第5話 第一章-4「偽装カップル誕生!」

 昭彦が教えてくれた喫茶店の名は「山茶花さざんか」と言った。学校から徒歩十分といったところだろうか。大通りから脇道に入り死角に入り込んだところにある。近所に他の店舗もないから、民家を改造した店なのかも知れない。


 ただ、それにしては煉瓦造りの壁に色ガラスと外見はなかなか堂に入っている。店内はカウンター席が五つにテーブル席が二つでさして広くはないのだが、くすんだ茶色の壁紙が店内の情景をセピアに統一していて、こちらの雰囲気も悪くはない。


 ただメニューが「コーヒー」とか「紅茶」とか原材料名がそのまま表示されているようなところに技巧が足りない。明らかに雰囲気にメニューが追いついていなかった。


 昭彦らしいと言えばらしい店だな、というのが真仁の総合評価である。


 カラシノは店に入るなりテーブル席に腰掛け、チョコパフェを注文した。真仁は仕方がないのでコーヒーである。予算の都合上他に選択のしようがなかったからだ。


 真仁は注文の品が手元にやってくると、すぐに説明を始めた。カラシノの表情はめまぐるしく変化したが、真仁の話を止めるようなことはしなかった。

 質問も挟まず、ただ説明をうなずきながら聞き続け、一通り終わった瞬間、カラシノはすぐさま携帯を取り出し、


「もしも~し、メームラハルマゲドンさん」


 と、始めた。このカラシノの行動で、真仁は目の前の人物がどういった為人ひととなりなのかを、大体掴んだような気がした。


「メジムラハーメイトンだ、カラシノ」


 だからこそ、もはやさん付けは不要だ、と真仁は判断した。


「あ、そうだった。メームラハジメイトンさ~ん」


 どうも物覚えが悪いか、人の言うことをきかない性格らしい。いや、このタイミングでの最大の問題では、メジムラハーメイトンとカラシノの間にコミュニケーションが成立するかどうかだ。どうやら頭の中の時間経過はこちらとは違うようだが、しばらくの間は外からの呼びかけに注意するようには言い含めてある。

 

 ――ここが分水嶺だな。自分が正気を失っているか、世界が正気を失っているかの。


 真仁は心の中で覚悟を固めた。


「え、名前が違う? 長い方が悪いのよ。愛称か何か無いの? え? 愛称って何かって? へ~、本当に違う世界の人なんだね。あ、私カラシノって言うの」


 ……どうやら世界が狂っている方に賽の目が出たらしい。


 カラシノは目を覆いたくなるほどあっさりとメジムラハーメイトン相手にコミュニケートしていた。いや、相手がメジムラハーメイトンでは無い可能性がまだ残されている。


「……カラシノ、少し代わってくれないか」

「うん、いいよ」


 カラシノはあっさりと、真仁に携帯を渡してきた。それを受け取りながら、携帯電話という正解に即座にたどり着いたカラシノへの評価を上方修正する。真仁は携帯を持っていないが、持っていればラジカセを携帯に変換していただろう。だがそれも事態を一応理解してからしばらく経ってからだろうと判断できた。


 つまり、カラシノは知識の多寡の問題ではなく〝頭が良い〟ということになる。


「確認するが、メジムラハーメイトンか?」


 そんな事を考えながら、出し抜けに真仁が確認すると、


『残念ながら、お主は狂っておらぬよ、現実を受け止めるのじゃな』


 出し抜けに内心を言い当てられた。動揺を抑えながら深呼吸。目の前のカラシノは注文していたチョコパフェに手を付けている。

 真仁はもう一度深呼吸して、次に必要なことを確認した。


「――で、管理人とやらはカラシノで間違いないのか?」

『それはまだわからん。が、恐らく間違いないじゃろう。確かめるための方法を相手に伝えるからカラシノと名乗ったご婦人に代わってくれ』


 そこで真仁は携帯を返そうとカラシノを見ると、カウンターの向こうにいるマスターとなにやらジェスチャーゲームの真っ最中だった。


「何だ?」

「何にも。あ、私に?」


 言いながら手を差し出してくるので、その手に携帯を置くと、カラシノは再びメジムラハーメイトンと話し始めた。真仁は何かと思って、マスターを見てみると、なにやらこちらに笑顔を向けてくる。いや、愛想笑いと言った方が良い。


 そういう行為を向けられる身に覚えの無かった真仁は、内心首を傾げる。


「――ね、マサヒトってどう書くの?」


 なにやら会話の途中でカラシノが尋ねてきた。真仁は深く考えることをせずに、


「真実の真に、仁義の仁」


 と簡潔に答えると、カラシノは一つ深く頷いて、


「そこの地名はマジン界ってことで。それじゃあ今晩が行くから。そのときはよろしく~」


 聞き捨てならないことを、カラシノは二つ口にした。真仁はより緊急性の高い方を選択しなければならないと判断する。が、それが難しい。


「住んでるところに名前がいるっていうのよ。それであなたの名前にちなんだわけ」


 迷っているウチに、カラシノが先に片方の問題点の説明を始めた。


「何でそんな奇妙な読み方をするんだ?」

「じゃあ素直に『マサヒト界』とか付けられた方が良いわけ?」


 理不尽なほどに選択肢が少ないような気がするが、緊急性が高いのはそちらではない。真仁はほぞを噛む思いで、もう一つの問題点を確認することにした。


「『今晩行く』って言うのは?」

「ああ、そういうことが出来るらしいのよ。私の魂をあなたの頭の中に呼ぶんだって。ちょっとした幽体離脱?」


 ちょっとした、ではなくて幽体離脱そのものではないか、と真仁は思ったがそれには触れず別のことを尋ねた。もっと根本的なことだ。


「カラシノ、怖くはないのか?」

「いや、怖いも何もそうしないとわからないこと色々あるし、メジーも場所が使えなくて困ってるのよ。だから怖がっている場合じゃ――」


「怖いのに変わりがないなら同じ事だ。どうやら僕一人の妄想ではなかったようだが、君が突発的に僕と同じ妄想にとりつかれてしまった可能性も否定できない。ところで人の名前はちゃんと呼んだ方が良い」

「それは考えすぎだよ。だって長いんだもん」


 と言いながら、カラシノはチョコパフェをすくう。とは言っても上の方はほとんど食べ尽くしていたので、もはやコーンフレーククリームソース和えと言った方が良いかもしれない。


「君は考えなさすぎだ。いいか、これは二人揃って気が狂った、と考えた方が筋が通るほどの異常事態なんだぞ」

「でも、面白いじゃん。ありがとう巻き込んでくれて」


 まったくもって気軽そうにコーンフレークを頬張るカラシノ。真仁は袋小路に追い込まれた。面白い面白くないは、明らかにカラシノの主観であって、それを理由に持ち出されると通常の理論では突き崩せなくなる。


 ――僕は面白くない!


 と主張しても「私は面白い」と返されて典型的な水掛け論に持ち込まれることになる。


「それよりも、マジン君。現実に目を向けようよ」

「僕は名前はちゃんと呼んだ方が良いと言ったな。長くもないぞ。で、現実?」

「あのねメジーの話によると、亡命者だったけ? そういう人を迎え入れるためには、国と管理人が揃ってないとダメなんだって」

「……何だって?」


 つまり、何時現れるかわからない亡命者を受け入れるためにも、カラシノとは出来るだけ行動を共にした方が良い、ということになる。それだけを考えれば、さほど難しい話ではないのかも知れない。


 が、この事情は他人にはまったく説明できないのである。早い話が、端から見れば真仁とカラシノは交際しているようにしか見えなくなると言うことだ。

 カラシノは真仁が目を細めるのを見ながら、逆に尋ねてくる。


「そんなことも聞いてないの?」

「僕はかなり世界を信頼していないつもりだったが、少し甘かったらしい。今みたいな事態になる可能性は1パーセントあるかないかと踏んでいたんだ。だからそこまで細かいことは聞いてない」

「世界を信頼してないんだ――ふーん……」


 言いながら、グラスの底に残ったコーンフレークを砕いていくカラシノ。


「で、どうするの?」

「まず確認しておくが、君は交際している相手はいないな。推測の理由は色々あるが、現状がそれを証明している」

「……胸を張っては言えないけど、その通りね」


「そして、避けようのない事態だったが僕が君を呼び出したことは『僕が君に告白しようとしている』と周囲に理解されているということだ」

「ま、私も最初はそう思ったからね」

「それで、提案なんだが、しばらくそういう事にして貰えないだろうか?」

「ちゃんと言わないのは卑怯だよね」


 即座に切り返してくるカラシノ。真仁はその言葉の意味を考えてみる。具体的に言うと、彼女の言う『卑怯』の意味を考えていた。卑怯には様々なパターンがあると真仁は分析していたが、彼女がこの場で言う卑怯とは……


「取引条件をはっきりさせないまま、つまり言質を預けずに依頼しているのが卑怯だと言われているのだろうか?」

「は?」

「はっきり言ってもどうにもならんとは思うがな。とにかくやってみよう。君に好意はないが交際してくれないか――見ろ、おかしな言葉になってしまった」


 そこで相手の反応を窺う真仁だったが、カラシノはパフェ用の長いスプーンを口にくわえ、目を全開にしてじっとこちらを見つめていた。


「今のところこちらから取引に持ち出せる材料はないが、そこそこのつきあいにはなるだろうから、僕に出来ることがあれば言ってくれ」


 それでもカラシノはじっと真仁を見つめていた。


「――これで卑怯と定義される事柄には全て対抗措置を執ることが出来たと思うが、どうだろう?」


 言いながら、真仁はすっかり冷めてしまったコーヒーに口を付ける。考えてみると喋りっぱなしだった。喉も恐らくは渇いているのだろう。コクも香りもない苦いだけのコーヒーが随分と甘く感じられた。


 やがて、スプーンをグラスに戻したカラシノは、まずこう切り出した。


「……卑怯って言っただけで、よくもそこまで迂回できるものね。しかも辿り着いてないし」

「どこがだ? 条件はすべて満たしていると思うが」

「そういうことじゃないんだけど、実は辿り着いていない人にこそ私は用があるのかも知れない」

「わかるように言ってくれ」

「つまり、君が私に提供できるものがあるかも知れないってことよ。将来的にはね――いいわ、交際しましょう」


 カラシノはあっさりと告げ、真仁も特に追求することなく頷いた。


 ――これが、西狭山高校の七不思議に数えられるカップルが誕生した瞬間である。

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