睫毛の長いやたらに自己主張の激しい瞳。その女生徒は掲示板に背を向けて、ひたすらに生徒達を“観て”いた。

 思えばそれは、カラシノは条件に合う者を探しているつもりだったのかも知れない。

 カラシノらしい、まったく非論理的な行動だ。

 だが、その時自分もまた、実に論理的でない行動に走っていたのだと、真仁は改めて気付かされた。


 ――要するに、僕はカラシノに一目惚れしていたのか。


 その瞬間を思い出したことは、真仁にある程度の納得は与えたものの、驚きまでは与えなかった。なぜなら真仁は、自分がカラシノに好意を抱いているということをとうに自覚しており、だからこそカラシノの攻勢を必死でかわし続けていたのだ。


 それをあの、浮かれたノー天気娘は人の気も知らないで――







 そして今、終業式に向かうため、緑の色も随分濃くなった並木道の下を、真仁は心に怒りを秘めながら歩いてゆく。もちろん表情に出るはずもないが、カラシノ理論を裏付けるように眉根は寄っている。


「よ、マサくん、久しぶり」


 出し抜けに声が真仁にかかってきた。確かめるまでもなく昭彦だ。ただ方向がおかしい。真仁の背後から声が掛けられたのだ。


「マサくん、目立たないから、いっぺんすれ違っちゃったよ」


 それで一応背後から声が掛けられた理由はわかった。が、そうなると昭彦はいったん学校まで行った後に、ここまでやって来たことになる。


「カラシノが何かしたのか?」


 他に理由が思いつかない。


「いや、俺はいいと思うんだよ。ただ間宮さんがマサくんが逃げるからかも知れないからって、俺が使いに出された。これ、おかしくね?」


 おかしいとは思うが、今緊急事態なのは昭彦が肯定し、妙子が危惧しているカラシノの現状だ。一体何が起こっているのか、まったく見当がつかない。


 真仁は昭彦を振り切るようにして、歩を進める。その後を昭彦がついて行く。もとより校門までさほどの距離があったわけではない。


 カラシノが引き起こしている異常事態は、すぐに真仁の視界に飛び込んできた。

 まず、わかりやすい異常からいくと、カラシノが門柱の上に腰掛けている。普通なら、教諭達が総掛かりで引きずり下ろすところだろうが、何しろ相手はカラシノだ。

 どうしようもなくなって放置、というところが関の山だろう。だから、とりあえずそれは置く。置いておくことにする。


 納得しない思いを強引にねじ伏せて、真仁はさらに近付いた。途端、カラシノが行動を起こす。


「おはよう! マジン君、久しぶり!!」


 門柱の上からブンブカと腕を振るカラシノ。

 その仕草、いやその容姿にまず真仁は面食らった。


 まずあの長い髪。今までも度々目にしていたが、ボサボサの髪ではないまっすぐな髪のカラシノは、まっすぐに真仁の心を突く。しかも今日は丹念に梳ったのか艶々と輝いていて、しかもポニーテールに結わえてある。

 随分と高い位置で髪をくくっているので、やたらに挑発的で攻撃的だ。


「……とりあえず降りろ。何をしている」


 内心の動揺を無視して、真仁はまず常識に従ってカラシノに指示を出した。カラシノはそれに素直に従って、門柱から飛び降りる。


「おはよう、カラシノ」

「あ……はい、おはよう……ございます」


 機先を制するように、真仁がさらに常識を重ねてきた。恐らくはカラシノが期待した反応のどれでもなかったのだろう。目に見えて落胆している。


 期せずして、真仁とカラシノが校門前で向き合う形となった。邪魔なことこの上ないが、登校してくる生徒の誰からも文句の声は上がらなかった。それどころは二人を遠巻きにして十重二十重の包囲網が完成しつつある。


 妙子の予言通り、逃げておけば良かったと後悔の真っ最中の真仁だったが、これでは抜け出すことも出来ない。

 真仁は自分の立場を素早く計算して、次にカラシノにかける言葉を構築する。


「――今さらながら確認するが、カラシノか?」


 これがこの場では最適な台詞のはずだ。そしてその狙いは見事に功を奏した。カラシノの顔が跳ね上がり、期待を込めた眼差しで真仁を見つめる。

 真仁は思わず後ずさりしてしまいそうになった。実は先ほどの台詞は全くの計算から発せられた言葉ではない。


 カラシノは確実に綺麗になっていた。


「うん! 私だよ! やっぱり変わった? ここ数日全力を挙げて磨きをかけてたんだ」


 しばらく姿を見せなかったのは、そのためらしい。それにしても超大富豪が全力とはどういうことだろう。見たところ顔の造作は変わっていないから、整形までは行ってないようだが、肌の輝きからして違っている。

 頭の中にある知識を検索していくと、エステとかそういう単語が浮かんできた。もちろん施術の内容まではわからないが、結果だけはよくわかる。


 一目惚れしているという自覚をさっ引いても、カラシノは人目を引くほどに変貌しているのだから。


「あ、そうそう。ウェストもね、もう改ざんしなくても良くなったんだよ。見る?」


 と言いながら、シャツの裾をまくり上げようとするカラシノ、遺憾ながら中身はまったく変わっていないようだ。


「やめないか。そんなことをしなくても君の変化は十分に見て取れる」

「え? えへへへへ」


 照れ笑いを浮かべるカラシノ。その隙に真仁は周囲の状況を確認した。


 包囲網はすでに完成しつつある。他の生徒の顔などろくろく覚えていない真仁ではあったが、同学年のみならず二年生や、三年生まで包囲網に加わっているらしいことはわかった。


 ここで決定的な変化が訪れて、逃亡するしかなくなった場合“先輩命令”という、理不尽極まりない強制力が働く可能性が高い。


 では、この段階で逃亡を試みるとどうなるかというと、間宮妙子が尋常ではない眼差しでこちらを注視していた。もちろん強行して逃げ出す事も可能なのだが、昭彦を寄越してまで逃亡を遮った彼女のことだ。ここで無理をすれば、幾分かは友好的になりつつある関係が反転する可能性もある。自分を引き留めるための使いを寄越したのは、実に効果的な示威行動だと言わざるを得ない。


 故に逃げるのは無しだ。様々な可能性で否定されている。


 だとすると、カラシノの暴走を押さえ込む必要がある。そのためにはカラシノの心理の理解だ。要は綺麗なったということだから、大雑把に括ると色仕掛けこそが状況の打破に繋がると判断したに違いない。

 が、それは根本的に間違った処置と言える。むしろ状況を悪化させていた。


「メジムラハーメイトンは尋ねてみたのか?」


 一瞬、カラシノがビクッとなる。このように周囲を取り囲まれた状態で、秘密のはずのマジン界の話をすれば、当然こういう反応になるだろう。が、さらに続けて考えれば、固有名詞を出したことで、事態がいきなりばれるわけはない。


 カラシノもそこまでは辿り着いたようだ。むろん真仁の狙いはさらにその奥、二人にしか知らない単語を出すことで、周囲を煙に巻くことも出来るという計算もある。

 カラシノは恐る恐るといった様子だったが、まずこう尋ね返してくる。


「それって私達の……のようなこと?」

「そうだ」


 後半が気になったが、そんなには外していないだろうと判断して、真仁は肯定した。


「えーっとね……」


 そこで再び周囲を伺うカラシノ。そういう反応を示すところを見ると、尋ねはしたらしい。その内容をどこまで話していいかを迷っているのだろう。


「構わないから、言ってみろ」

「……じゃあ言うけど、褒めてる点はとにかく頭の良いこと。国に帰るときには軍師をお願いしたいって言ってたわ。もっともそれを聞くためだけに、かなりマジン君の悪口も聞いたけど」


 なかなかに真仁の狙い通りの返答だった。冷やかし半分というか、冷やかし全部で周りを取り巻いている連中が、ざわざわと声を上げ始める。

 さもありなん。期待していた睦言も修羅場も起こらずに、よくわからない人物の真仁評を話し始めたのだ。肩すかしも良いところだろう。


「他には?」

「他? え? なんか言ってたかな?」


 本気で悩み始めるカラシノ。周りからは焦れた空気。これ以上はこちらが水を向けなければ話は進むまい。が、真仁は腕時計を見て、このやりとりがまったく無駄でないことを確認した。


 キーンコーンカーンコーン……


 予鈴が鳴った。こうなると学生の身分としては、校内に入らざるを得ない。つまり包囲網も自然解消だ。真仁はさらにダメを押すことにした。

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