第15話 第三章-6「ワクチンわかばの家」
「仕方ない引き返すか。というか、この世界から撤退すればいいんだな。どのみちこの身体では、ご飯も食べられない」
「しまった。それもそうだね。でも、神官さんはそういう無機物にしか呼び出せないって言ってたから、今のところどうしようもないなぁ」
「そうなのか。僕はまた、嫌がらせのためだけにこの雪だるまが用意されているのかとも思ったぞ」
「そんな暇なコトしないわよ」
「僕の顔に、暇そのものの行為をしたのは誰だ?」
カラシノはめげずに言い返そうとしたが、ふと真仁の様子がおかしいことに気付いた。表情を変えない雪だるま相手に様子がおかしいも何もないのだが、真仁はやがて口調を変えてこう切り出した。
「これは言おうか言うまいか迷っていたんだが……」
「もったい付けるなぁ、何?」
「いくら思い通りになる半分夢の世界とはいえ、いや、だからこそ胸を盛り上げる修正を入れるのは空しくないか?」
「……おい」
「君のような女性にしても、胸の多寡に心配りをするとは少し意外な気もするが」
「聞け、人の話を」
確かに、一昔どころか二昔前ぐらいのあられもない鎧という、お互いに矛盾した要素を兼ね備えたカラシノの出で立ちの胸部には、くっきりと谷間が刻まれていた。
「君はまだ十五か十六だろう。焦ることはない、人並みぐらいにはきっと成長……」
「もう、あったまきた! マジン君、次の日曜は空けておくこと!」
出し抜けに要求するカラシノだったが、もちろん真仁は相手にしない。そのための理由もある。
「次の日曜はテスト前じゃないか。僕は補習は受けたくない。空けられるわけ無いだろう」
一瞬、言葉に詰まるカラシノだったが、すぐに切り返してきた。
「そ、それじゃあ、なおさらじゃない。勉強すれば殊の外カロリー消費するでしょ。私の家に来ればカロリー補給が出来るから、万全で勉強できるよ。参考書も揃えられるし」
「休みの時ぐらい、君とは顔を合わせたくない……が、その申し出は魅力的だ。君の企みも大体底が見え透いているし」
「何か言った?」
その挑発じみた響きを持つカラシノの言葉を最後にして、マジン界での二人の会合――デートはお開きとなった。
翌日は金曜日で、寝ている間もガンガンにカロリーを消費していた真仁は、学校に行くのも億劫になるほど、最悪な目覚めを迎えた。
だが重い身体を引きずるようにして登校してみると、その事態を予期していたのかカラシノが大量の食料を用意万端整えて待っていた。
授業の合間合間に食料を口に詰め込んで、何とか気力を回復して一日を乗り切り、土曜日に休息。そして約束の日曜日。真仁は待ち合わせの場所、カラシノがいつも車を止めている駐車場へと出向く。
約束の時間は午後一時。今日の日差しもなかなかに厳しい。
「ハロハロ~、お待たせ!」
定刻通りに現れたカラシノの乗る車を見て、真仁はまず目眩を覚えた。カラシノの乗る車はいつも軽ではなかった。
オープンカーで、左ハンドルで、真っ赤でバカみたいにだだっ広いボンネット。ギラギラと光る機能性に疑問の残るバンパー。
要するにアメ車だ。それもアメリカが一番調子に乗っていた頃の。
そしてアメ車のサスペンションの酷さは国際常識だ。カラシノの運転技術では命の危険すらある。半袖チェックのシャツにベージュ色のチノパン姿の真仁は、筆記用具を入れた鞄を抱えて回れ右しようとした。
「おいおい、マジン君。約束を破るつもりなの?」
と言われれば、もう一度回れ右をするしかない。そのままの勢いで助手席に乗り込む。
運転席のカラシノは、ボサボサのままの髪を襟足のあたりを真っ赤なリボンでくくり、服は麻の開襟シャツにデニムのキュロットという出で立ち。やはりどうにもセンスが古い。
「カラシノ、絶対にアクセルをベタ踏みにするな。誤解を恐れずに言うが僕はアメリカ製品をまったく信用していない」
まず第一にそう宣言すると、カラシノは簡単にうなずいた。父親からも同じように言われたのかも知れない。いや、これは他に悪巧みを抱えているとき特有の小康状態なのか。
それを証明するかのように、カラシノはその後も日頃とは比べものにならない大人しさで、ゆっくりと車を発進させるといつもの山道オーバルコースへと向かった。
山頂に着いてまず真仁の目に入ったのはプールと飛び込み台である。これは真仁も予想していた。真仁の予想を上回っていたのは先日までシートに覆われていた、カラシノの新しい家だった。
外見は木製二階建ての洋風建造物。白い壁に青色の屋根。海辺にあれば随分似合いそうな佇まいだった。この家のもっともわかりやすい特徴を除いては。
その家の白い壁には、べったりとアニメキャラクターが張り付いていた。真仁の記憶によるとこのキャラクターの名前は“わかば”。
「魔法少女ワクチンわかば」の主人公で、母星の危機を救うため地球にやってきて、人々に病原体を打ち込むという、きわものキャラクターだと記憶している。
外見的には黄緑色の髪にピンクのメッシュ。それにわざわざ襟を立てた白衣に、注射器としての機能を持ち合わせた杖を右手に持っているところまでがきちんと描かれている。
“魔法少女”が付けば何をしても構わないという、実に日本的な手法によって作り出されたアニメでありキャラクターだ。
「……なんだこれは?」
どれほど趣向を凝らしたキャラクターであっても、家の壁全面にそれが描かれてあったならば、第一声としてはこうならざるを得ないだろう。
「感想は?」
無邪気に尋ねてくるカラシノに、真仁は端的に答える。
「痛々しい。実にな」
「狙い通り!」
「何だと?」
「イタ車っているのがあるでしょ」
「イタリアの会社が製造している車のことだろ」
「違うわよ。“痛々しい車”の略で“イタ車”」
そんな無茶苦茶な造語を、一般常識のように振りかざすなと、真仁は言い返したかったが、開いた口が塞がらなかったので無理だった。
「で、私は“痛々しい家”略して“イタ家”を作ってみたのよ。ありゃ、あんまり語呂が良くないな」
「ここが山頂の一軒家で本当に良かった……」
「そんなことより、プールを見て驚きなさいよ。あなた呼んだのはそのためなのよ。アレは君とは関係なく作ったものなんだから」
言われて、真仁は改めてプールを“見上げた”。
いきなり出現したプールはつまるところ巨大な風呂釜だったからだ。コンクリートに穴を空けたわけでなく、大きな貯水池をいきなりそこに置いたという塩梅である。で、その縁に飛び込み台を付けた物が目の前にある、カラシノが“プール”と呼ぶ代物だった。
……確かにプールとしての機能は一応果たしそうに見える。
「……申し訳ないが、プールよりはあの家の方が驚きだ。初めて君の浪費を見た思いだ」
「なんで? 二日でプール作る方が大変だよ」
「言っておくが、君がプールを作った理由を僕が気付いていないと思っているのなら大間違いだ。が、逆に言うと君なりにでも理由があるならば、それは無駄遣いではない。が、あの家は何だ? 絶対に合理的な理由などないだろう。典型的な無駄遣いだ」
立て板に水の如しで、カラシノを圧倒する真仁。
「で、カロリーの高い食事と参考書はどこだ?」
しかも、まったくもっていつも通りの真仁に、カラシノは頬を膨らませる。
「見てなさいよ! 私の胸を見たらあなたも驚くんだから!!」
「……せめてスタイルと言わないか。慎みのない」
真仁は大きく嘆息した。
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