2020 遺跡に潜る

 Internet Archive はアメリカのインターネットの図書館だ。世界中のホームページを(たぶん無許可で)巡回してはデータを蒐集している。1996 年頃からデータがストックされ、全世界に公開されている。見たいサイトのURL を入力すると、Internet Archive が保存したスナップショットが年代別に出てくる。著作権はどうなるのだろうと不思議に思うが、そういう疑問をぶっちぎって今も存在している。そういうサイトだ。


 それではInternet Archive があれば消えたホームページがすべて見られるかというと、事はそう単純ではない。検索避けをしていたサイトはInternet Archive に保存されないし、保存されていたとしても、ホームページの階層が深い箇所には、Internet Archive は巡回していない。


http://xxx.xx.jp/aa/bb/index.html


 このくらい階層の深いファイルには巡回しないらしい。

 私は自分の過去のホームページのデータをサルベージするためにInternet Archive を使っていたのだが、サイトにフレームを使っていたため、フレームの下の階層(私が欲しかった部分)まではほとんど保存されていなかった。


 あと、Internet Archive に直接メールを出すと、自分のホームページのデータを消してくれる。

 過去に私は自分のホームページの削除要請のメールを出していた。そのことをサルベージを始めてしばらくしてから思い出し、過去の自分の潔癖さにがっかりした。


 私は1999 年に自分のサイトを始め、2010 年にサイトを閉鎖した。何度かサーバーを変えたりサイトを中断したりしているので、現在自分の手元に残っているのは2010 年当時のサイトのデータである。

 1999年から2002年くらいのあいだに書いた本や映画の感想文・雑文を、私はほとんど残していなかった。PC が突然故障したり、データを残していたMO を断捨離したりしたせいで、当時のデータがほぼ残っていない。


 おたくや研究者など、蒐集する人間と断捨離とは非常に相性が悪い。当時は必要ないと思ったデータでも、数年後・数十年後に必要となることがあるからだ。2000 年代の自分は、当時の自分の文章(文章を書くための下原稿含む)を残しておくことに価値を見いだしていなかった。が、20 年経った今になって、昔の自分の文章が読みたくてしょうがない。


 現在私は主に小説を書いているが、当時は小説よりも感想文や雑文をたくさん書いていた。

 当時の自分は内圧が高くて、とにかく文章を書いていないと落ち着かなかった。それが自分の文章でも他人の文章でも構わなかった。なので、テキストエディタに文字をひたすら打ち込んでいた。

 自分の文章の質(内容の質とは限らない)は、内圧が高かったころのほうがよかったような気がする。文章の質が一番落ちたのは、文章を書かなくなって数年経った2017 年頃だった。私はその年に突然三十万字の小説を書いてインターネットに復帰したのだが、当時は自分の文章の不自由さにイライラしていた。自分の小説を書くのと並行して、文豪の小説の写経を始めたのもその頃である。


 結局私は自分のホームページのデータをほとんどサルベージできなかったのだが、当時相互リンクしていたサイトから、自分のホームページのバナーを拾った。1999 年から2003 年まで使って、自分では捨ててしまっていたサイトのバナーである。海からの漂流物を拾ったような、タイムカプセルを掘り返したような不思議な気分になった。


 そんなわけで、私は自分の文章をとにかく保存するように心がけている。他人からしてみればたいした内容ではないだろう。が、いつか自分に必要になる瞬間が来るかもしれないのだ。


 今回はここまでです。お付き合いありがとうございます。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る