第11話
「なんだい? これ」
「軍神ソールが剣で斬った跡……らしいの」
ソール王国の騎士伝説にはクライマックスで軍神が登場した。それこそが国名の由来ともなった『ソール』であり、今なお王国の守り手として崇められている。
軍神ソールは巨大な騎士鎧の姿で描かれることが多かった。その全長は優に十三メートルを超え、一撃で大地を裂いたという。
その裂け目が伝説のひとつとして、ここに残っていた。
ジェラールはあとずさり、苦笑いを浮かべる。
「確かに自然にできた傷じゃないね。軍神ソールか……ちょっと怖いな」
「怖い? 王国の男の子だったら、一度は憧れるのが普通よ」
モニカのほうは裂け目の傍に留まり、肩を竦めた。
古代王を打ち倒し、王国を救った英雄。ソールの民なら、それを畏怖することはあっても、いたずらに恐怖することはない。
「にしても、本当にすごいね。渡るのに橋がいるわけだ」
「城下の外まで行けば、柵もないのよ。剥き出しになってるわ」
ジェラールのまなざしは裂け目を越え、青空の遥か向こうまで飛んだ。
「軍神ソールと古代王、か……。実際のところ、悪者はどっちだったんだろうね」
疑問めいた囁きにモニカは目を白黒させる。
「古代王が悪者に決まってるじゃない」
「ソールの騎士伝説を貶めるつもりはないんだよ。歴史の勝者が敗者を『悪者』として扱うことは、帝国の歴史にも見られるからさ」
かつて教会勢力が絶対的な力を有していた時代、その支配圏において彼らは土着の信仰を『悪魔崇拝』と決めつけ、淘汰した。そこまで過激ではないものの、サジタリオ帝国もあちこちで文言を統制し、価値観をすり替えようとしている。
そのようなことを、帝国の第二王子が口にするとは思わなかった。
「……ジェラール?」
「ああ、ごめん。せっかくのデートなのにすまなかったね」
「デートじゃないんだけど」
彼の冗談に呆れ、モニカは肩を竦める。
王国の名所を眺めつつ、ふたりは次こそ洋服店へ向かった。
「服が欲しいんだったわね」
「ああ。頼むよ」
ソール王国には騎士伝説が根付いていることもあって、貴族向けの紳士服には規律を重んじ、整然とした意匠のものが多い。
「夏物にしても、これはちょっと暑いんじゃないか?」
「生地が違うのよ。ほら、薄いでしょ」
襟元を詰めるメンズにしろ、コルセットを締めるレディースにしろ、寒暖は二の次になっている印象はあった。女性にタイツがあれば、男性にはマントがある。
「どうせならソール王国流に決めたいなあ」
「……あなたが?」
ジェラールは気の赴くままに試着を繰り返した。端正な顔立ちと背の高さも相まって、何を着ても絵になってしまう。
姿見の中でも美男子は小粋に微笑んでいた。
「お似合いですよぉ、お客様」
「うん、いいね! これにするよ。……ああ、このまま着て帰ろうかな」
「でしたら、先ほどのお召し物はこちらに入れておきますね」
ミーハーな店員にも乗せられ、ジェラールは装いを新たに歩き出す。
「こうなってくると、靴も欲しいな」
「贅沢なひとね」
「いいじゃないか。今日は付き合ってくれたお礼に、きみにもプレゼントするからさ」
「え? あ、あたしは別にそんなつもりじゃ……」
文句をつけるふりをして、おねだりしたつもりはなかった。それに幼馴染みのアンナに選んでもらうのならまだしも、ジェラールのセンスは今ひとつ信用できない。
「おっ、いい店があるじゃないか。さあ」
「ち、ちょっと待……」
その店を前にして、モニカは唖然してしまった。
ジェラールに勧められたのは、まさかのランジェリーショップ。ところが男子禁制にもかかわらず、ジェラールは平然と店内へと足を踏み入れる。
「いらっしゃいま、せぇ……?」
女性店員も男性の来店に驚き、顔を引き攣らせた。
むしろ女性のモニカのほうが尻込みしつつ、ジェラールの袖を引く。
「ちょ、ちょっと! 何考えてるのよ?」
「きみにはおれが選んだ下着を着けて欲しいからね。……だめなのかい?」
男性が女性に好みの下着を着用させる――その意味するところはモニカも察した。
ブラジャーやショーツには下着としての機能のほか、パートナーとの『夜』にも役割が求められる。
「い、いらないってば。こういうのは普通、自分で……」
「おや? 自分の立場を忘れたのかな、モニカ」
ジェラールはモニカの髪を撫で、やんわりと言い聞かせた。
「これでも本国からは『早く結果を示せ』と急かされてるんだよ。きみがおれに話を合わせてくれるなら、おれも穏便に済ませられるんだが」
彼には便宜を図ってもらっている以上、モニカ王女に拒否権はない。
サジタリオ帝国が侵略目的でソール王国に軍を派兵してきたのは、自明の理。こちらはおめおめと駐屯を許し、騎士団の主導権まで握られてしまった。
このまま支配下に組み込まれるも、独立を保てるも、ジェラールの胸ひとつだった。
「きみはおれの言う通りにするんだ。いいね?」
「……わ、わかったわ……」
店員らは客がモニカ王女であったことにも驚いたが、次第に警戒を解き、ジェラールを受け入れる。ここで彼氏が彼女の下着を選ぶことは、割とあるのだろう。
しかも今回の客は王女のモニカ。店員としては面白いに違いない。
「ご安心くださいませ、モニカ様。このことは他言しませんので……うふふ」
「あたしは別にそんなつもりじゃ……」
モニカ本人は口ごもるしかないのをよそに、ジェラールは恋人のための下着を物色していた。とりわけ白やピンクに興味があるらしい。
「ドレスに遜色がないくらい、もっと派手なやつはないかな」
「それでしたら、こちらに」
試着に応じずとも、モニカの胸元にはさまざまなブラジャーが当てられた。姿見の前でモニカは立ち竦み、破廉恥なデザインの応酬に息を飲む。
(こんなものまで穿かせるつもり?)
サイドを紐で結ぶショーツなど、信じられなかった。
「これにしようか、モニカ」
「……本気で言ってるの? あなた」
結局、ジェラールの希望通りに買う羽目となる。
「次の夜が楽しみだよ」
「~~~っ!」
いけしゃあしゃあと主導権を握られ、モニカの小顔は赤々と染まった。
一国の姫君が隣国の王子に脅迫され、艶めかしい下着の着用を強要されたのだから。それはモニカにとって屈辱にほかならない。
(やっぱり最低だわ、このひと!)
わざわざ彼を案内してやったことを、怒りとともに後悔する。
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