第一章 日本の風景に、魔術師は似合わない

第2話 第一章-1「電光の出会い」

 事の始まりは真仁の高校生活初めての中間テストの最終日に起こった。


 この日に起こったことで一番重要な要因とは、半日で学校が終わったという部分。こんなに早く終わらなければ、あの日メジムラハーメイトンに会うこともなかったのに、と真仁は後々まで悔悟の念を漏らしている。


 真仁が自称魔術師というこの老人の姿を肉眼で見るのは、この日が最初だった。そして次の機会は何時になるかもわからない。


 もう少し詳しく説明しよう――


 まず、この時点では真仁とカラシノの間には何の関係もない。少なくとも口をきいたことはなかった。元来、真仁には友達が少ない。いや、居ないと言った方が良い。


 そもそも真仁の定義によると友人とは「相互扶助が行える者同士の、明文化されていない同盟関係」ということになっている。が、今のところ真仁には扶助――助けを必要とすることなど何もなかったので、論理的帰結によって友人は居ないことになるからである。


 そして、それを実地で証明するかのように、この日も真仁は一人で帰途についていた。


 天候は雨。それも豪雨と言っても良い。せっかくのテスト最終日なのに、という声も聞こえてきたが、もちろん真仁には関係ない。


 左手に傘を持ち、右手に読みかけの歴史小説を持って、真仁は黙々とただ歩いていた。その中程ぐらいだろうか。住宅街の真ん中。右と左を塀に挟まれた細い路地。


 そこにいきなり居たのだ。赤ん坊を抱えた老人が。傘も差さずに。


 間違いなく、何らかの手を打たなくてはまずい状況だ。事情はよくわからないが、老人は見たこともない服装だった。しかもあちこち破れた出で立ちで、命からがら逃げてきた落ち武者のように見える。後にそれが本当だと判明するのがなんとも皮肉なのだが、真仁はともかく、この時常識的に振る舞うことを選択した。


「ご老人、お困りのようだが手助けは必要か?」


 言ってから、どうやら外国人らしいことに気付いた。地球でもっとも使用されている言葉は中国語らしいが、ここは次善の策の英語を選択すべきだろう。

 真仁はそう判断した。


「Can I Help You?」


 発音が合っているのかどうか確証はないが、日本語で語りかけるよりは希望はあるだろう。


【ここは……ど……こだ?】


 しかし返された言葉は、果たして日本語だった。ただ、その声にノイズが混ざっている。真仁は翻訳機でも通した声を聞いたのかとも思った。が、その姿、抱えている赤ん坊にまでノイズが走っているのを見て、真仁はこの状況が自分の手に負える範疇を振り切ったことを理解した。


 一時的なオカルト現象を目撃したのだと割り切って、素通りしよう――真仁は即座に切り捨てる事を決断する。


【その反応、確かに……成功したようだな……】


 ところが相手は、その真仁の反応を見て何かを確信したようだ。そして理屈を重んじる真仁が直感で理解した。確実に厄介ごとに巻き込まれつつある。


【この天候、もはや選り好みをしている余裕はない。お主に殿下の命を預けるぞ】


 老人の声はしっかりしてきたが、それと反比例するかのように姿にどんどんノイズが混じり始めている。一昔前に流行ったホラー映画のような風情だ。


 逃げる。どっちに逃げる。歩くのか走るのか。それとも文句を言うのか。判断が出来ない。真仁は最善の手段を選択できない。


 そんな真仁の肩に、老人の手が触れた。痺れが全身を駆け巡る。まずい、完全に巻き込まれた、と真仁は改めて善後策を検討した。


 ――だが、その時はそれで終わったのだ。




 次に真仁の周りに不可思議な現象が起こったのは、三日後だった。お気づきだろうが、この時点で真仁は完全に厄介な事態に巻き込まれている。それが三日もの間を空けることになったのは、真仁の生活習慣によるものだ。


 真仁の家は市営住宅、いわゆる団地でその一号棟の304号室。間取りは2LDKで、そのウチの四畳半の方が真仁の部屋だ。部屋の中にある調度品は大きなもので本棚に机。


 あとはラジカセだ。このラジカセが重要なのだ。


 真仁は娯楽というものにほとんど関心がない。せいぜいが読書といったところだが、それはほとんど生活の一部となっている。それを危惧してのことか、中学に上がると同時に両親からかなり古くさいラジカセを与えられた。


 最初は自動的に曲が出てくる箱、ぐらいにしか真仁は思っていなかった。何しろ一局にチューニングを合わせたあと、真仁はまったくラジカセをいじらなかったのだ。その局では真仁がラジカセのスイッチを入れる時間帯には、ひたすらに無節操に音楽を流していたのでそういう認識になったわけである。真仁がラジカセをもらって一年の間は。


 一年の後に、その局で大規模な番組改編があった。音楽中心から、パーソナリティによるおしゃべり中心の番組に放送内容を変更したのだ。真仁のラジカセの電源を入れている時間帯全てを。


 真仁は変化についても特に気も止めず、すでに習慣になっていたためラジオを聞き続けた。そこから変化が訪れるのはさらに一年後。真仁は木曜日の午後十時にしかラジカセのスイッチを入れなくなった。


 ここに真仁の娯楽が確立したわけである。


 つまり、毎週木曜午後十時『ほしみと秀明のケパケパ1800秒』を欠かさず聞くことだ。


 そんな理由だからこそ、それを邪魔されると真仁は非常に不愉快になる。実際に邪魔されるまで気付かなかったが。


『……お……おい、聞こ……えるか?』


 スイッチを入れた途端、聞こえてきたのは番組のオープニングテーマではなく、年配の男性の声だった。真仁は当然の反応として、ラジオのチューニングを疑った。横のダイヤルをつまんで、バーを左右に動かしてみる。


『聞……こえてい……るなら、返……事を……』


 ところが声はどこにチューニングを合わせても聞こえてくる。科学的に明らかな異常事態。これと同じ経験を真仁はつい先日したばかりだった。となると対応策は一つしかない。


「先日の雨の中で会った人なら、少し後にしてくれないか」


 ラジカセのスピーカの片隅についているマイクに、真仁は語りかける。


『お、通じたようだな。我はメジムラ……』

「聞こえなかったか? 僕には僕の予定がある。三十分後には時間を空けるから、少し待ってくれ」

『お、おぬし、この事態を……』

「礼儀の通じる人格の持ち主なら、どちらが理不尽をしているかわかるだろう? これが最後通牒だ。三十分黙ってろ」

『い、いや、こちらにはそちらの時間が……………………わかった』


 真仁の声に交渉の余地がないと悟ったのか、声の主は真仁の要望通り黙り込んだ。真仁はその結果に満足し、数分遅れではあったが「ケパケパ1800秒」を堪能して、再びマイクに話しかけた。


「自己紹介から始めよう。僕の名は――」


 ここで件の老人の名が「メジムラハーメイトン」だと判明するわけである。


「長い名前だな」

『長いと言うことは、つまり長い歴史を重ねてきた証。名の長さこそ、ルでは名の長さこそ誇りなのだ』

「ルと言うのは、短いように思うが」

『世界は人とは違って寿命がないからな。世代を重ねることがない』


 なるほど、そういう理屈かと真仁は納得する。と同時に相手が説明のつかない場所、あるいは世界からやってきたと主張していて、しかも相手もある程度それを自覚しているということにも気付いた。


 それを相手に尋ねてみると、


『その通り。さすがに整理された頭脳の持ち主だ、理解が早くて助かる』


 と来た。相手か――その可能性は考えたくはないが――自分の“チューニング”が合ってきたのか、ラジカセのスピーカー越しに聞こえてくる声にノイズが混ざらなくなってきている。


 そう。そもそもなぜラジカセのスピーカーなのか。いや、それ以前になぜ自分にこうも執着してくるのか。そこのところが問題だということに真仁は気付く。そして、それをそのまま尋ねた。


『実のところを言うと、別にお主でなくても良かった。たまたま、一番最初に会った人間がお主だったということだ。そう、先着順だな』


「難しい言葉を知っているようで何よりだ。だが、現実問題としてメジムラハーメイトンさんは、機械を使わなければならないほど遠方にいるのだろう。僕に執着するのは不合理に過ぎる」


『誤解があるようだな。お主とワシの間に距離など無い。ワシと殿下はお主の頭の中におる。正確に言うと脳だ。脳の中を駆け巡る電気信号に身をやつしてな』


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