2019 血を吐いた話
桜が咲いている時期のお話です。
私は仕事から家に帰ったあと、おやつのせんべいを食べ、飲み残しの赤ワインを100ml ほど飲んでいました。
そのうち喉がカアッと熱くなりました。「何か変だな」と思っているうちに、締め付けられるような感覚とともに咳が出てきました。
熱いものが喉を通ったあと、私はこたつ布団へ十センチほどの大きさの血を吐いていました。
私は無言でパニックに陥りました。家に人はおらず、ワインを飲んでしまったので車を運転してかかりつけの病院へ行くわけにもいかない。喉は熱くて苦しいけれども、救急車を呼ぶほどの症状でもない。
私は財布だけ手に取ると、歩いて百メートルの距離にある病院へ向かいました。
病院に着いたのは、病院が終わりかけている時間でした。
人気が少ない病院で問診票を書き、血圧を測りました。上が168 でした。
「自分史上最高の血圧!」
と思うと同時に、
「町田樹史上最高傑作!」
と頭のなかで流れて、自分のスケオタ加減に自分でおかしくなりました。
私が医師に血を吐いたときの話をすると、医師は「なにか固いものを食べましたか?」と聞きました。
「割れせんべいを食べました」
「固いせんべいで食道を傷つけることがあるんだよ」
私はどうやらせんべいが喉に刺さって血を吐いたようなのです。
「ほかの部分も出血しているかもしれないから、検査するよ」
CT スキャンと胃カメラの検査をしました。病院が終わりかけていたときに急患として入って、看護師さんに迷惑をかけました。
胃カメラで撮った食道の写真には、どす黒い紫色の患部が映っていました。私は思わず「きもちわるっ」と呟いていました。
「胃に内容物があってようすがわからないから、明日また胃カメラを飲むよ」
家に帰ってもいいけど、食道には皮膚がないから、この傷が心臓に届けば即入院ね、と先生に念を押されました。
その日は絶対安静で食事も水も摂らないことと言われました。ただ、ゼリー状の胃薬を定期的に飲むよう指示されました。
次の日、私が病院へ行くと、先生は胃カメラの先生に「せんべいの人」と私を雑に紹介しました。
「昨日は胃カメラスムーズに入ったから、今回も麻酔なしでいく?」
私は胃カメラを飲むあいだ必死で「いま先生は私を良くしようとして胃カメラを飲ませてくれるんだ。いいものが入ってくるんだ」と念じておりました。私は哀れな声で、
「麻酔してください……」
と言いました。
二回目の胃カメラの写真では、食道の患部に白い膜が張っていました。私はとりあえず入院は免れたようでした。
「二日後に仕事があるんですけど、どうでしょうか」
「行っていいよ~。ただ、一週間は固形物を食べないでね」
先生はさばさばとした調子で言いました。
私はポタージュやしゃがいものスープ(ビシソワーズ)、甘夏の寒天などを作って一週間を乗り切りました。お腹が空くのは辛くなかったのですが、便秘になって胸焼けがひどくなりました。
先生にそう告げると、
「固形物を食べてないからね~」
とこともなげに言われました。食物繊維は固形で摂らないと駄目なんだな、と私は思いました。
その後私が血を吐いたことはないのですが、周囲の人から「千住さん、せんべい食べて大丈夫なの?」と何度か聞かれました。
私はせんべいがトラウマになったわけではありません。なので固いせんべいを食べ続けているのですが、凶器になったせんべいだけは、喉が締め付けられるような気がして食べていません。おいしいのに。
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