2019 山本美絵という歌手がいた
2000 年の秋の話だ。
https://www.youtube.com/watch?v=GxC8pAq2qCY
CD ショップの視聴ブースで、私は山本美絵の『カーネル』という歌に出会った。LOVE PSYCHEDELICO の『Last Smile』のマキシシングルといっしょに買って帰ったと記憶している。
ねっとりとした歌い方でカーネル・サンダースとの恋愛を歌っている。手の届かない人形との恋愛の歌に、私は通常の男女の恋愛への絶望感を感じて、そこに親近感を覚えていた。当時から私は通常の恋愛に夢を見ることのできない、ひねくれた女だった。
https://www.youtube.com/watch?v=b3E7z96rcXA
私は山本美絵のファーストアルバム『オナモミ』を聴いた。一曲目は『○○ゴッコ。』。ポップでねじくれたメロディに、社会と自分を糾弾するような歌詞がついている。
「みんな嘘」。自分も含めて、人間はみんな嘘をついて生きている。社会でうまく生きていくために、「ぜんぶ借り物」で武装して、「幸せ」な自分を演じている。
山本美絵が糾弾するのは、建前と本音を使い分けて生きているふつうの人たちだ。が、糾弾が鋭すぎて、その矛先が自分にも向かう。「私の言ってること みんな嘘」。そこにあるのは潔癖すぎて自分の嘘も許せない、不器用で純粋な少女の姿だ。
大人は「みんな生きてこられて 偉いなあ」と山本美絵は歌うが、大人は彼女のように潔癖でも純粋でもないのだ。鈍くて功利的で、子供のころの純粋さを忘れてしまっただけなのだ。
『○○ゴッコ。』を聴いていると、子供のときよりも器用に生きられるようになった自分の偽善性をさらけ出されたような気分になる。そして、潔癖であるがゆえにうまく生きられないであろう彼女の姿に、胸を衝かれる。
https://www.youtube.com/watch?v=_QJcqJNyr54&t=87s
二曲目は地方のFM 局のパワープッシュになった『猫』。道ばたに転がる猫の死骸を、誰もが見ないふりをして通り過ぎる。猫は誰にも片付けられず、同じ場所で「みるみる腐り続けた」。猫をどうすることもできずに素通りする自分は、自分の無力さを噛みしめながら、「日ごとに腐っていくのは そう あれは 猫じゃない」と思う。
私も子供のころ、通学路の歩道で死んでいた猫が、腐って毛皮が流れて骨になっていく姿を見た。私には、どうしてその猫が片付けられなかったのかわからないが、猫を動かそうとした人間は誰もいなかった。私もその猫を気持ち悪いと思いながら、何もしなかった。
私たちが日々見ないようにしているものに、山本美絵は『猫』という名前をつける。弱いもの、醜いもの、まつろわぬものから向けられる視線を感じながらも、それをないものとして切り捨てる私たちの無力さと無責任さをあぶり出す。
山本美絵は弱いものに心を寄せられる人だった。私が気持ち悪いとしか思わなかった『猫』に、今まで無視され、切り捨てられてきた弱者の姿を見ることができる人だった。
彼女が出したのは、二枚のアルバムだけだった。
ありふれた夕暮れの風景に口を開けた無常の深淵を、彼女は覗き見ていたのだろう。繊細であるがゆえに、ひどく生きにくい人だったのではないだろうか。
私は今でもふと思い出したように山本美絵の曲を聴くことがあるが、そのたびに彼女はすこしは楽に生きられるようになっただろうかと考える。そうであってほしいと願っている。
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