第9話
「心配しないで。女性には誰にでもこんな調子なのよ、ジェラールは」
「で、ですが……限度というものが」
サジタリオ帝国の王子がソール王国の王女の肩を抱いているのだから、それは明白なアピールとなった。ブリジットは口惜しそうに唇を噛む。
「どこまでもわれわれを馬鹿にして……この屈辱、忘れはせんぞ」
「やれやれ、強情な騎士サマだ」
その後もジェラールはモニカを離さず、騎士団の訓練ぶりを眺めてまわった。
大砲の運用には皆、四苦八苦している。そもそもソールの王国騎士団は『火攻め』を嫌うため、火の扱いには慣れていなかった。
ジェラールがモニカにだけ聞こえるように囁く。
「ブリジットの言うこともわかるんだよ。ナンセンスなのは兵器のほうさ」
「……どうしたの、急に」
「敵に剣を突き刺して殺すのと、遠くから大砲を当てて殺すのと……どっちのほうが楽にこなせるかって話でね。きみはどう思う?」
戦場で繰り広げられるのは、言ってしまえば『ひと殺し』だった。先日捕獲された黒金旅団にしても、メンバーの数名は帝国軍に殺されている。
「大砲のほうが楽でしょうね」
「そうだ。相手が見えないところで死んでくれれば、命を奪ったと考えずに済む」
ジェラールの言葉には自嘲が含められていた。
「責任を感じずに済む……だから、勝利に酔いしれるのさ」
ほかでもないサジタリオ帝国のことを憂いているのかもしれない。
帝国は数々の近代兵器を投入し、獅子奮迅の進撃を続けていた。勝利のたびに帝国貴族が祝杯をあげ、サジタリオの輝かしい未来を賛美しているのは、想像に難くない。
飽くなき野望は次の勝利を欲し、兵を走らせることだろう。
「そんな気分だけの勝者が歴史を作るなんて、傲慢だね。実際、戦後の歴史を作るのは、戦時中は敗者だった国だったりするじゃないか」
初めて彼の言葉に感心してしまった。
「……どうかしらね」
モニカは答えず、そっぽを向いてはぐらかす。
幼馴染みのクリムトも言うように、戦後の立ち位置こそ肝要なら、ソール王国は決してサジタリオ帝国に屈したわけではなかった。本当の勝者はいずれ歴史が決める。
あたしの警戒を解きたくて、こんなことを……?
ジェラールという男のことが、わからなくなってきた。
半ばクリムトに政務室から追い出される形で、木曜の午後が空く。
「今日はお休みくださいと申しあげたはずです、モニカ様」
「そうは言っても、こんな時に……」
「こんな時だからこそ、ですよ。あなたにパンクされたら、王国はおしまいですから」
この怜悧な補佐官に下手な言い訳は通用しなかった。モニカは午後の仕事を諦め、政務室のドアを閉ざす。
まあ確かに……詰めっ放しだったものね。
私室に戻ると、ちょうどメイドのアンナが衣類の衣替えを進めていた。
「あら? 姫様、ご政務はどうされたのです?」
「お休みになったのよ。働き詰めだからって、クリムトがね」
ソール王国は風向きとレガシー河の関係で、夏は長いうえに高温多湿となる。祖父が健在だった頃はレガシー河の畔にある別荘で、アンナたちと過ごすのが恒例だった。
「クリムト様の仰る通りですよ。姫様もたまには息抜きなさいませんと」
「ええ。午後はちょっと出掛けるわ」
アンナにも促され、モニカは外出用の軽いドレスに着替える。
モニカとしては青や紫でシックに決めたいのだが、アンナにはピンクを勧められた。どうにも童顔なのがいけない。
「こういうドレスを着ないのよね、ブリジットが……」
「うふふっ。ブリジット様も恋をなされば、お召しになりますわ」
「……恋、ねえ」
我ながら情けない気持ちになってきた。
モニカにしろ、アンナにしろ、ブリジットにしろ、年頃の女子にもかかわらず色っぽい話のひとつもない。同い年のクリムトにしても、それらしい噂は聞かなかった。
「去年はお爺様がいなくなって、ばたばたしちゃってたけど……今年の夏こそ、みんなでバカンスに行くのってどうかしら? アンナ」
「賛成です! また一緒にブリジット様の水着を買いに行きましょう」
「外で着せるのは骨が折れそうね」
アンナと一緒にクローゼットの中身を整理していると、ノックの音がする。
「少々お待ちくださいませ。……お、王太子殿下っ?」
メイドのアンナはしずしずと迎えに出て、驚きの声をあげた。
サジタリオ帝国の王子がやってきたらしい。半分ほど開いた扉の向こうから、ジェラールの口説き文句が聞こえてくる。
「王太子殿下だなんて堅苦しい呼び方はよしてくれ。モニカの侍女なら、きみもおれのことは『ジェラール』で構わないさ。ええと、きみは……」
「失礼致しました。わたくしはモニカ様の側勤めをしております、アンナと申します。ただいま、モニカ様をお呼びして参りますので」
聡明なアンナは靡いたりせず、一度は扉を閉ざした。
「モニカ様、ジェラール様がいらっしゃいました。いかがなさいますか?」
「そうね……」
ジェラールが軍事力を誇示し、ソール王国に圧力を掛けていることは、もはや周知の事実となっている。モニカの部下として当然、アンナも彼を警戒した。
(行動が早いわね。地獄耳ってやつかしら)
どこかで王女の政務が休みになったと聞きつけたのだろう。午後の自由がなくなったのを悟り、モニカは嘆息する。
「ここで追い返しても、体裁が悪いでしょうし。……はあ、しょうがないわね」
「念のため、ブリジット様もお連れになっては?」
「またジェラールと喧嘩になるから、やめておくわ。ブリジットには何も話さないで」
渋々モニカは部屋を出て、ジェラールと顔を会わせた。
ジェラールがさも涼しげにはにかむ。
「やあ、モニカ。午後は休みなんだろ? 今日こそ相手してくれないか」
「……わかったわ。お昼も城下で食べましょ」
廊下にはセリアスも控えていたが、無言のまま背を向け、行ってしまった。
「相変わらずね、彼は」
「セリアスのことが気になるのかい?」
「そういうわけじゃ……こっちよ、ついてきて」
メイドのアンナは部屋の前で姿勢を正し、モニカたちを見送る流れに。
(頼んだわよ、アンナ。大した成果は得られないでしょうけど)
(了解しました。お任せください)
これはチャンスでもあった。城からジェラールを遠ざけ、帝国軍の動向を探る。モニカの密偵もこなす彼女なら、上手くやってくれるに違いない。
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