第二章 日常が非日常《ファンタジー》の女

第6話 第二章-1「カラシノは舌なめずり」

 昼休みにメイド、もとい城付きの女官レートハナムの入国手続きを終えた二人は、放課後にもう一人、ロウエイカーサモという名の女性を迎え入れた。


 長い黒髪と、いかにも世間ズレしていないおどおどとした態度に、真仁もカラシノもお姫様だと直感したが、職業は神官だと申告された。


 続けて真仁はメジムラハーメイトンが言っていた『頭の中から出ていくための道具』を持っていないか尋ねてみたが、持っていないと申し訳なさそうに告げられる。


「これで七十一人。道具を持った亡命者は現れない。負担ばかりが増していくな」


 世間的には交際していることになっている二人は、できれば一緒に下校するべきなのだろう。なぜならパターンで行くと、真仁がカラシノを家まで送って、仲が深まればそのまま家に寄る、という具合になるからだ。


 偽装ではあっても一緒にいる時間は長ければ長い方が良い関係であることに、変わりはない。

 だが、二人の交際は見せかけなので始めから深まる仲など無いのである。


「負担? 平気なように見えるけどなぁ。あ、そう言えばお願いがあるんだけど」


 真仁の傍らを歩くカラシノから脳天気な声が上がる。


「接続詞の使い方がなってないぞ。いいか亡命者を迎え入れれば入れるほど、僕は強制的に脳を稼働させている状態に追い込まれるんだ。具体的に言うとカロリーが大量に必要になる。わかりやすく言うと、甘い食物が大量に必要になる」


 真仁が実にくどくどと説明している場所は、学校二階の廊下。向かう先は図書室である。できるだけ長く二人が一緒にいるための場所としては、まず無難な選択だろう。

 雲の隙間からあふれ出した日差しが、二人の行き先を明るく照らしている。実に皮肉な光景だった。


「……何食べてるの?」


 真仁のくどい説明の要点だけを捕らえて、カラシノが訊いてくる。


「食べてるというか、飲んでる。コンデンスミルクを」


 一瞬にして、カラシノの表情が曇った。真仁の最近の食生活を想像してしまったらしい。


「もっと他に方法が……」

「一番安く付くんだ。ところで僕が太ったように見えるか? ここ一週間、ダース単位で飲んでるんだが」


 その言葉と同時に図書室の扉を開ける。貸し出しカウンターに座る図書委員からは冷ややかな眼差し。決して良い愛用者ではない――カラシノ一人が――から、これはやむを得ない、と割り切って真仁はいつもの窓際の席に腰を下ろした。

 図書室にある本はあらかた読み尽くしていたので、手持ちの本を鞄から出す。


「夢も希望もなくなったのに、その本を読むの? 痩せたように見えるわね」


 向かいの席に腰掛けながら、カラシノがからかうように声をかけてきた。


「夢も希望もなくしたのは僕の主観上での話だ。僕は本の中身は割と信頼している。虚構の世界だけにな」


 本に挟んであった栞をピッと弾くようにして、ページを開く真仁。


「今度は接続詞が付いてないな。実は痩せてるだけじゃなく、微熱続きなんだ。それも体力を削っている原因の一つだ」

「ははぁ、ますますサーバーじみてきたね」


 その言葉を真仁は聞きとがめた。


「サーバー?」

「そう、サーバー。聞いたこと無い?」

「知識としては知っている。だが、それがどうして僕と比較される?」


「ネットゲームは?」

「質問に質問で返すな。それも知識では知ってる。体験では知らない」

「ネットゲームっていうのは、簡単に言うとサーバーの中の世界で冒険することなの」


「おい、カラシノ。まさかとは思うが、必要もないのに僕の脳の中で……」

「さすがに話が早い。お願いって言うのは、その関係なの。あなたの管理しているマジン界って殺風景すぎるのよ。何とかして」


 真仁は本を閉じた。もはや片手間に対応できる状況を大きく逸脱していることは明白だ。理解できていることと言えば、カラシノがこちらの言うことをほとんど聞く気がないということだけである。


「木はあるんだけどね、テクスチャを適当に切り抜いただけの書き割りみたいな代物でしょ。あれじゃ小屋も何も造れないの。みんな野宿してるのよ。で、さらに致命的なことは水がないの。そりゃみんな死んでるようなものなんだから、必要ないのかも知れないけど精神的に堪えるのよ。人は水無しでは生きられないのよ」


 カラシノに対抗する理論を構築している間に、さらに追撃がきた。しかも何だかまっとうなことを言っているかのように聞こえる。


「で、城を造ってくれない? ファンタジー世界には欠かせないのよ」


 まっとうなことを言っているように聞こえたのは、気のせいだった。


「一度、接続詞の使い方を徹底的に討論したいが、それよりも先に言いたいことがある」

「何?」


「僕の話を聞いていたか? 理解しているか? これ以上、負担が増えると困ると、説明してきたつもりなんだが。そして、君が用もないのに僕のところに来るのは非常に迷惑だとも告げたはずだ」

「それぐらい、私を巻き込んだ迷惑料だと……」


「よしんば、君の要望を受け入れるとしてもだ。城というのは論外だぞ。木や水はまだ身近にあるから具体的にすることは可能かも知れない。例えば石造りの欧風の城だとしてだ。僕はその組み上げ方を知らない。内部構造を知らない」

「外観だけ想像すれば……」


「それこそ書き割りみたいな城になるぞ。城を求めているのが君なのかメジムラハーメイトンなのかは知らないが、そんな城で良いのか? 君はそれで良いとして、その城で生活する人の身になって考えてみたことはあるか?」


 コホン。


 カウンターから、実にわざとらしい咳払い。それを合図に真仁は立ち上がった。


「今日はこれで失礼する。亡命者には明日まで待ってもらおう。そして、もう一つだけ言わせてもらう」


 カラシノは何も言わずに、まっすぐに真仁を見上げた。その目にも表情にも感情は見えない。


「マジン界などと勝手に名付けないでくれ。便宜上、君がそう呼ぶのは構わないが、それは別のところで叩くように」


 カラシノに負けず劣らずの無表情でそう告げると、真仁は図書委員に黙礼して出て行った。

 残されたカラシノはむんと腕を組んで、背もたれに身体を預け天を仰ぐ。

 

 ――そして、舌なめずりを一つ。

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