第2話

 クリムトが眼鏡を拭き、掛けなおす。

「そういえば……近々、帝国のジェラール様が花嫁を迎えるそうで」

「……ふぅん」

 適当に聞き流しながら、モニカは書類の残りを数えていた。

「って、上の王子も結婚はまだでしょ?」

「とっくに相手は決まってるという噂ですけどね。ジェラール様が動き出したのも、兄王子のご成婚を急かす狙いがあってのことでしょう」

 王侯貴族の男子は二十歳前後、女子は十五、六くらいで縁談が決まる。祖父が健在であれば、モニカにもお見合いの話が来る頃合いだった。

 サジタリオ帝国の第二王子ジェラールにしても、今年で二十一なのだから適齢期に差し掛かっている。

 ジェラールは軍人気質の真面目な兄と違い、遊び惚けているらしい。戦争などそっちのけでカジノを開業した、などという噂もソール王国まで届いていた。

 彼とは幼い頃、外交の席で会ったきり。ジェラールには悪い印象しかなかった。

 一言目には『つまらない』、二言目には『もっと楽しませろ』。とにかく高圧的で唯我独尊、調子づいただけの『悪ガキ』だった。

「一国の王子がカジノだなんて……帝国も先が思いやられるわね」

「兄王子のヴィクトール様が優秀でいらっしゃいますから。何かと比較されるのが、面白くないのかもしれません」

「王子様の都合なんて、知らないってば」

 モニカの溜息がまた重くなる。

 父のジェイムズは世継ぎに恵まれず、モニカも妹のセニアも娘だった。いずれモニカは有力な王侯貴族の紳士を夫に迎え、次こそ正統な後継者を設けなくてはならない。

 つまり女の自分では、祖父や父の代わりは務まらないということ。国王代理もその場凌ぎの方便であり、十七のモニカには早々に婿を迎える義務があった。

 王女の都合も考えて欲しいわ、ほんと。

 悔しいが、今の自分にソール王国を根本から改革するだけの力はない。

せめて行方不明の祖父が戻ってきてくれれば、状況も変わるのだが。クリムトが捜索を続けているものの、レオン王の消息は一向に掴めなかった。

「そうよ。お爺様さえ健在なら……」

「仰る通りです。あの陛下のことですから、ご無事とは思いますが……」

 この城では今、何らかの陰謀が企てられている。

 誉れ高い騎士団が国王を拉致するはずはないのだから、親帝国派の仕業だろう。しかし黒幕の正体はわからず、レオン王の不在によってモニカたちは疲弊しつつある。

 これでも一年、粘ったほうかもしれない。

 当然、国王の不在など、サジタリオ帝国にとっては絶好のチャンス。モニカには一年の猶予期間が与えられただけで、来月には結果を示さなくてはならなかった。

 ソール王国は政治機能が麻痺しているため、サジタリオ帝国の庇護のもとへ――などという筋書きはすでに用意されているはず。このままでは親帝国派が実権を握り、侵略戦争への参加も余儀なくされる。

 幼馴染みのクリムトが気を利かせてくれた。

「どうです? モニカ様。外の空気でも吸って、ご気分を変えられては」

「……そうね。ここに詰めてても、気が滅入るだけだし」

 モニカは席を外し、政務室をあとにする。

 行き先は城の東にある訓練場。王国騎士団はここで日々鍛錬し、汗を流していた。

 人海戦術や大砲が戦争の主力とされる、このご時世、一対一の剣術など古めかしいものでしかない。時代錯誤のロマンと軽んじられることさえあった。

 それでもソール王国には古くから『騎士伝説』が根付いており、剣こそが国を守るものと信じられている。

 王国騎士団の第三隊で隊長を務めるのは、まだ十八の女性騎士。彼女は今日も声を張りあげ、若き訓練兵の指導に当たっていた。

「まだまだ剣に振りまわされてるぞ! そんなことでソールを守れると思うなっ!」

 エリート騎士の家系に生まれ、モニカの親友でもある。女だてらに凛々しく、それでいて美々しく、訓練兵にはダントツの人気があった。

 それが王国騎士団・第三隊の隊長、ブリジット。モニカ王女に気付くと、彼女は律儀に膝をつき、恭しいまでに頭をさげた。

「これは姫様! ご機嫌麗しくございます」

「そんなに硬くならないで。あたしとあなたの仲じゃないの」

「もったいないお言葉……ですが兵の手前、規律は欠かせませんので」

 女のモニカでもどきりとさせられるほどの美貌が、爽やかな笑みを浮かべる。

 城のメイドたちが『そこいらの男より素敵』と噂するのも、頷けた。壮麗な騎士服も相まって、一流の剣士の風格をまとっている。

「いかがなさいましたか?」

「ちょっと気分転換がしたくって……」

 ブリジットが第三隊の隊長に任命されたのも、王女と同世代かつ同性であり、モニカの信頼があついため。そして、それを贔屓とさせないだけの実力が、彼女にはあった。

 騎士剣の所持を許されているのも、強さの証。

 しかしブリジットは悔しそうに歯噛みした。

「……申し訳ございません。まだ陛下を見つけること、叶わず……」

 騎士団は総力をあげ、レオン=ソール=ウェズムングの捜索を続けている。それでも足取りはろくに掴めず、月日ともいえる単位で時間ばかりが流れた。

 ソール王家の『血』には重要な用途がある。それを有しているのはレオン王とモニカ、妹のセニアの三人しかいないため、すでに祖父が殺されたとは考えにくい。

 当然、考えたくもなかった。

 ブリジットは神妙な面持ちで声を潜める。

「あれを目覚めさせる方法をご存知なのは、ジェイムズ様が亡き今、レオン陛下だけ……どこかに幽閉され、協力を無理強いされているのでは、と思いますが」

「クリムトも同じことを言ってるわ」

 レオン王が生きているとするなら、可能性はひとつ。王国のどこかに眠るとされる、大いなる『軍神ソール』――それを呼び覚ます鍵は、レオン王だけが握っていた。

 やっぱり親帝国派がサジタリオ帝国への手土産にしようとして?

 それとも……反帝国派が独立維持のために?

 仮に反帝国派の陰謀であれば、ブリジットも怪しくなる。

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