第4話

 ジェラールが『粗末な客間では満足できない』と駄々を捏ねるため、離宮の社交場を開放することに。モニカは私室でドレスを替え、ジェラールのもとへ急ぐ。

 そうして始まった、モニカとジェラールの会談。

しかし話し合いは数分のうちに紛糾し、モニカは声を荒らげた。

「帝国軍を城下に常駐ですって? そんなこと、認められるわけないでしょ!」

「そうは言うけどね。ソール王国の防衛力は今、無に等しいじゃないか」

 怒り心頭のモニカに対し、ジェラールは余裕を崩さない。

「現にきみらの王国騎士団は帝国軍に道を空けた。そんなざまでは、こっちだって、いつ後ろから寝首をかかれるとも知れないからねえ」

 あなたがシグムント団長を嵌めたくせに、いけしゃあしゃあと……!

 堪えるほかなかった。モニカはテーブルの下でドレスをぎゅっと握り締める。

 サジタリオ帝国は『ソール王国に反帝国の動きあり』と決めつけ、今回の進軍に至ったという。もちろん、それは単なる言いがかりでしかなかった。

 だが今日の侵攻によって、ソール王国は防衛力の欠如を露呈してしまっている。この一年のうちに、ソール王国はモニカの想像以上に弱体化の一途を辿っていた。

 そこをサジタリオ帝国につけ込まれ、この窮地に至っている。

「何が目的なの? あなたは……」

「そうだなあ。はっきり言っておいたほうが、いいか」

 ジェラールは唇の端を吊りあげ、まじまじとドレス姿のモニカを見詰めた。

「従属……いや、隷属だよ。ぼくがソールに要求するのは、それだ」

「……れ、隷属?」

 つまりはサジタリオ帝国の植民地となること。帝国はソール王国の独立維持を認めず、とうとう強引な手を打ってきた。そして風向きは帝国に味方している。

「国王は不在、娘のきみでは国政もままならない……サジタリオ帝国による『保護』は当然の措置だと思うけどね」

 ソール王国は今しがた民の前で帝国軍を迎え入れてしまった。王国騎士団の名誉は失墜し、今頃は城下に失望感が蔓延していることだろう。

「民も物資もすべて帝国のものにする。そのための進軍さ」

 それをジェラールは臆面もなしに言いきった。

 だが、モニカには反撃するだけの材料がない。国王の不在は本当のことであり、何より騎士団の機能不全は決定的だった。

「王国騎士団の再編成もこちらでおこなう。きみはぼくに従っていればいい」

「そ、そんなこと……!」

 モニカはテーブルに両手を叩きつけ、剣幕を張る。

「ふざけないで! お爺様がいないからって、好き勝手……」

「勝手は承知のうえだよ。ソールの民がどう苦しもうと、おれの知ったことじゃない」

 対し、ジェラールは小憎らしい笑みを浮かべ、ティーカップに口をつけた。

「ただまあ……きみの態度次第かな」

 底意地の悪い言いまわしが、昔の彼とだぶる。

「……あたし次第?」

「そうとも。モニカ、きみがおれのものになるなら、ソールの独立は認めてやる」

 何を言われたのか、すぐには理解できなかった。

「王国の民、全員の身代わりとして、きみがおれの『奴隷』となるのさ」

「……っ!」

 思いもよらない言葉が出てきて、モニカは絶句する。

 奴隷。帝国による植民地支配は、まさしくソールの民を奴隷とするものだった。ところが、ジェラールはモニカさえ従うのなら、ほかは見逃すという。

「あ……あたしをどうするつもり?」

「子どもじゃないんだ、わかるだろう? 男が女にすること、さ」

 ジェラールの瞳が意味深にモニカを見詰め、胸のあたりに熱い視線を注ぎ込む。

 獣にでも睨まれている錯覚がして、鳥肌が立った。モニカは我が身をかき抱きながら、ジェラールに恐る恐る視線を返す。

「……じ、冗談でしょ?」

「本気だよ。おれはきみに首輪を繋いで、飼いたいんだ」

 嫌悪感は膨れあがるどころか、一瞬のうちに爆ぜた。

「冗談じゃないわっ! だ、誰があなたなんかに」

「そう言うと思ったよ。でも抵抗してくれたほうが、おれだって面白い」

「さっさと軍を退いて、帝国に帰ってッ!」

 腹の底から強烈な怒号が弾け、ジェラールを唖然とさせる。

「……モニカ?」

「ふんっ!」

 この十分後、モニカ王女は政務室で頭を抱える羽目となった。


「……まずかったかしら」

 ジェラールに挑発され、大声で怒鳴ってしまったのは、ついさっきのこと。曲がりなりにも帝国の王子を相手に、喧嘩を吹っかけてしまったのだ。

 デスクで突っ伏すしかない王女を、補佐官のクリムトが労ってくれる。

「モニカ様のご意志をはっきりさせておくのも、大事なことですから。……ジェラール様は一体、モニカ様になんと仰ったんですか?」

「どれ……な、なんでもないわ」

 温厚なクリムトにしても、ジェラールがモニカを奴隷にしたがっていると知れば、猛烈に憤慨するだろう。ジェラールの発想にはほとほと反吐が出た。

 何様のつもりよ、奴隷って! あたしに首輪を繋いで飼いたい、ですって……?

 想像するだけで、身体じゅうに怖気が走る。

 幸い、帝国軍が城へと雪崩れ込んでくるような気配はなかった。サジタリオ帝国にしても、実力行使で城を制圧しては、民の反感を買うだけと踏んでいるらしい。

「なんとかジェラールを言い包めて、帝国に追い返さなくちゃ……」

「それはそれで難しいとは思いますけど」

 ソール王国は絶体絶命の窮地に立たされている。しかし聡明な補佐官は、らしくもない腕組みのポーズを取り、カーテンの陰から窓の外を眺めた。

 ソールの王城はサジタリオ帝国の旗に囲まれている。

「もしかすると……帝国のほうで何か動きがあったのかもしれませんね」

「どういうこと?」

 モニカも声のトーンを落とし、クリムトの言葉に耳を傾けた。

「サジタリオ帝国は余所と、もう五年も戦争を続けてるんですよ。いくら帝国が強大とはいえ、疲弊だってするわけですから」

 これまでの大陸史上においても、『勝てない戦争』ほど損なものはない。かつての教会勢力も遠征で大敗を繰り返し、王さえ諫めたほどの絶大な権威を失った。

 サジタリオ帝国の侵略戦争は五年も経過しているにもかかわらず、まだ収拾の目処が立っていない。これは帝国にとって誤算のはずだった。

 とはいえ帝国の内情は想像でしか語れない。

「もともとジェラール様は兄王子と違って、さほど野心家ではないと聞いています。何か考えがあって、ソール王国に来たのではないでしょうか……?」

「……どうかしら」

 ソール王国にとってサジタリオ帝国はやはり『敵』であり、モニカにはジェラールをフォローする気になどなれなかった。

 奴隷となれ――その言葉を思い出すだけでも、虫唾が走る。

「とにかくモニカ様はお休みになってください。会議は夕食のあとに延ばしますので」

「そうね。さっきから頭に血が昇りっ放しだし……」

 クリムトの配慮もあって、モニカは早々に政務を切りあげ、私室へと戻った。

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