2020 名前の話

 自分のハンドルネームである「千住」を使い始めたのは、私がホームページを始めた1999 年です。

 その都度名前はあったりなかったりするのですが、「千住」だけは一貫して自分の名字として使っています。

 日本画家である千住博氏からいただいた名字です。読み方は「せ」にイントネーションがあります。


 私が千住博氏の絵に初めて出会ったのは、本屋の平台でした。

 アート関係の本棚の平台に、千住氏のポストカードがありました。プラスチックのケースに入ったポストカードには、千住博という名前と、モノクロの滝の絵が印刷されていました。

 教科書体のような名前のタイポグラフィと、モノクロの滝を見て、「あ」と私は思いました。

 名前と絵の佇まいに惹かれた、ふしぎな瞬間でした。


 学生時代に好きだった画家は、ユトリロでした。

 ユトリロの『白の時代』のモンマルトルの風景画は、汚れた漆喰の壁と褪せたような水色の空が印象的でした。カンヴァスの向こうに突き抜けていくような街の空気感が、私は好きでした。

 絵が売れてからはその空気感が失われて、カンヴァスが絵の具の壁になってしまいました。ユトリロの孤独の静謐さと、呪いのような運命も含めて、私はユトリロを愛していたと思います。


 自分があまり色鮮やかな絵を好きではないらしいという自覚は、その頃からありました。

 千住博氏の日本画もモノクロの静謐な絵が多いことから、自分の琴線に触れたのだろうと思います。

 千住氏は1995 年のヴェネチア・ビエンナーレで名誉賞を受賞していました。そのときの作品が『ザ・フォール』というモノクロの滝の絵です。

 暗闇に流れる、もつれた水の流れが、幽玄で静かな世界を作り出していました。


 私が千住というハンドルネームにしたのは、ポストカードの名前と絵の美しさに惹かれたからです。名前のタイポグラフィと『ザ・フォール』のモノクロの佇まいが、すがすがしく美しい風景に見えたのです。


 1999 年に始めたホームページの名前は『地球照劇場(EARTHSHINE THEATER)』でした。

 その名前の由来は、以前ムーンシャイン・シアターという自主上映会があったことと、荒俣宏氏の著作『別世界通信』から来ています。

 以下は「地球照」の説明です。


 地球に当たって反射した太陽光線が、そのまま月の暗い部分を照らしだして、 たとえば三日月の影の部分がボオッと灰色に光ったりする現象をいう。

 古代の伝承によれば、この灰色の部分は、二重星である月の「古い分身」が、新しい黄色の月と地球とのあいだに割り込んだときに起こる現象と考えられていたし、その「古い分身」には、灰色の光というロマンチックな名前さえ捧げられていたようだ。

 この天文学的な現象に向けて古代人が投げつけた想像力の歴史を辿っていくうちに、ひとつの奇妙な傾向が見えてくる。それは、ルネサンス期以降に確立した「地球光照りかえし」説に比較して、古代人がその灰色の光を、あくまでも独立した存在――地球とは何のかかわりもないもうひとつの星と考えていたことだ。ルネサンス期に近くなって、灰色の光はさすがに「二重星のかたわれ」という看板を降ろしたけれど、もっとファンタスティックな解釈によってその独立性は保たれつづけた。前一世紀にポシドニウスが提唱し、十三世紀に光学科学者ピテロによって普及された説によれば、月は本来透明な物質によって構成されたガラス球のような星であり、黄色い輝きの欠けた影の部分に、ときとして月の向こうの世界が透けて見えることがある、というのだ。


『別世界通信』 荒俣宏 ちくま文庫 1987年 259P


 私は高校時代にこの文章から『EARTHSHINE』というファンタジー小説を書いたのですが、その原稿を1998 年の大掃除で捨ててしまったことから、名前だけでも覚えておこうと思ってホームページに「地球照」という文字を入れました。

 が、2003 年に恥ずかしくなって別の名前にしたので、現在その名前は残っていません。

 欠けた月に地球照を見ると、私は自分の昔のホームページのことを思い出します。地球のような青色と白を使ったデザインで、やはりそのころから私はモノクロが好きだったんだなと思います。


 今回はここまでです。お付き合いありがとうございます。

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