第16話 第三章-7「カラシノの逆襲、そして返り討ち」

 用意されていた食事は「鉄板焼き」だった。場所はいわゆるプールサイド。近くにはパラソルと丸テーブル、それにデッキチェア。ちょっとしたリゾート気分だ。折しも気温は夏に向けて上昇の一途を辿っている。


 真仁は鉄板の上に肉を並べながら、古文の参考書を広げていた。無論プールには背を向けている。なぜならプールの向こう側では「ワクチンわかば」が軽快にウィンクしていたからだ。


「ちょっと~~! この状況で何でこっち見ないのよ~~!!」


 頭上から声がする。カラシノの声だ。真仁がプールを見ないもう一つの理由でもある。


 カラシノの声を無視して、鉄板に視線を戻した真仁は肉の脂肪分だけにカロリーのアテを求めるのもなんとも不健康だと考えた。そこで、傍らに用意してあったトウモロコシを鉄板の上に並べる。野菜はピーマンだけをひたすら並べた。他の野菜は火の通り具合がわかりにくい。

 最後にバーベキューソースを、景気よく振りかける。


 バッシャーーーーン!


 水音が背後で響く。もちろん真仁は相手にしない。


「やだーー! ブラが取れちゃった!!」


 真性のバカだ、と心の中でだけ突っ込んでやって、やっぱり真仁は無視を決め込む。


「このバカマジン! ここまでやってるのに何で見ないのよ!?」


 さすがに業を煮やしたのか、カラシノの声に余裕が無くなってきた。真仁はやれやれと嘆息しながら、


「……少しだけ相手をしてやる。まず君の申し出が嘘で水着が取れていなかった場合。振り向いて君を見た僕は重大な危機に陥ることになる。逆に君の申し出が真実だった場合、なおさらそちらに目を向けるわけにはいかない。どちらにしても君を見るという選択肢は残されていない」

「…………思春期のクセに」

「教えておこう。僕はその言葉が大嫌いだ」


 思いもよらぬ真仁の強い拒絶反応に、カラシノもさすがにそれ以上反論するのははばかられた。真仁もそれ以上相手にせず、焼けた肉を皿に取ってデッキチェアと向かう。そのまま腰掛けて、そのままテスト勉強を開始しようとした。


「あ~~、バカを見たわ」


 言いながら、カラシノもそんな真仁の前にやってきた。ビキニのヒモを首の後ろで結びながら。どうやら本当にブラは外していたらしい。


「………………」


 さすがに目の前にやってこられれば、真仁も目を向ける。そして何かを言おうとして――結局何も言わなかった。


「ん?」


 いつもあちこち跳ねて、性格そのままの落ち着きのない長い髪。それが濡れて、綺麗なストレートの佇まいであることがまずカラシノの印象を違ったものにしていた。そしてあの鎧と比べやすくするためか、身につけている水着は黒のビキニ。


「そう言えば、元は私の胸に対して失礼なことを言ったマジン君の目を覚まさせるのが目的だった」


 そこでカラシノは腰に手を当てて身体を反らす。


「どうだ!」


 真仁は感情のこもらない瞳で、カラシノの姿を見つめた。なるほど、確かにマジン界でのカラシノのバストサイズに虚偽申告はないようだった。


「すまなかった。確かに君の言うとおり僕は間違っていた」


 真仁は素直に謝罪する。カラシノはますます身体を反らす。


「君が嘘を付いていたのはウエストサイズの方だったんだな。見事なまでにまっすぐだ」

「な!」


 途端に前屈みになって、身体を隠すカラシノ。


「ちなみに男が、女性のウエストのくびれを求めるのは、妊娠しているかいないかがすぐにわかるからだそうだ。だから妊娠さえしていなければ、くびれの有無はそれほど重要ではない。あまり気にしないことだ」


 真仁は涼しい顔で蘊蓄を傾けるが、言われた方はただでは済まない。済ませられない。


「そ、そ、そ、それが、付き合ってる女の子に言う台詞か~~~!!」

「思い出せ。付き合っているのは見せかけだけだ。だから僕は将来的に君に有益になるであろう話をしている」

「あーー、そうですか。それはそれは有り難いお話で」


 そこで真仁は一呼吸置いて、


「ところで一つ、君の謎について大胆な憶測を述べてもいいだろうか?」

「は? どうしたの突然?」

「素肌を八割方視認できたということは、一般的に言って仲が深まったと言ってもいいと判断した」

「難しい言葉で言ってるけど、スケベな内容だね」


 カラシノはそう言い返したが、だからといって先ほどのように身体を隠そうとはしなかった。ただ、小首を傾げて、


「で、私の謎って?」

「君には日常の些末な用事を代行してくれる存在があったはずだ。そうだな執事と呼称するのが一般的かな。恐らくは中学生ぐらいまで」


 カラシノは今度は逆の方向に首を傾げて、


「当然、そこに辿り着くまでの筋道があるんだよね」

「君は物事に頓着がなさ過ぎる。経済的余裕があるから、という理由だけでは納得できないほどに。だから、そういう部分に頓着していた存在が身近にいたのではないかと推理した。例えば自分で吟味しなくても、一流の食事を用意してくれるような存在だ。だから君自身には、そういう知識がないのだ」


 カラシノの首がまっすぐになる。


「――で、そういうのがいたとして、いなくなった理由は?」


 今度は真仁が小首を傾げた。


「こっから先は推論が過ぎる。さすがに口に出すのははばかれる」

「マジン君、もう少し自分を知ろう――今さら何言ってんの?」

「横領だろうな。何しろ君はすべてに無頓着だ」


 本当にはばかっていたのか疑いたくなるほどあっさりと、真仁は推論を述べた。するとカラシノがまた首を傾げる。そして、そのまま首をぐるんと回した。


「言い訳がね『妹が病気でどうしても金がいる』だったわ」


 突然に核心を語り始めるカラシノ。真仁はそれを聞いて深く頷いた。思っていたとおりだったからだ。本当にそんな事情なら、もっと早くにカラシノに事情を話していたはずだ。何しろ恥も外聞も関係のない状態と言える。本当に妹が危篤なら。


 だが、不正が発覚した途端にそんな言い訳を始める。それはつまり――、


「酷くナメられたものだな。結局そいつは君を一人の人間としては見ていなかったわけだ――『移植のための渡航費用もいる』ぐらいの小技は効かせてこなかったのか?」


 真仁はそれぐらいのことは言ったのだろうとは考えていた。それをカラシノが忘れきっているに違いない。だから、予想されるカラシノのリアクションは、


「そうそう、そういう様なことも言ってた!」


 である。


 が、現実は少し違った。


「そうそう、そうなのよ! そこのところを妙子がわかってくれなくて」


 一瞬とっちらかった頭の中を整理して、真仁はカラシノの言葉を吟味した。

 間宮妙子のあの過剰反応から、過去にカラシノの周囲に不届き者がいたのではないかと真仁は推測したのだが、この場合あまり関係なさそうだ。


「……そこのところ?」


 結局、尋ねるしかない。


「私が人間扱いされてないってところよ! いやぁ、さすがマジン君わかってくれてるねぇ」


 そう言って、カラシノは前屈みになって真仁の手を両手で握りしめる。真仁としては、即座に言い返して自らの立ち位置を確保しておきたかったのだが、いきなり目の前に出現した、実に攻撃的な情景に完全に不意を突かれてしまった。


 気を落ち着けることに全エネルギーを消費してしまい、緊急避難として目を閉じる。


「なによ?」

「……ちなみにいくら横領されたんだ?」


 今となっては、特に重要な事柄でもないが、間を持たせるためには有効な質問だ。案の定、カラシノは真仁の手を離し、真っ青な空を仰いで目を閉じた。


 その隙に真仁はカラシノの横を抜けて、鉄板に向かう。肉の一切れも食べてはいないが、トウモロコシはそろそろだろう。ピーマンは諦めるしかないかもしれない。用意されていたキャベツは、この際そのまま囓るの一つの方法だ。


 煙の向こう側では、わかばが変わらぬ笑顔で真仁を迎えてくれた。周囲の蝉の声がやけに耳にうるさい。


 ――やがてカラシノの声が聞こえてきた。


「…………えーっとね、多分ね、五十億ぐらい」


 桁違いのバカだな、と真仁は改めてカラシノの評価を修正した。

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