第8話

 サジタリオ帝国による圧政は、支配下の国々に容赦しない。帝国の民でない限り、ひとびとは自由を奪われ、労働の奉仕を強いられる。

 すでにいくつかの小国が帝国に屈服し、民も風土もないがしろにされていた。

 服従か、さもなくば死か。――徹底抗戦の末に敗れた南方の国家は、ありとあらゆる権利をはく奪され、それこそ奴隷のような日々を送っているという。

 それだけの軍事力がサジタリオ帝国にはあった。戦争になれば、古めかしい決闘の作法しか知らないソール王国に勝ち目はない。

 ただ、帝国の王子ジェラールはモニカ王女にある交渉を持ちかけた。

 きみのすべてをおれに差し出せ。そうすれば、ソールの民の自由は保証してやる。

これをモニカが受け入れたのは、一週間ほど前のこと。ジェラールは今なおソール城に居座り、気ままに過ごしていた。

「楽しかったわ、ジェラール。また誘ってね」

「もちろん」

今日も彼は第二王女のセニアと遊んでいたらしい。セニアは姉のモニカを見つけ、幼い顔立ちの頬を膨らませる。

「んもうっ。お姉様がお忙しいっていうから、わたくしが代わりにジェラールと遊んであげてるのよ? ソールの城下を案内してあげるんじゃなかったの?」

「そ、そのつもりだってば。仕事が一段落したら……」

「そればっかり。お姉様もちゃんと帝国の王子様をおもてなししなくっちゃ」

十一歳のセニアには、まだソール王国とサジタリオ帝国の力関係が実感できないのだろう。ジェラールを警戒せず、遊び相手として重宝している。

「セニアの言う通りだよ。おれはきみに頼んだはずなのに、ねえ……」

「……わかってるから。急かさないで」

 ジェラールの狙いは読めていた。いつまでもモニカが頑なでいるようなら、彼はいたいけなセニアをも毒牙に掛けるつもりかもしれない。

「お部屋に戻りなさい、セニア。あたしはジェラールと話があるの」

「はぁーい」

 仲間外れにされ、セニアは口を尖らせながらも踵を返した。

 ジェラールが当然のようにモニカの肩へと腕をまわす。

「きみも少しは彼女を見習うことだ。健気でいい子じゃないか」

「……わかったふうに言わないで」

 妹がジェラールに懐くのも、無理はなかった。母親は趣味に興じるばかりで、セニアはほとんど相手にしてもらえない。モニカが国王代理に就任してからは、ますますひとりぼっちでいる時間が多くなった。

 そんな彼女にとって、ジェラールは父か兄の代わりなのだろう。

「あの子は帝国のバレエに興味があるようだよ。大きな劇場もあるからね」

「初耳だわ。そんなこと」

「賢い子なんだよ。王女としての分別があるのさ」

 姉のモニカには話さないようなことも、ジェラールには打ち明けるようだった。悔しいが、妹のセニアはすっかりジェラールに油断しきっている。

 今日も少し離れたところに例の用心棒、セリアスが控えていた。彼はジェラールではなくモニカの傍につき、何やら目を光らせている。

「ねえ、ジェラール。彼は……?」

「気にしないでくれ。きみに迷惑を掛けるつもりはないからさ」

 盗賊団を一夜のうちに壊滅させた、凄腕の剣士。彼がいる限り、ジェラールに手を出すような真似はできなかった。

「きみの部下の彼女……ブリジットも、なかなかの使い手だとは思うけどね」

「ブリジットは怒ってるのよ? あなたのせいで……」

 モニカは渋々、ジェラールとともに騎士団の様子を見に行く。


 ソールの王国騎士団はジェラールの介入により、再編成を余儀なくされた。シグムントは引退を強いられ、団長にはブリジットが据えられる。

 弱冠どころか成人もしていない、十八の女性騎士を団長にしたのだ。いかに彼女が名門の出身とはいえ、騎士団には動揺が広がった。

 この週末には早くも新団長の就任式を控えている。

 訓練場ではブリジットの指揮のもと、砲撃の訓練がおこなわれていた。

「モニカ様! ……と、お前は……」

「ご挨拶だね、ブリジット団長。昇進したんだ、もっと喜べばいいじゃないか」

 これまでであれば、王国騎士団は剣術や弓の練習に励んでいるはず。しかしジェラールの干渉を受け、帝国製の大砲技術を学ばなくてはならなかった。

 ブリジットにとってはそれが不満らしい。

「こんな砲など使っても、いたずらに戦火を広げるのみだ。我が身を使わない戦いなど、あってはならないというのに……」

「まだ言ってるのかい? 時代錯誤なんだよ、きみのプライドは」

「ふん、好きに言え。わたしは信念を曲げるつもりはない」

 ほかの騎士らもブリジットに賛同し、ジェラールには反感を隠さなかった。モニカは王女として、彼女らの意を汲みつつ、傲慢なジェラールに釘を刺しておく。

「言ったはずよ、ジェラール。挑発は慎んでって」

「そうだったね。僕としては、挑発したつもりじゃないんだが……」

 ブリジットの鋭い視線を背にしながらも、ジェラールはモニカを抱き寄せた。

「きゃっ?」

「き、貴様! モニカ様に無礼な真似は……」

 ブリジットは俄かに声を荒らげ、騎士たちも一様に身構える。

 それでもジェラールは平然としていた。

「なんだい? 団長殿」

 モニカも彼の手を振り払ったりせず、ブリジットをやんわりと遠ざける。

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