第34話 終章-2「告白」

「武藤、予鈴が鳴ったぞ。教室に行った方が良い。終業式が始まるぞ」

「マサくんは?」

「終業式という通過儀礼イニシエーシヨンには論理的整合性を見いだせない。良い機会だから無視することにした。それに僕とカラシノに何かが起こると思っているのなら、それは間違いだ。ここでは絶対に何も起こらない」


 その言葉に昭彦は一瞬考え込み、ポンと手を打った。


「あ、そりゃそうか。山の上で――」

「はいはい、このまま退散しましょうね」


 昭彦が迂闊なことを言いだした瞬間、狙い通り妙子が割り込んで、昭彦の言葉を遮った。そのまま昭彦を引きずって校舎へと進んでいく。妙子としては真仁がカラシノの覚悟を無下にしなければいいと思っていたようで、その点に関しては真仁を信頼したらしい。


「マサくん、後でどうなったか教えてくれよ~」


 断末魔のようなかすれた声と共に退場してゆく昭彦。真仁はゆっくりと周囲にもわかるようにうなずいて見せた。これで情報を求めている者にも一応の踏ん切りは付くはずだ。

 こうして周りを取り囲んでいた生徒達がほどけてゆき、真仁とカラシノは取り残されることとなる。


「……色々言ってたけど、要するにマジン君の頭が良いって事になるんだよね……って、あれ?」


 よほど考え込んでいたのか、カラシノはそこで初めて周囲の変化に気付いたらしい。


「整理された頭脳、とは言ってなかった?」


 真仁はカラシノの疑問に答えることなく、話を先に進めることにした。カラシノも今さら終業式にこだわったりはしないだろう。


「あ、言ってたね。でも、それってもっと最初の頃によく聞いてたけど」

「そこが重要だ。つまりあの世界の根本は、僕の整理された頭脳にある」


 この辺りでそろそろ気付いてくれないだろうかと真仁は期待するが、


「マジン君が自慢するのは珍しいね」


 どうにも的外れな答えを返してくるカラシノ。やはり、一から十まで説明しなければならないらしい。結果的にだが、カラシノには無駄足を踏ませてしまっている。

 真仁は覚悟のため息を一つ付いた。


「カラシノ、君の努力は認めるし僕が嬉しいか嬉しくないかという感情論を用いて良いのならば、それは嬉しいと言い切ってしまっても良いだろう。だがこの場合、君の努力は逆効果なんだ」


 真仁がそう告げると、カラシノは頬を紅潮させながら困惑の表情を浮かべていた。感情がそのまま顔に出るタイプなだけに、真仁の言葉にいいように混乱させられている。


「あ、あ、あの、その、どういうこと?」

「君は脳内麻薬の存在を知っているか?」


 カラシノの困惑をスルーして真仁がさらに質問を重ねる。カラシノは言葉を返すことは出来なかったが、かろうじてうなずくことだけは出来た。


「この場合、個々の名前などはどうでもいい。だが、これらの物質がどういうときに分泌されるかは思い出して欲しい」

「…………き、気持ちいいとき?」


 尻上がりの疑問符付きで聞き返してくるカラシノに、真仁はうなずく。


「脳内麻薬が分泌されるから気持ちよくなる、などという議論は今は置いておくとして、先に心の問題があることにする。さて好意を抱いている異性と肉体的接触を伴う行為を行った場合、それはかなり気持ちの良い部類になるな」


 カラシノの顔が上がり、真っ正面から真仁を見る。しかし、真仁の表情は相も変わらず鉄面皮だ。


「あ、あ、あの、それって……」

「だが、ここに頭の中に多数の人間の魂が住み着いている男がいる。安易に脳内麻薬を分泌する行為を行うと多数の人間に被害を及ぼすかもしれない。特に整理された頭脳を見込まれていた男の場合はなおさらだろう。さて、この男の正しい行動とはどれだ?」


 真仁がそういった瞬間、カラシノの表情が一変する。まず一瞬にして血の気が引く。王女やメジムラハーメイトンを中心としたル国の人達が、脳内麻薬の洪水に押し流される様子を想像してしまったらしい。


 だが、次にはカラシノの表情は笑みを含んだ温かなものへと変わっていった。

 要はカラシノと恋人らしい行為をするのは、真仁もまた望んでいることであると、かなり遠回しながらも認めたのであるから。


「――さすがマジン君。それで我慢できるところがすごいよ」

「ようやくのことで伝わったようだな。これで納得して貰えたか?」


 カラシノは一瞬うなずきそうになったが、すぐに眉をつり上げて、


「理解はしたよ。でも、納得はしてない。そんなんじゃ、何時になったらキスできるのよ?」


 だが、真仁は首を傾げ無責任にこう言ってのけた。


「さあ。予測不可能な未来については何も言わない主義だ」

「私とキスしたくないの!?」

「どうして元に戻る。そんなことは一言も言ってない。僕はただ、リスクが大きすぎると言ってるんだ」

「そ、そりゃそうかも知れないけどさ。私ばっかり焦って馬鹿みたいじゃない」

「ふむ」


 真仁はそのカラシノの言葉に少し考え込むような表情を浮かべ、


「カラシノ、結局君が交際相手に設定していた条件とは何だったんだ?」

「ふぇ?」


 虚を突かれたカラシノは、今それが一体何の関係があるのかと訝しんだが、


「“世界に絶望していて、自分に良いことが起こるなんてちっとも思ってなくて、でもロマンチックな人”」


 と、素直に答えた。


「ロマンチック? なぜ?」

「私が思うに、ロマンチックな人っていうのは理想の現実とか理想の自分がある人なのよ。そういう物を持っている人は、絶対に悪いこと出来ないでしょ」


 自信満々に言い切るカラシノだったが、真仁はそんなに簡単な話ではないだろう、といつも通りに判断した。理想の自分があったとしても、人は容易に自分にも嘘を付く。

 堕ちていくのは何よりも簡単な行為だ。


 が、そういったシビアな――あるいはペシミストじみたその判断も、カラシノの条件には含まれている。

 つまりそういう現実を知った上でロマンチックであれということか?


 見事に矛盾した条件提示だ。さすがに超富豪。わがままにもほどがある。


「僕はロマンチックじゃないぞ」


 それに、こういう根本的な問題がある。が、カラシノはすかさず、


「マジン君の判断はどうでもいいのよ。私がそう思ったらそれで良いんだもの」

「む…………」


 驚くべき事に、真仁はまったく反論できなかった。まったくカラシノの言うとおりだったからだ。この件に関して真仁は抗いようがない。


 真仁は仕方なく別の方向から反撃することにした。実は当初の目的でもあったのだが、まさかカラシノがこれほど盛大におかしな事を考えていたとは想定していなかったので、かなりの軌道修正が必要だった。


「……では、僕が君の理想通りだったとする。僕がロマンを重要視するとした場合、男女交際で貴重な瞬間とは、キスに至るまでの時間帯であると谷……」

「もし、マジン界で事に及んだらどうなるのかしら?」


 苦心の軌道修正と、羞恥心の増加を自覚しながらの真仁の発言を、カラシノはまったく聞かなかったらしい。いや、そもそも聞くつもりがなかったのか。しかも、内容がいつの間にかキスから大きく逸脱しているようにも思える。

 さらに、その仮定にも致命的な問題がある。


「相変わらず、ザルな記憶力だ。あの世界では僕は無機物にしかなれないんだろ」

「だから、試してみるには良いんじゃない」


 それはそうかも知れない、と真仁はまたも納得しそうになった。マジン界で試みるという考えは、脳内の変化をダイレクトに知覚することが出来る。

 忌々しいことに名案に思えた。


「よし、行こう。今すぐ行こう。終業式はこの際どうでもいいや」


 駐車場につま先を向けるカラシノ。

 鼻先で揺れるポニーテールを見ながら、真仁はため息をついた。カラシノ自身はともかく、真仁があそこに行くには、それなりの手続きがいることを完全に忘れてしまっているらしい。


 だが、それでも真仁はカラシノに抗う気持ちにはなれなかった。


 こうなってしまった原因を考える。すぐに答えは出た。何のとこはない、原因そのものが欠落していたから、感覚で生きるカラシノのフィールドに引きずり込まれることになる。


 結果には必ず原因が伴う。この当たり前の法則を忘れていた。結果だけを見て行動するからおかしな事になるのだ。

 自分の信奉する法と理論の世界に戻すためには、今からでも原因を作る他はない。

 息を吸い込む真仁。


「――カラシノ好きだ。改めて申し込むが、僕と交際してくれないか」


 カラシノの足が止まる。ポニーテールが翻り、顔を真っ赤にした泣きだしそうな笑顔。


 真仁の鼓動が一つ大きく高鳴る。おかしい。原因をはっきりさせたのに、未だに秩序が回復しない。計算が狂った。


 だが真仁はそれ以上、何かしようという気持ちが湧いてこなかった。ただ口の端が横に伸びていくのを自覚しながら、すべての思考を停止させて、カラシノの表情に見とれることにした。綺麗になった自分の恋人の素敵な笑顔を。

 ただ、己の感情に身を任せて。


 ――そして、非日常ファンタジーだけではなく現実リアルの世界でも二人の冒険が始まる。






 ……余談を一つ。


 レフを閉じこめたハードディスクの内部に、何らかのプログラムが存在していることが判明した。興味を持ったカラシノの父親によってプロジェクトチームが編成され、プログラムの解読が進められることになったが、成果が出るのはずっと先の話になるだろうとのことだった。



 ――余談の二つめ。


 ある日、マジン界で花霞が天を覆う事件があった。桜もないのにである。

 住人達はこの天変地異に大きく動揺したが、丘の上で雪だるまと口づけを交わす勇者の姿を見て、そのまま久しく行っていなかった祭りに突入した。


 それはそれは大いに盛り上がり、住人全員が酔っぱらっているかのような高揚振りで、真仁は脳内麻薬の働きだろうと推測した。


 もちろん、脳内麻薬の働きがそれだけで済むと安易に判断する真仁ではなかったが、それでも気分は浮き立った。元はと言えば、真仁の発生させた脳内麻薬であるのだから。


 さて一般的に祭りとは神を慰撫するものである。


 が、かなり特殊な真仁かみさまは逆にこの祭りのおかげで、ぶっ倒れることになった。


 ――真仁の受難は当分終わりそうにない。

                                  


終わり。

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真仁は頭の中に王国がある~そして彼女は真仁をサーバーと呼ぶ~ 司弐紘 @gnoinori

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