2020 砂漠に水を撒く
私は1999 年から自分のサイトで文章を書いている。途中、仕事や病気などで中断しているので、活動していたのは10 年ほどである。
会社のホームページを作っていたときから数えると1997 年からなのだが、当時ホームページの用語はHTML しかなく、エディタでHTML を直打ちする、そんな時代だった。ホームページ作成用のソフトはあったが、ソフトのHTML は強引で美しくないので(わかる方にだけわかっていただきたい)、使う気にはなれなかった。
無駄に長くインターネットを続けているせいか、テキストサイトの変遷も横目で見てきた。
自分のサイト→ブログ→note のような投稿サイトへ、文章を発表する場が移ってきた。
私が文章を書き始めたときから比べると、手軽に文章を投稿できるようになり、文章への反応も貰いやすくなった。自サイトのころは、文章が読まれているかどうかはカウンターや訪問者が書き込む掲示板、メールで確認するほかなかった。私の場合は、カウンターも掲示板も消してしまったため、ごくまれに来るメールしか確認手段はなかった。
ほとんど反応のないなかで、私は自分のサイトに文章を書き続けた。
当時は砂漠に水を撒いているようだと思った。
そのかわり、圧倒的な自由もあった。
投稿サイトに標準的に付いている評価システムは、書き手のモチベーションを保つためのシステムなのだろう。
が、自分にも他人にも一目で人気作品がわかってしまうため、人気のない作品の作者は、自分の文章の読まれなさに打ちのめされることになる。
私も自分の文章が読まれないほうの作者で、人様の作品と比べて落ち込みもするのだが、反応をたくさん貰って有頂天にならないかわりに、卑下もしないようにしている。
二十年ほど文章を書いても何者にもならず、さして評価をされなくても文章を書き続けられる理由は、自分が書くべきものを持っていると確信しているからである。
自分のなかに、文章を書かせる何かが眠っている。それが私に文章を書かせている。一時期は、何か書いていないと精神的な便秘に陥って気持ち悪くなるのでひたすら指を動かしていた。今は強迫観念のように文章を書くことはなくなったが、文章のネタが尽きることもない。
note のつづけ方というお題だが、自分の文章のつづけ方の話になった。
他人本位で文章を書いても続かない。自分本位に文章を書けということだろう。
あと、ネットの水辺の向こうで、さまざまな人がさまざまなことを思っている気配を感じることだ。
今回はここまでです。お付き合いありがとうございます。
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