第三章 初めてのデート
第10話 第三章-1「世界創造」
遠くに望む山の頂には雪の冠が見える。その中腹から、なだらかな傾斜を描く裾野へは、緑豊かな広葉樹の木々。その雄大な光景に現実世界で比較しうるのは東欧に広がるシュバルツヴァルト、いわゆる「黒い森」だろうが、彼の森よりはずっと親しみやすそうな印象を覚える。
所詮は人の都合で生み出された森ということだろうか。
その森から流れ出る一筋の水の流れ。こちら近付くに従ってその幅が広がっていくその流れは、一般的に言うところの河川そのものだった。川には木製の橋が架かり、その両端から舗装こそされてはないが人の行き交う道が伸びている。
その道筋に沿うようにして、幾つもの家屋。煙突からは煙がたなびいていた。
亡命者達があそこで生活しているのだ。健康で文化的な、と付け足してもいいかもしれない。管理者カラシノの尽力によって、のっぺらぼうだった世界はここまで豊かになった。
「どう? あなたの世界だよマジン君」
尽力――それはこの世界の神様をせっつき続けること。管理者カラシノは傍らに立つ神様、真仁に笑顔を向けた。真仁はそのカラシノに首ごと動かして視線を向ける。
カラシノはまったく不届きな出で立ちをしていた。膝丈の頑丈そうな革のブーツ。肘までをすっぽりと覆う手甲。この辺りまではいいとしよう。
問題なのは四肢ではなく胴体だった。胸と腰しか隠していない金で縁取りされた漆黒の鎧。一体何時のセンスだ、とすでにさんざん突っ込んだあとだったので、今はそれを見てもため息を付きたくなるばかり。
だが実際には付けない。なぜなら今の真仁は人の姿をしていないからだ。
「あっはっは、やめてよこっちを見ないで。あんまり似すぎてて、気味が悪いから」
身体を二つに折るほど激しく笑うカラシノ。
さもありなん、真仁の今の姿は上下に玉を重ねただけの大理石の像。しかもカラシノのいたずらで目と眉毛が木炭で描かれているため、見た目は完全に雪だるまだった。
カラシノに鉄拳制裁を加えようにも、そもそもその手がない腕がない。
「カラシノ、君の記憶力を試させてもらうぞ」
「いきなり何?」
「覚えてろ。この礼は必ずするからな」
真仁としてはそこで、カラシノを睨みつけたつもりだった。だが返ってきたのは怯えでも反発でもなく、
「あっはっはっはっは!!」
ただただ、笑い転げるカラシノ。
実に癪に障るが、これほど楽しそうなカラシノは見たことがない。一般常識で考えると、自分は今彼氏としての役目を立派に果たしていることになる。
デートで彼女を退屈させないという。
せめてそう思って、自分を慰めよう。
そう二人は初デートの真っ最中だった。
――真仁の頭の中で。
時は少し戻り、真仁がカラシノ家に初めて訪れた翌日のこと。真仁は盛大に「彼女の家に初めての訪問」予告編を行っていたことを登校してから思い出した。特に楽しみしていたらしい昭彦が、授業が始まるまでのわずかな時間に真仁の机の前にやってくる。
「昨日は……」
「昨日はカラシノの家に着いたら食事が用意されていた。これがどういう事かと言うと……」
昭彦の言葉に被せるように、真仁は説明を始めた。
「言うと?」
話せることと話せないことを頭の中で分離しながら、真仁は昭彦が納得しそうな話を練り上げようと試みた。が、どう考えても対象年齢が高校生の範疇を越えそうなので、カラシノを悪者にして、その場を凌ぐことにする。
それに、実際のところカラシノは悪者だ。
「僕を馬車馬のように働かせるための餌だった」
「馬車……なんだって?」
相変わらず、知識が欠落している。
「要するに、僕にもの凄く仕事をさせるために食事を用意していたんだ。仕事というのはコピーだ。父親の仕事の準備らしい。自宅にコピー機があったので、その点は楽だったが、日が沈むまで単調な作業の繰り返しだった」
実際の作業は、作業の成果が見えないというさらに過酷なものだったが、今それを言っても仕方がない。
「そ、それで日が沈んだ後は?」
「そこで終わりだ。母親が現れて、あれだけ食わされた上に夕食にも誘われたが初対面ではそうもいかないだろう。帰るしかなかった」
「そ、そこは粘らないとダメだよ、マサくん」
「かもしれんが、忘れるな。僕は初心者なんだ」
「……そうだなぁ。初心者だもんな」
そう昭彦が納得したところでタイミング良くチャイムが鳴った。多分これで、この話は打ち切りになる。後は目立ったことをしなければ忘れられるだろう。
問題はカラシノだが、元よりあの女は問題しか起こさない生き物だし、その点はもう覚悟を決めてしまうしかない。
真仁は胸の内でため息をついた。
しかし、放課後になって現れたカラシノが提案してきたのは、今までと同じように図書室に寄ることだった。ごく穏当な申し出と言える。
「資料揃えるなら、別に私の家でもいいんだけど、今の家ゆっくり物を読んでもらえる部屋がないのよね。季節も中途半端だし」
今ひとつ理屈がわからないが、確かに物を読むならあのアパートよりは図書室だろう。
しかし、それを受け入れるには前提がいる。
「僕が何を読むんだって?」
「行きがかり上、マジン界は中世ファンタジー世界にするのが無難なのよ。ジムの話を聞く限り、そのイメージが一番彼らの世界に近いみたいだし」
「ジム?」
「メーなんたらトンのことよ。とうとう愛称を受け入れさせたわ。歩きながら話さない?」
確かにここ――クラスの入り口――では、どうにも人の目が気になる。真仁はカラシノの言葉に従うことにした。早足で自分の席までとって返して鞄を取ってくる。
「羊がいいと思うのよね、毛織物を作れる人もいるって言ってるし、食料用にも利用できるし」
真仁が戻ってきた途端、話を先に進めるカラシノ。真仁はそれを無視するように、足を図書室に向けると先に立って歩き出した。するとそれに構わずカラシノが背中に話しかけてくる。
「あと牛乳に卵。小麦もいるわね。あと塩とか胡椒……しまった香辛料はどうしよう」
忌々しいことに、カラシノが何を考えていて、何を“しまった”と思っているのか、真仁には手に取るようにわかる。
「……一つ尋ねたいんだが、どうしてそこまで熱心なんだ? 巻き込んでしまった僕が言うのも筋違いだとはわかっているが、どうにも不思議だ」
「不思議なら、理由を考えてみたら?」
挑戦的に返してくるカラシノの言葉に、真仁は思わず納得していた。確かにその努力を放棄していたことに気付かされる。
「それを置いておいてもさ、用意した資料に罪はないでしょ。で、それを読むのもマジン君好きでしょ。口が横に広がってるもの」
真仁はまた言葉に詰まる。その通りだったからだ。
「で、その知識を使ってマジン界に物を増やすの。カロリーは使うかも知れないけど、中の人はもの凄く喜ぶわよ。君がどれほど感謝されてるか、もっと私に文才があれば!」
多すぎる突っ込みどころを無視すれば、人から感謝される行為をするのは気持ちが悪かろうはずはない。しかも――
「カロリーは私の家で補充できるし、そこで肉を食べれば色んな肉の味のデータを手に入れることも出来るでしょ。で、私はその見返りにマジン界で遊ばせてもらう。八方丸く収まって、どっこも問題なし」
気付きたくなかった結論に、カラシノが辿り着いてしまった。真仁が敬愛する大軍師の言葉「世の中は法と理論」に因ると、この異常な状況を受け入れざるを得なくなってしまう。
さらにイライラするのは、このカラシノが提案する流れをどうやら気に入っている自分がいるという事だ。
法も理論もそっちのけでだ。
「――家に連絡を入れてくる。夕飯はいらないと。さすがに肉を食べたあとに夕飯までは入りそうもない」
「あっはっは」
カラシノは笑い声は、二人の新しい関係の始まりだった。
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