第32話 第五章-8「これにてお仕舞い、いやはじまり?」

 右肩からその指先に至るまで、軽い痺れが残っている。レフが体内から飛び出した痕跡、あるいは代償だろう。そう判断した真仁は対角線の反対側にいる長い外套を纏った人影を見つめる。

 相当にノイズまみれで、輪郭線さえぼやけているような酷い有様だったが、個体の見分けは付きそうだった。


「一応確認するが、君がレフという帝国の魔術師か?」


 レフはその問いかけに、軽く頷いた。そのことで真仁は相手も状況をきちんと把握していることを確認した。


「なるほどなかなか整った顔立ちだ。カラシノが油断したのもわかる。あれで普通の女性らしいところがあるからな。が、カラシノは嫉妬心を抱くような彼氏がお好みらしい」


 真仁は元々細い眼をさらに細めた。


「だとすれば君の処遇はどうしたものかな」


 レフはそんな真仁に恐怖を感じていた。ル国の者達が逃げ込んだ脳の持ち主は、レフが知るある人物によく似ていたのだ。そして、その人物を前にするとレフは本能的に恐怖を感じてしまう。

 そして、その恐怖そのものが、一歩こちらへと踏み出してきた。


「実のところ、僕はカラシノにあまり嫌われたくはないのだ」


 真仁はカラシノが聞けば驚喜して乱舞しそうな台詞を口にする。が、レフにとっては、いささかも恐怖を和らげるものではなかった。ただ、その無表情さがやはり似ていた。

 一度しか拝謁を許されなかった、あの帝国皇帝に。


「おっしゃ~~~~! って、おお~~クラクラする。何かの攻撃?」


 いきなり跳ね起きたのは、真仁の足下で横たわっていたカラシノだった。こちらはもちろん制服ではない。水色のサマーセーターに、ベージュのパンツ。が、手に持っている物がその出で立ちには徹底的に不釣り合いだった。


 西洋風の両刃の直剣。要するにマジン界でカラシノが振り回している剣と大差ない代物だ。それを杖代わりにして、上半身をふらふらと揺らしている。


「落ち着け。ただの立ちくらみだ。向こうでは上手くやったようだな」

「いやぁ、うかうかとマジン君の策が当たったよ。段取り通りで、拍子抜けしたぐらい」

「“うかうか”の使い方が間違ってるぞ」


 早速のいつもの漫才だったが、レフの方はそれどころではない。自分を追い詰めた戦士と、このような状況を作り出した策士が目の前にいることになるのだから。


 が、とことんまで追い詰められたことでレフは自分のやるべき事を思い出した。

 なにもここで二人と対決する必要はないのだ。ここまで来れば元の世界に帰還を……帰還を――


「君の身体が電気だとすると、脱出はかなり難しいぞ。この部屋の内側は絶縁体、ゴムという物質で覆わせてもらった。君に帰られるとこちらも面倒でな」


 真仁が一歩前に出る。


「殺しはしない。君を監禁させてもらう。一度は僕を殺しかけたんだ。それぐらいの不自由は甘受してもらうぞ」


 レフはその一歩に押されるように、そのまま一歩下がる。そしてその隙に乗じるようにして、剣を引きずりながらカラシノが前に出た。現実世界では、カラシノの身体能力はまったく持って勇者の名に相応しくないのである。


「これで本当に追い詰めたわ。覚悟なさい!」


 えっちらおっちらと剣を振り上げるカラシノ。そこにレフは希望を見いだした。

 カラシノの剣の扱いはなっていない。そして自分は指摘されたとおりに、今はただの電気。剣で切られる実体もないのだ。

 しかも心強いのは、この周囲には魔力が充ち満ちているということ。


 この急場を凌ぎきれば――カラシノの一撃をかわしきれば――この部屋ごと破壊して、帰還することも全くの絵空事ではなくなる。

 レフが心の余裕を取り戻した瞬間、カラシノが剣を横に薙いだ。


「磁光真空剣・横一閃!」


 気合いだけは立派だが、マジン界のそれとは違い、実に不安定な太刀筋だった。

 レフはほとんど避ける必要も感じず、また自分に実体がないことも手伝ってほんの少しだけ身をかわすに留まった。その結果、ふらふらの剣先がレフの指先にわずかに触れた。


 レフの目論見通り、剣自体はダメージをもたらさなかった。

 が、真仁の真意はまさにその一点にあったのだ。つまり、剣とレフとを接触させるという、その一点に。


 カラシノの持つ剣は“現代社会のビタミン”ともよばれる、電気抵抗値の低いレアメタルでコーティングされている。具体的に言うと白金プラチナだ。

 つまりカラシノの持つ剣は、それ自体が露出した電気回路の一部。

 そして、電気回路に接触した電気は――


「ひ、引き込まれる……!」


 言葉通りのことが、レフの身体に起こった。あっさりとレフの身体は消え失せる。


「余韻もなにもあったもんじゃないなぁ。あっさり過ぎるよ」


 その結果にカラシノは実に不満げだった。


「策が上手く行くときはそんなものだ。持ち方、気をつけろ」


 見れば柄頭からはコードが伸びていた。レフのデータを別の場所に転送しているのだ


「ハードディスクはあれで足りるの?」

「いわゆる地球の科学で人間をデータ化したのと同じように考えれば、まず足らないようにも思えるがな。が、相手は魔法だ。足りないとなれば、自分で何とかするだろう」

「それもそっか。テラバイトもあればどうにでも出来るでしょ」


 カラシノは言いながら、剣をゴムの床に突き刺した。


「で、メジムラハーメイトン達も出てくるの?」

「今回は見送ることにしている。将来的には彼らの元の世界に斥候を出して、帰還することまで視野に入れなくてはならないだろうが、今は時期が悪い。それにレフがとっちらかした僕の頭の中も整理し直さなければならない」

「面倒な言い方だなぁ。もう“マジン界”って言っちゃいなよ」

「それだけは断固拒否だ」


 そう言いながら、カラシノは真仁へと近付いてゆく。真仁の方はそれに構わず、ゴム部屋から出て行こうとするので、カラシノは慌ててその背中に追いすがった。


 ゴム部屋の外は、夏の日差しがさんさんと降り注ぐ真っ昼間だった。ゴム部屋自体は大きな庇の下にあったので、灼熱地獄になることは免れていたようだが、長時間入っていたら命の危機に関わるところだったろう。


 真仁が合図を必要としたのは、そのためだったわけだが、その合図のためのダメージがまたも真仁を蝕んでいた。

 微熱にはいい加減慣れてきたが、このダメージはいささか堪えた。


「マジン君、これからどうするの?」

「用は終わった帰る」


 すげなく答える真仁に、またもカラシノが追いすがる。


「ちょ、ちょっと、待ちなよ。ご飯食べないと死んじゃうよ。もう用意してあるんだって」

「暑い、だるい、この際砂糖水でいい」

「そんなんじゃ、ますます帰せないよ。あの道歩いて降りようっていうのがまず正気とは思えないし。それにさ、久しぶりに二人きりだよ。楽しもうよ」


 真仁の足が止まる。


「……うーん、完全に脈がないとは思えないんだよなぁ」

「また、その話か」


 振り返りながら真仁が答えると、カラシノは頬を膨らませて文句を言う。


「だって、もういいじゃない。当面の問題は片付いたし、物語ならここでハッピーエンド。主人公とヒロインが愛を確かめ合って、エンドロールだよ」

「その点だけに解答するなら終わってない。この物語の始まりは、メジムラハーメイトンが僕の前に現れたときだ。そしてその時に発生した問題は、未だ僕の頭の中にある」


 真仁は自分の頭を指差しながら、日陰を求めてイタ家の軒下へと身を移す。どうやらそのまま帰宅するのは本格的に無しにしたらしい。

 カラシノはしばらくその場で首を捻っていたが、不意に笑顔を浮かべて、


「それじゃあさ、それが解決したら……」

「僕は“その点だけに解答するなら”と、前置きしたぞ。勝手に事柄を連結させるな」


 即座に水を差す真仁。


「ああ、もう! 用意がいいなぁ」


 本当に地団駄踏んで悔しがるカラシノを見て、


「そこまで気付いているのなら、あと少しなのにな」


 口を横に広げながら、真仁が告げるとカラシノは大きく目を見開いて、


「何がどう? 今の話に何があったの?」

「メジムラハーメイトン達に訊いてみろ、と言っただろう?」

「ああ、しまった! そう言えば訊くの忘れてた!」

「どちらにしろ、復旧作業で君には何度か往復してもらわねばならない。機会はまだあるさ」


 その言葉にカラシノは肩を落とすが、考えてみると自分にそれを勧めるということは、真仁もまたカラシノとの仲を深めたいと、そう宣言しているようなものだ。


「素直じゃないね、マジン君」


 胸を反らすカラシノに、真仁は冷ややかな眼差しを向けて、


「もっとも、機会があるからといって君が正解に辿り着く保証は何もないわけだ。今の君の自信に溢れた発言、それを計算に入れているか?」


 またも真仁の仕掛けた陥穽に引っかかったカラシノは、頬を膨らませて抗議の構えだが、それより先に真仁から声がかかった。


「カラシノ、それより食わせて貰えるのなら腹が減ったんだが」

「あ、はいはい。今日はさすがに暑いから家の中だよ」


 途端に毒気を抜かれて、軽やかな声で応じるカラシノ。そしてそれに一番違和感を覚えたのもまたカラシノだった。またも、渋面を作って、


「こんなに甲斐甲斐しい彼女なかなかいないよ。意地悪して楽しい?」


 真仁もその意見には感じるところがあったのか、少しばかり間を置いた後、


「カラシノ、こう考えてくれ。君がそうやって要求していること自体が僕にとっては意地悪なんだ……これもヒントだな。そろそろわからないか?」

「えーー。何だか冷静に逆ギレされているようにしか聞こえないよ」

「それと“彼女”じゃないだろ。どさくさに紛れて何を言っている」


 真仁の鉄壁の布陣に、さすがにカラシノも白旗を揚げた。こうなったら本気でメジムラハーメイトンにでも相談しないと事態は進まないだろう。カラシノは気持ちを切り替えた。

 相手はどうあれ、自分は今好きな男の子と二人きりなのだ。文句ばかり言っていても始まらない。


「よし、ご飯にしよう! きょうはねえ、冷やし中華だよ」

「ゴマだれなら、カロリーは高そうだ」

 

 そのカロリーのせいなのか、その日真仁は初めてカラシノに付き合ってプールで遊ぶことに成功した。そのせいかカラシノも端から見ていてわかるほどに実に上機嫌だった。


 が、その日からカラシノは真仁の前に姿を現さなくなってしまう。食事だけは届くので、見捨てられたとか、ましてやフラれたと言うことではなさそうだったが、このタイミングで姿を見せなくなるというのは、いかにも曰くありげで不気味だった。


 ――そして、一学期終業式の日を迎える。

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