第11話 第三章-2「バカップルか、ヒモか」

「小麦はどうしてもいるわよ」

「城内の空きスペースに食料庫を設置しよう。一定量がいつも常備されているように」


「牛乳、卵」

「乳牛と鶏か。どれほどの頭数を揃えればいいのかの資料がいるぞ。穀物と違って、保存が利かないからな」


「今度は猪だと? 野生動物は難しいぞ。生態系から考えなければならない。森の中で行われている、生命循環システムを知っているか?」

「あ、毛皮も欲しいみたいだから、それ用の動物もよろしく」

「人の話を聞け。単純にはいかないといってるんだ。膨大な資料を読み込む必要が……」

「うん、その資料は揃えるよ。でも単純に行くと思うよ。小麦の時と同じだよ。森を食料庫に見立てて、そこに猪を放せばいいのよ。一定期間で数が元に戻るように設定して」

 

 こうして二人は新しい世界を構築していった。時に緻密に、時に大胆に。

 世界が色を増やすごとに、真仁の必要とするカロリーは増えていったが、カラシノの用意する食事に不足はなく、いきなり栄養失調で倒れることもなかった。

 真仁の微熱は続いたが、しばらくすれば身体も慣れる。


 そうして一週間も経つ頃には真仁の頭の中の世界は現実の世界と比べても遜色ないほどに豊かになり、そして二人の“おつきあい”は学校中に知れ渡ることとなった。何しろ暇さえあれば一緒にいて、毎日夜に何を食べるかを話し合っているのだから。


 が、真仁はずっと前からそういう風に認識されることを覚悟していたし、カラシノは「あっはっは」と笑うだけで、人の言うことを聞いているのかどうか定かではない存在だ。


 結局、放置するしかない彼氏彼女――俗に言うバカップル――は、西狭山の新風景として、馴染みつつあった。


 だから梅雨も本格的に始まり、生徒がにわかに図書室に集まり出す期末テスト前になって、二人が机を一つ占拠していても誰も文句を言わなかった。二人の机の上に、明らかにテストとは関係のない本やコピーの山がうずたかく積まれていても、皆が見て見ぬふりをする。


 たが、その片割れが突っ伏して、いびきまで立てて眠っているのは少々問題があるだろう。


 中世における、製鉄技術の論文を読んでいた真仁の眉根がヒクヒクと動いている。真仁の提案で、純粋に西欧にこだわる必要もないだろうということで、今回はインドや中国の技術も取り入れることにしたのだが、そのために少々手間取っていた。

 自分から言い出したことなので、どこにも文句の付けようもないのが、また癪に障る。


 しかも、その苦労の成果を眠ったまま貪っている奴がいるのがまた腹立たしい。そう、カラシノは眠っているのではなく、現在進行形で真仁の頭の中に出向中なのだ。


(眠っている、という状態は一時的に死んでいる、事と同じである)


 誰の言葉かはすっかり忘れてしまったが、呑気な顔で眠りこけるカラシノを見ているとどうにも妙なことを思い出してしまう。殺意の別な形での発露かも知れないな、と真仁が自己分析していると、学校中で放置プレイされているはずなのに声が掛けられた。


「ちょっと!」


 図書室という空間では、到底許容できない大声がした方向に目を向けると一人の女生徒の姿。真仁はその女生徒に見覚えがあった。


「君は……カラシノの友人の――」

「間宮。間宮妙子」

「そうか、僕は……」

「これだけ有名になって、自分の名前が知られてないとと思ってるの?」


 もっともな言い分に真仁は納得して、持っていた論文に再び目を落とす。


「ちょっと、勝手に終わらせないでよ。用があるから声をかけたんじゃない」


 真仁はカラシノに寝顔に少しだけ目を遣ると、


「カラシノの件か? 友人として気にかけているのかも知れないが、特に問題はないと自負している。客観的に見ても、彼女は健康そのものだろう?」

「そういう難しい話はいいの」


 難しかっただろうか? と真仁は自分に問い合わせてみる。そして間宮妙子は、昭彦と同種の人間なのだと結論し、改めて妙子に視線を向ける。


 前にも見たが、カラシノとは対照的なショートカット。釣り上がり気味の目元は恐らくは〝猫のような〟と評されるのだろう。細身で怒り肩の持ち主なので、パッと身の印象は一本の鏑矢のように見える。


「カラシノにずっとご飯おごってもらってるでしょ。ヒモにでもなるつもり?」


 見た目そのままに、かなり攻撃的な性格らしい。真仁は再び納得して資料に目を戻した。


「いくらカラシノがお金持ちだからって、それに甘えてばっかりでいいと思ってるの?」


 その言葉に、再び真仁の目が妙子へと向いた。そして、初めてカラシノのクラスに訪ねて行った時に向けられた、妙子の敵意を思い出す。そして、その敵意が収まったときの自分の言葉も。確か、喫茶店代を出す、と言ったときだったか。


「なるほど知っているわけか」


 確かにカラシノの友人だ。真仁としてはキリも良いので、そこで話を終わらせてしまいたかったが、恐らくそれでは妙子が納得しないだろうと思い、少し水を向けてみることにした。


「君もあの家に?」


 カラシノ絡みで手頃な話題と言えばまずこれだ。今までのカラシノの家遍歴などを語り合えば、適度に胸襟も開かれることだろう。


「カラシノにたかり続けるつもり?」


 だが妙子は真仁の試みをあっさりと蹴っ飛ばした。真仁は自分の義務は果たした、と判断して資料に目を戻す。が、何度も目を離したのですっかり論旨を見失ってしまっていた。

 真仁はまた眉根を寄せながら、綴られた用紙を元に戻してゆく。


「無視するつもり!」

「ここは図書室だ。大声は出さない方がいい」


 もはや目も向けずに真仁は短く告げ、資料に意識を集中させる。その後も妙子は何か話していたようだが、ほとんどその声は聞き取れなかった。

 しかしその中で、一つだけ違和感の残る言葉だけが耳に残る。


「――あなたがロマンチックだっていうの?」








「あっはっはっは!」


 帰宅途中の車中。助手席に座る真仁から、間宮妙子とのやりとりを聞いたカラシノは哄笑一発。ちなみにアクセルはベタ踏みである。真仁もこの頃にはカラシノの家に向かうこの山道が、山に螺旋を描く様に設置された一種のオーバルコースであることに気付いていた。だから、アクセルを踏み込んでもそれほど危険がないことも理解してはいる。


「マジン君、前から思ってたけどコミュニケーション能力が少ないよね。私、今でも君の言ってることわからなくなるもの」

「お互い様だ――彼女が気分を害して君にあたるようなことになれば、それは僕も本意ではない。ただ、この状況を彼女にうまく説明する方法が思いつかなかったので、言うに任せておいた。少しでもストレス発散してくれればいいのだが」

「要するに面倒になったんでしょ。それがコミュニケーション能力の少なさなのよね~」


 言われてみると確かにそうかもしれない。真仁もそこは納得したが、だからといってコミュニケーション能力とやらを増加させようとは思わなかった。


「で、最後に妙な言葉を聞いたんだっけ?」

「そうだ。『あなたがロマンチックだっていうの?』だ。意味がわからない」


 真仁はそこでカラシノの馬鹿笑いが響き渡ることを予測していたのだが、一向に笑い声の気配がない。視線を横に向けると、見たこともないような不気味な笑みをカラシノは浮かべていた。


 その瞬間、十分に速度を蓄えた車がダイブする。頂上にたどり着いたこの瞬間が、いつも最大の危機となる。軽自動車のサスだと、着地の瞬間そのまま前回り受け身を決めてしまいそうになるからだ。


 真仁は飽きもせずに文句を言い続けるのだが、この日ばかりは何も言えなかった。


 ――首を横に向けていたせいで、おかしな具合に首を捻りそうになったからだ。

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