第15話
五月も後半に差し掛かると、雨が多くなってきた。
大陸の沿岸部以外で『梅雨』がある国は限られるらしい。広大なレガシー河と季節風の関係で、ソール王国にも同等の雨季があった。
この時期、メイドたちは毎朝のように天候に一喜一憂する。
「これでは洗濯物が……」
ソールの城下では今朝も雨がしとしとと降っていた。
湿気のせいで髪が乱れ、モニカ王女も不快感を滲ませる。
「夏は夏で面倒なのよね。日焼け対策しないと、お母様がうるさいし……」
「そういえば、ジェラール様は最近、エリザベート様のもとに通っておられるとか」
父が即位の前に崩御したため、母は妃にも太后にもなれなかった。そのうえ、子どもに男子が生まれなかったことで、権限はないに等しい。わざわざジェラールが取り入るほどの相手ではなかった。
「お母様とジェラールでどんな話をするっていうの?」
「ご趣味が合うそうで……セニア様もご一緒でいらっしゃいます」
妹のセニアに続き、母もジェラールの外面に騙されている可能性は高い。
妹と母がジェラールの味方となっては、ますます彼を拒絶するのが難しくなる。用意周到に事を進めるジェラールの性格からして、それこそが狙いだろう。
アンナが恐る恐るといった調子で尋ねてきた。
「モニカ様、その……ジェラール様とは結局のところ、どうなのですか?」
「あなたまで勘違いしないで。向こうが勝手に盛りあがってるだけで、本当に恋人なんかじゃないから」
「は、はあ。わかりました……」
生真面目なメイドの疑惑も当然のこと。この一週間のうちにモニカは彼女を連れ、二度も例のランジェリーショップを訪れていた。
『可愛い下着を揃えておけ。いつ脱がせてもいいように、な』
近いうちに彼はまたモニカを辱めるに違いない。そうとわかっていても、サジタリオ帝国の王子に逆らえる道理などなかった。
「さてと……そろそろ会議の時間ね。気乗りはしないけど」
「行ってらっしゃいませ」
朝の片付けはメイドに任せて、部屋を出る。
そこでモニカはジェラールお抱え剣士、セリアスと出くわした。
「……あなたねえ。ジェラールにも言ったけど、ここは男子禁制なの」
「ああ。だから、ここで待っていた」
会話は少しも噛みあわず、頭が痛くなってくる。
セリアスは周囲に気を配りつつ、声のトーンを落とした。
「聞きたいことがある。ソールの騎士伝説について、なんだが」
「それなら、図書館に文献だってあるわよ」
「いいや。王家にのみ伝えられてきた、何かしらの口承があるはずなんだ」
はっとして、モニカは剣士の推測に息を飲む。
「……どうして?」
「レオン王を幽閉したのは、そういった理由があってのことだろう」
幽閉と聞き、思わず大声をあげそうになった。
「あ、あなたは一体……ひょっとして、お爺様は生きてるの?」
「落ち着け。お前は質問に答えてくれれば、それでいい」
彼が『男子禁制だからこそ、ここで待っていた』と言った理由もわかる。このような話をほかの誰かに聞かれてはまずかった。
セリアスの言葉が本当なら、祖父はどこかで生きている。レオン王が帰還を果たせば、ソール王国は本来の権威を取り戻すことも叶うだろう。
ブリジットを締めあげたこともある剣士を、信用しようとは思わない。それでも一縷の望みを懸け、モニカはセリアスにソール王家の秘密を打ち明けた。
「古代王の封印にも、軍神の復活にも、王族の血が必要だって聞いたわ」
「……封印だと?」
「ええ。それを強化することが、国王に就任するための条件なの。そして、万が一にも封印が破られたら、かの軍神を目覚めさせること……」
ソール王国には忌まわしい呪いの歴史がある。
二百年ほど前、時の王は悪魔と契約し、暴君と化した。いたずらに民を苦しめながら、侵略戦争を繰り広げ、現在のサジタリオ帝国領の一部をも支配下に置いたという。
だが、ひとりの勇敢な騎士が精霊たちの力を借り、暴君へと立ち向かった。彼は聖なる鎧を身にまとい、『軍神ソール』となった。
「本当かどうかはわからないけど」
セリアスが眉を顰める。
「軍神の力で古代王とやらを完全には倒せなかったのか?」
「どうかしら……そういえば、そんなふうに考えたことはないわね」
とはいえ、これは昔話。実際の出来事がモチーフになっているにしても、英雄譚らしく脚色されている可能性があった。
セリアスの双眸がモニカ王女を見据える。
「王家の血に秘密があるわけだな。……わかった」
「ちょっと? あなた」
「安心しろ、誰にも話さん」
こちらの話は終わっていないにもかかわらず、彼は早々に踵を返してしまった。
お爺様が幽閉って……どういうこと?
セリアスの動向が気になる。用心棒の彼がジェラールの指示もなしに単独で動いているとは、思えなかった。
ソール王国では今、帝国の干渉とは別に陰謀が渦巻いている。
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