2020 『こころ』の「透明な文体」について
夏目漱石の『こころ』の文体に関する文章です。
私の趣味は小説を書くことですが、私はPC で小説の写経をしています。写経とは文章をそのまま書き写すことで、手法は手書きがいちばん望ましいとされていますが、私はスピードを重視するのでPC で打っています。漢字や送り仮名を旧字にはせず、適時自分の書き癖を使うのがマイルールです。写経としては正確さに欠けるのですが、自分以外の文章を書くということを第一の目標にしています。
そんなわけで私は夏目漱石の『こころ』を写経したのですが、文章の特徴としては、リズムがあり打ちやすい文体であること、形容詞などの修飾語が少なめで、難しい名詞もそれほど使われていないこと、あとは先生の遺書が私に語りかけるような文体で書かれているため、文章が柔らかめであることなどが挙げられます。
文豪の文体はたいてい読点が適切で打ちやすいのですが、唯一太宰治の『人間失格』は読点が多く、切れ切れの文体で書かれています。指が引っかかって文章が打ちにくいです。太宰治のほかの小説はまだ打ったことがないので、この文体が演出として書かれているものなのか、太宰治の文章のリズムなのかは、今のところわかりません。
形容詞が少なめで難しい言葉があまり使われていないことについて。
『こころ』で風景描写が印象的なのは冒頭の鎌倉の海水浴場のシーン、先生と私が散歩のときに立ち寄った植木屋のシーン、先生とKが房州の海へ旅行へ行くシーンですが、いずれも華美な形容詞などは使われておらず、さらりとした文体で書かれています。
鎌倉の海水浴場の出会いのシーンの快活さ、先生とKの房州旅行の陰鬱さは、主に登場人物の言動によって描かれています。
三島由紀夫や谷崎潤一郎の文章と比較しますが、両者の文体は言葉によって小説を組み上げることが巧みです。おどろおどろしさや華麗な雰囲気など、豊富な知識と語彙で世界を作り上げていきます。修飾語や名詞などに難しい言葉が混じるため、普通の変換では言葉が出ないことも多く、文章を打つのに時間がかかります。
漱石のほかの作品にはもっと難しい言葉が使われていますが、『こころ』にはあまり難しい言葉は使われておらず、抽象的な表現もさほどありません。
『こころ』の紹介に「透明な文体」という言葉が使われていましたが、透明な文体とは形容詞や修飾語があまり使われていない、平らかな文章かと私は納得しました。
それでは『こころ』の何が優れているかというと、まずは会話文の鋭さです。
「私は淋しい人間です」(中略)「私は淋しい人間ですが、ことによると貴方も淋しい人間じゃないですか。私は淋しくっても年を取っているから、動かずにいられるが、若いあなたはそうは行かないのでしょう。
「然し……然し君、恋は罪悪ですよ。解っていますか」
「私は彼等を憎むばかりじゃない、彼等が代表している人間というものを、一般に憎む事を覚えたのだ。
『精神的に向上心のないものは馬鹿だ』
あとは、抑制された文体であるがゆえに、重要な部分で差し挟まれる抽象的・比喩的な表現が際立っています。
私は今自分で自分の心臓を破って、その血をあなたの顔に浴びせかけようとしているのです。私の鼓動が停まった時、あなたの胸に新らしい命が宿る事が出来るなら満足です。
これは「下 先生と遺書」の冒頭です。先生が過去を語ることへの覚悟が描かれた、印象的な一節です。
もう取り返しが付かないという黒い光が、私の未来を貫ぬいて、一瞬間に私の前に横たわる全生涯を物凄く照らしました。
ネタバレになりますが、これがKの自殺を発見した瞬間の先生の心象です。
先生は結局この「黒い光」から一生逃れることができなかったのです。
『こころ』の「透明な文体」についての小考でした。
今回はここまでです。お付き合いありがとうございます。
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