第30話

 リゾートを終え、城に戻ってからというもの、忙しい日々が続く。

 休暇のために滞っていた分もあり、今日も補佐官のクリムトがてきぱきと書類を捌いていた。モニカ王女はデスクに掛け、似たような内容の報告書や指令書に目を通す。

「はあ……」

「浮かない顔ですね。どうかしましたか?」

「あ、ううん。……セニアは元気にしてるかなあ、って」

 クリムトに勘付かれたくなくて、咄嗟に嘘をついてしまった。そのために、妹のことを忘れていた自分の愚かしさにも気付き、自己嫌悪に陥ってしまう。

「心配いりませんよ。ちょくちょくお手紙も来てることですし。この機会に近隣諸国の文化を学ばれるのもよいかと」

「帝国風のバレエが気に入ったみたいね、あの子」

 サジタリオ帝国は東と南の戦線で手がいっぱいなのか、ソール王国への圧力を弱めつつあった。それでも城下の一角には帝国軍が常駐し、ジェラールの指令を仰いでいる。大使館の中で自粛する気は更々ないらしい。

「帝国の戦争は今、どうなの?」

 クリムトは眼鏡を押さえ、溜息を漏らした。

「勝つにしましても、落としどころを探してるのではないでしょうか。サジェッカで連合を破った時は、僕も終わるものと思いましたが、あれからもう二年ですし」

「……長いわね」

 サジタリオ帝国が最新鋭の大砲をひっさげ、ことごとく敵を撃破したことは想像に難くない。帝国は兵器の運用に長け、また軍の統制も取れていた。

 ああいう国だから、王子もタチが悪いのよ……。

 間違っても公の場では口にできないレベルの愚痴が、脳裏をよぎる。

 戦争さえ終われば、帝国との関係も修復していけるだろう。とにかく帝国軍を引きさがらせないことには、ソール王国に未来はない。

 同時に敵は帝国だけではなかった。依然としてレオン王の行方は掴めず、ソール王国は若き王女が国王代理を務めるという、不安定な状態にある。

 しかしモニカの気分が乗らない原因は、まったく別にあった。

 どうしてジェラールはあんなに怒ったのかしら?

 最近は寝ても覚めても彼のことばかり考えている。

 ジェラールはモニカに『おれのものになれ』と強要し、モニカはそれを承諾した。モニカひとりが辱めに耐えることで、ソール王国の独立は現に保証されている。

 そのはずが、モニカのほうから一線を越えようとすると、彼は急に頑なになった。

 モニカにしても、あのまま『ご奉仕』を続行できたとは思えない。

 なんだか嫌だわ、あたし……いやらしいことに興味があるみたいで……。

 まさかクリムトに聞くわけにもいかず、悶々とする。

 やがて今日の政務を終え、モニカは席を立った。ところが、アンナではないメイドのひとりから、妙な伝言を伝えられる。

「……え? 夕食のあとは遊戯室へ?」

「はい。ジェラール様が是非、姫様にご覧いただきたいと」

 あれからというもの、彼がモニカを求め、部屋に現れることもなかった。食事も別で済ませて、モニカとは距離を取っている。

 それを関係の悪化と疑う声も出始めていた。とりわけ親帝国派にとって、モニカとジェラールの縁談は降って湧いた吉報であり、大いに期待が寄せられている。

「わかったわ。すぐに行くからと伝えておいて」

「承知致しました。それから……ジェラール様より、今夜のお召し物にはこれを、と」

 ドレスにしては小さな包みを渡され、モニカは目を白黒させた。

「なんなの? これ」

「恐れながら、私は存じません」

 ひょっとしたら新しい下着かもしれない。無論、モニカに拒否権などなかった。

 アンナが見当たらないのを不思議に思いつつ、夕食のあと、モニカは部屋で問題の包みを開ける。そして、悪趣味を通り越した『それ』に口角を引き攣らせた。

「こっ、これを着ろ……ですってえ?」

 ジェラールの発想には呆れ果て、開いた口が塞がらない。


                  ☆


 ソール城の遊戯室は父が娯楽のために設けた、いわば『自分だけの遊び場』だった。大人びた雰囲気の一室で、ビリヤードやダーツといったゲームを一通り揃えている。

 ソファとは別にカウンターの席もあり、さながらアダルティックなナイトクラブの様相を呈していた。ピアノが部屋の格式を高め、娯楽にも品格を与える。

それを悠々とかき鳴らすのはジェラールだった。その手が鍵盤を撫でるだけで、美しい旋律が響き渡る。

「ようこそ、モニカ。きみはおれを待たせるのが上手だね」

「お、遅れたつもりはないんだけど……」

 父の遊戯室はジェラールによって改装されたとはいえ、原形を保っていた。四、五人でも寛げるように大きなソファを置き、あとはゲームを増やしたくらいだろう。

「本当はボーリング用のレーンも欲しかったんだけど、あんまり勝手に弄っちゃ、きみのお父上に申し訳ないからさ」

「大砲の弾を転がす、帝国のアレね」

「……どうしたんだい? おれは仲直りのつもりで呼んだのに、冷たいじゃないか」

 モニカは赤面しつつ、被せていただけのドレスを剥がす。

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