第38話

 やがて夜も更けてきた。騎士団の面々は見張りを交替し、夜通しでソール城の守りを固めている。だが彼らは隠し通路の存在を知らない。

 母の部屋を訪れていたモニカ王女が、メイドたちとともに離宮から出てくる。

「お部屋までお送りいたします。モニカ様」

「え、ええ……」

 王女は終始俯きながら、しずしずと離宮を離れていった。

 その様子を『本物』のモニカは母の部屋から見送る。アンナを替え玉とする作戦は、ひとまず成功したようだった。当然、これは母の協力があってこそ。

「騎士団もそうだけど、あなたも大それたことをするようになったわね、モニカ」

「ほかに方法もないんだもの。ごめんなさい、お母様」

 寝台の下には正方形の入り口があった。城の要所にはこのような経路が存在し、外まで続いている。母の部屋は離宮の一階にあるため、地下牢とも近かった。

 普段は国政に関心がないはずの母が、娘に親書を持たせてくれる。

「私の名では大して役には立たないでしょうけど……地方まで逃げのびたら、これを領主にお見せなさい。お義父様の件についても記してあります」

「お母様? まさか……」

「レオン陛下は幽閉されているのでしょう?」

 モニカは驚きつつも母を見上げた。陰謀について、初めて母が口を開く。

「よく聞きなさい。私の夫……あなたの父は殺されたの。そして、お義父様はその事実を突き止めたために拉致されてしまったわ」

「お父様が殺された、って……お母様はすべてをご存知で……?」

「犯人の目星もついてるわ。ジェラールには話したのだけど」

 ジェラールが母の部屋に足しげく通っていたのは、このためかもしれなかった。

 母がモニカの肩を掴んで、今までになく語気を強める。

「私だって王族の端くれなのよ。お城のことは私に任せて、逃げなさい」

「……お母様!」

 これほど頼りになる女性だとは知らなかった。モニカは抱擁を深め、母に誓う。

「ジェラールもお爺様も必ず助け出してみせるわ」

「その意気よ。さあ、行きなさい」

 母とモニカのほかには誰も知ることのない隠し通路が、ついに開いた。

モニカはカンテラを掲げ、古い階段を慎重に降りていく。

 この先にジェラールが……。

 暗闇の中、モニカの脳裏では母の言葉が何度も繰り返されていた。

『よく聞きなさい。私の夫……あなたの父は殺されたの。そして、お義父様はその事実を突き止めたために拉致されてしまったわ』

 敵はジェラールの介入に焦り、モニカ王女に刺客まで差し向けている。水面下で計画を進めていたにしては、目に見えてぼろが出始めていた。

 この先にはきっと真実がある。

 王国はあたしが救ってみせるわ。必ず……!

 決意を胸にモニカは細長い通路を抜け、いくつかの仕掛け扉をくぐった。王族が手をかざすことでのみ扉は開き、地下で冷えきった空気に迎えられる。

 途中の壁には文字が刻まれていた。

『ここより脱出するような事態に陥ったのなら、軍神ソールとなりうる勇士を探せ』

 カンテラを近づけながら、モニカは謎めいたメッセージに息を飲む。

「……剣士を、探せ?」

 何代も前のソール家が書き残したのだろう。軍神ソールを復活させろというのなら理解できるが、軍神となりうる勇士、というフレーズが引っ掛かる。

 やがて地下牢へと辿り着いた。息を潜めつつ、慎重に隠し扉を開ける。

 さあ行くわよ。ジェラールはどこに……?

 地下牢は暗いためか、見張りの騎士は階段の上のほうで陣取っていた。この隙にモニカは王族専用の魔法の鍵(マスターキー)で牢から牢を抜け、彼のもとへと急ぐ。

 暗闇の中、ジェラールは粗末な寝台で暢気に寛いでいた。

「ジェラール」

「……? ひょっとして、モニカかい?」

「大きな声は出さないで」

 その応答ひとつで、彼のほうも事情を察したらしい。カンテラの灯かりが漏れないように注意しながら、ジェラールが布団を丸め、それに上着を被せる。

「こうしておけば、ちょっとは時間稼ぎになるさ」

「ばれちゃうでしょ、こんなの」

「これだけ暗いんだ。あとは落ち込むポーズをさせて……よし、行こう」

 騎士らに勘付かれないうちに、ふたりは地下牢を脱出した。隠し通路にさえ入ってしまえば、追っ手の心配もない。

「騎士団に酷いことされなかった?」

「ずっと閉じ込められてただけだよ。ちゃんと食事も出た。ブリジットに罵詈雑言を浴びせてもらえるかと、期待はしてたんだけどね」

「……変態」

 帝国の王子様は相変わらずのマイペースで、安心した。おかげで気を遣わず、よいとはいえない今の状況も伝えられる。

「あなたが国境に出張ってた間に、セリアスが行方不明になっちゃったのよ。あたしを助けるために、刺客と戦って……もう三日は経つわ」

「なんだって? ……まあ、あいつなら無事だとは思うが」

 城からはかなり離れたはずで、足も疲れてきた。小さな照明だけを頼りに不慣れな道を進むせいか、倍の距離を歩いた気がする。

「この上で休めるはずよ」

「ふう……よかった。このまま河まで歩かされるのかと」

 地下通路の上は小さな教会だった。城下の一角にあり、神父や尼がいないにもかかわらず、清潔に保たれている。普段は民が集会などで使っているらしい。

「ソールでも聖人像は撤去されてるんだなあ」

「うちには軍神ソールがいるんだもの」

 それだけの場所のはずが、窓際の一室には大きめのベッドが置いてあった。ムーディーなルームランプまであり、外は真夜中でも、部屋の中は淡いピンク色に染まる。

 ジェラールがにやりと笑みを噛んだ。

「なぁるほど……ここはカップルのためのお手頃なベッドルームというわけだ。もしかして、おれを誘うつもりで連れてきたのかな? きみは」

「え? ……ち、違うったら!」

 あらぬ疑いを掛けられ、モニカは否定の言葉に力を込める。

「誤解しないで? あたしだって、こんなふうになってるなんて……」

「いいじゃないか。おれときみは男と女。……いや、ご主人様と奴隷だったか」

 抵抗する間もなく抱きすくめられてしまった。彼の顔が一気に近くなって、瞳の中まで覗き込まれる。同時にモニカも彼の瞳を覗き込んだ。

「おれはだめなやつだよ。きみが危険な目が遭ってるとも知らないで、身勝手に嫉妬したりして……そのくせ、今もきみを抱きたいと思ってるんだからさ」

 抱きたい――その言葉にとくんと胸が高鳴る。

 不思議ともう嫌ではなかった。ただ心の準備はできておらず、尻込みする。

「だ、だめよ。今はそんな場合じゃ……」

「わかってる。それにおれだって、きみを抱く覚悟はできてないんだ。……男にとっても勇気がいることなんだよ? 女性を抱くのは」

 ジェラールの手は弱く震えていた。

「だから、今夜は『予約』だけさせてくれ。モニカ」

 その割に抱き締める力は強く、簡単にベッドへと押し倒される。

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