奴隷王女~かりそめの愛に濡れて~
飛知和美里
第1話
サジタリオ帝国の親善大使としてやってきたのは、まだ十三歳の王子だった。広大な支配圏を有する帝国に比べれば、ソールなど小国家に過ぎない。
だからこそ、サジタリオ帝国はソール王国を見下し、若きジェラールを寄越した。
それを迎えるは、六十に近い祖父のソール国王と、孫のモニカ王女。父は王の座に就くことなく他界しており、母は政界にまったく関心を示さなかった。
「王子に挨拶なさい。モニカ」
「……ようこそおいでくださいました、ジェラール様」
九歳のモニカがソール王国を受け継ぐ頃には、ジェラールもサジタリオ帝国で要職に就き、ともに一時代を担うこととなるだろう。
モニカとジェラールの関係はこの時、始まった。
「おまえがソールの姫か。……へえ」
ジェラールの威圧的かつ傲慢な視線が、怯えがちなモニカを射すくめる。
「あ、あの……」
「ぼくを退屈させるなよ。おまえが楽しませろ」
王女の自分がそのように命令されるなど、初めてだった。彼に逆らってはいけない、機嫌を損ねてはならない――と、幼いなりに直感し、モニカは肩肘を強張らせる。
「ぼくだって、おまえが『姫』だから相手してやるんだぞ」
「……はい」
それはソール王国とサジタリオ帝国の力関係を如実に表していた。
大陸の中央やや東に位置する小国家、ソール王国。
その国土はレガシー河に面している程度で、さして恵まれたものではない。独立こそ維持しているものの、サジタリオ帝国の半ば『属国』として、ささやかな繁栄を許されているのが現状だった。
幸いにして侵略価値が低いおかげで、帝国もまだ合併には至っていない。ソール王国が従順なうちは権限を与え、いわゆる地方自治を許容していた。
だが、サジタリオ帝国は今なお支配圏を拡大しつつある。帝国は実に五年以上も戦争を続け、ソール王国のような小国家を次々と吸収していた。いずれソール王国がサジタリオ帝国の領土に数えられるのも、時間の問題だろう。
しかもすでに事件は起こっていた。急逝した父に代わり、国政を取り仕切っていた祖父のレオン王が、忽然と姿を消したのだ。
かくしてソール王国は一夜にして窮地に立たされた。場当たり的にモニカが国王代理の任に就くこととなり、一年。サジタリオ帝国からソール王国へ、騎士団の解散が要請されたのは、つい先月のことだった。
サジタリオ帝国は他国と交戦中にあり、属国のソール王国も狙われる可能性がある。時代錯誤も甚だしい田舎の騎士風情に国防を任せては、守りきれない。ならばこそ、帝国軍をソール領に常駐させて防衛力とせよ、という強引な論法である。
ソール王国の正統な国家元首は、もはや十七歳のモニカのみ。忠臣らも尽力してくれてはいるが、この窮地を覆せるだけのカードはなかった。
「はあ……」
政務室のデスクでモニカは頬杖をつき、今日だけでも何度目かの溜息を漏らす。
補佐官のクリムトが眼鏡越しに苦笑を浮かべるのも、いつものこと。
「お疲れのようですね、モニカ」
「そりゃそうよ。お爺様が行方不明になってから、ずっとこの調子なんだもの」
この一年、王女のモニカには気を休める余裕さえなかった。幼馴染みのクリムトがいなければ、とっくにパンクしていたに違いない。
「帝国にしても、いつまでも戦争を続けてはいられないはずです。いずれ余所もまわせなくなってきて、態度を軟化させるでしょうから」
「それまでの辛抱ってわけね」
奇策を講じるよりも持久戦。クリムトの助言もあって、モニカはサジタリオ帝国のやり方に耐えていた。
戦争を五年も続けていれば、どんな大国であれ国力は落ちる。サジタリオ帝国の猛進・猛撃が鈍る日も、決して遠くはなかった。
とすれば、今ここで帝国に降るわけにはいかない。サジタリオ帝国とともに『敗戦国』と扱われては、それこそソール王国の未来は閉ざされるも同然なのだから。
「反サジタリオの連合も動きが目に見えてきましたし、あと少しの辛抱ですよ」
「それまでは何が何でも現状維持ってことね」
しかしソール王国の家臣らはすっかり足並みを乱していた。
帝国に恭順せよとする親帝国派の声は、依然として大きい。その一方で、一日でも早く連合と手を結ぶべきだという反帝国派の声もあった。とりわけ王国騎士団は反帝国の感情が強く、抗戦を訴え続けている。
無論、こちらが武器を取れば、帝国にソール侵攻の大義名分を与えかねなかった。
タイミングを見誤れば、国王代理の王女が納める小国家など、一晩のうちに蹂躙されてしまうだろう。この綱渡りをしくじるわけにはいかない。
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