2020 Undercurrent

 インターネットは水辺のようなものだという小説を書いたことがある。

 液晶画面の前にいるのは自分ひとりだけれども、水辺の底流にはさまざまな人のさまざまな思いが流れている。

 同じことを私はインターネットの小さな掲示板のなかで書いた。そこは2ちゃんねるのような匿名掲示板だったが、なぜか私を特定して私に話しかけてきた人に対してだった。

 その人は自分がパソコンの前でひとりでいて、自分が脅かされているような気がして怖いと言っていた。当時その人が脅かされる事情があったのだが、それは詳しく書くことでもないので省く。私は、パソコンの前にいるのは自分ひとりだけれども、自分の思いはきっと誰かに繋がっているのだと思いますよ、ちょっと綺麗事ですが、とその人に書いた。

 桜の下で会いましょうとその人は私に言った。匿名の掲示板で、お互いを特定することはもうないだろうと思いながら。

 が、紆余曲折を経て、私はその人と再会した。その人は違う名前の私をすぐに見つけたと言っていた。三月の終わり頃だった。その人から届いたメールを読んだとき、私の脳裏には鮮やかな桜の花が広がった。

 その人と私にはいくつかの名前があったのだが、その人の名前は「道案内」、その人が私につけた名前は「ファイナルアンサー」。当時流行っていたクイズ番組の司会者の言葉だった。


 私は見る前に跳ぶ性格で、インターネットに加入してすぐに自分のサイトを始めた。1999 年のことだ。

 当時から私は自分の小説をサイトに載せていたのだが、怠惰さと実力不足のせいで、書いた小説を放り出すことが多かった。好きなことを好きなように書いていたので、自分のサイトは小説サイトというよりも書評と雑文のサイトになっていた。

 そんななかでも私の小説を好きだと言ってくれた数少ない読者さんとメールのやりとりをしていた。2002年から2006年くらいまで、私が病気でインターネットを中断するまでの話だ。

 三年のブランクを経て、私はサイトを再開した。そのときにはパソコンの故障で読者さんのメールアドレスがわからなくなっていて、私はその人にサイトの再開を告げることができなかった。

 そのサイトは一年くらいで私がふたたび中断したのだが、その一年後、大きな事件が起きた。

 2011 年3 月。東日本大震災。私が真っ先に思い出したのは読者さんのことだった。その人は「東北のハワイ」に住んでいると言っていた。福島県のいわき市の人だったのだ。

 私はその人の本名も電話番号も知らない。読者さんが無事だとわかるすべは何もなかった。

 3 月が巡ってくると、私はその人のことを思い出す。まだ小説を書いているだろうか。書いているといいのだけれど。


 二十年間インターネットに同じ名字(名前は変えている)で文章を書き続けているわりには、私はネットの知り合いが非常に少ない。

 それには、群れるのが苦手で、グループを見ると無条件に離れてしまう性質が関係している。

 人と距離を取るのが下手で、人に踏み込まれるのは平気だが人に踏み込むのはとても苦手だ。そんなわけで、距離が取れずに見守っているだけの人もいる。

 SNS の発達で、これでも少しは他人と交流するようになったのだが、私はひとりでレスポンスのないところで文章を書いてきたので、ひとりごとが非常に多い。

 好き勝手に書きすぎたので、最近は以前の文章を削除しているのだが、それでもよくこんな好き勝手なことを言って無事で来られたものだなあと思う。


 私がめぐり会った人々は無事でいるだろうか。いまでもネットの水辺ですれ違っているのかもしれない。

 あのころから時代はずいぶん変わってしまったけれども、私はあなたが幸せでいることを願っている。

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